#86 『ヌシ』
数十万もの大枚を叩き、新品のロッドとリールを購入した。
そうなると少しはランクを上げた釣りを楽しみたくなるもので、夜を徹して高速を飛ばし、某県にある山奥の滝まで遠征に出掛けた。
明け方近くに、現地へと到着した。そしてそのまま新品の竿で試し釣り。噂では“ヌシ”が棲むと言われる滝壺攻略のつもりであった。
なかなかヒットは来なかった。だが諦めずに懸命に滝壺目がけて投げ込んでいると、ようやく当たりが来た。
だがそれはとんでもなく強い引きで、俺自身が後ろへ倒れ込むぐらいの姿勢でいなければ、身体ごと吸い込まれそうなぐらいの引きだった。
これは完全に噂のヌシだ。俺はそう確信した。だがさすがに、一人でこれを釣り上げられるだろう自信は無い。それぐらいの暴力的な引きが手に伝わって来るせいだ。
どれぐらい粘ったのだろうか。全身から汗が噴き出し、そろそろ俺自身も限界かなと思った所で、とうとうそのヌシが姿を現した。白くぬらぬらと輝く体躯が水面に見え隠れし始め、これは勝てるかも知れないと思ったその矢先、ぐいとそのロッドの先端を“掴まれた”。
水面から飛び出る白い腕。その腕がしっかりとロッドの先端を握り締め、強引に水中へと引きずり込もうとしていた。
無理だ。新品の竿だが諦めるしかない。そう思った瞬間、背後から人の声。
「大丈夫か?」「手伝うぞ」と、駆け寄って来たのが分かったその瞬間、ずるりと白い腕は水中に消え、同時に引きも無くなった。
駆け寄って来てくれた釣り人達は、口々に、「惜しかったな」とか、「デカいのが来てた」とか話していたが、誰もあの白い腕については語りはしなかった。
確かにその滝壺には、ヌシが棲んでいる。それが魚だとは限らないが。
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