#72~73 『熊避けの鈴』

 比較的、家に近い場所に熊が出た。どこで買って来たのかは知らないが、父から熊を遠ざけると言う鈴をもらった。なかなか良い音色だったので、当時まだ子供だった私は、それをランドセルに付けて学校に通った。

 ある朝、家を出る前、祖母に呼び止められた。祖母は鈴を見て、困ったような表情を浮かべる。

「鈴の音は確かに熊は追い払ってくれるけどねぇ……」と、奥歯にものが挟まったような言い方だった。

 私の住む地方はおそろしく田舎だったせいで、学校までの道のりに山が二つもあり、通学の為の片道を約一時間ちょっと掛けて通わなければならなかった。その山の一つを、その辺りでは“割り山(わりやま)”と呼んでいて、木々を伐採し、山を崩し、道を通らせた峠道となっていた。

 ある時、その割り山の頂上付近で妙なものを見掛けた。全身がほぼ真っ白で、霞が掛かったかのように不鮮明で、何故かやけに首が短く、手足と胴の長い“人のようなもの”が立っていたのだ。

 最初はその場に立っているだけだった。やがてそいつは私の後を付けて来るようになり、その内、山の下で私を待ち構え、反対側までずっと付いてまわるようになって行った。

 私は特にそいつに対し、何かしらの態度とかは取らずにいた。なんとなくだが、その存在に気付いている素振りを見せてはいけないと思ったからだ。

 私は、父にもらった熊避けの鈴を付けて学校へと通っていた。だがその鈴の音は、山に棲む“何者か”を呼び寄せてしまう元となってしまっていたのだ。

 いつしかそいつは山から離れてかなりの距離を付いて来るようになった。その内、そいつの声までもが聞こえるようになった。不明瞭だが、人語のような、そうでもないような事をぶつぶつと唱えている。

 そいつはとうとう家の前まで来てしまった。家の中までもは入って来なかったが、それも時間の問題だなと思った時、祖母が血相を変えて家から飛び出して来た。

「お前、何連れて帰って来たなや!?」

 祖母が言うには、「あれは“山のもの”」だと言う。「お前はぁ、取りに来たぞ」と祖母は慌てて、何やら準備を始めた。

 それは一体どこにあったのか、大小あらゆる鈴と言う鈴。中には風鈴やトライアングルまでもがあった。祖母は父をせき立て、車に乗ってどこかへと出掛けて行った。当然、僕の持っていた鈴も取り上げられ、持ち去られた。

 翌日、学校までの道中で各所に鈴が下がっているのを見掛けた。風に揺られ、あちこちでそれが鳴っている。山のものは、僕が最初にあった山の頂上にいた。僕が持っていた鈴を目の前にして、うろうろとしていた。

 それから十日ほどして、誰が外したのか鈴は全て無くなっていた。同時に山のものの姿も消えていた。

 それから数年して、再び私はあの山のものをとある場所で見掛けた。

 夏、家の庭先でビニールプールで遊ぶ子供が二人。近くには縁側から下がった風鈴がちりちりと鳴っていた。

 山のものは、その子供達の真横に立っていた。

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