#55 『狐』

 昭和二十年代の頃の話らしい。祖父が狐に化かされたのだそうな。

 二つ離れた村で、親類の孫の結婚式があるらしく、祖父が代表で式に参加する事となった。

 式の前日の朝、家の女性達は料理を作るのに大わらわで、結局祖父が家を出たのは、夕刻を過ぎてからの事だった。

 簔を着込み、酒を背に担ぎ、重箱に詰めた料理を下げ、空いた手には提灯を携えて。祖父は出掛けて行った。だが結局、祖父はその夜の明け切らない内に家へと戻って来た。しかも、持って行ったものは何一つ無く、寒い中ほとんど下着ぐらいの格好で、油まみれ血まみれとなって帰って来たのだ。

 しかも何故か祖父の目は恐ろしいぐらいに吊り上がり、やけに興奮した面持ちで、「楽しい結婚式だった」と大声で語って聞かせるのだった。

 それを見た祖母は、「化かされよったわ」とつぶやいた。祖父のろれつの回らない断片的な話をつなぎ合わせると、どうやら山道の途中で親類の一行に出くわし、せっかくなのでここで宴会をしようと言う事になり、祖父は料理を振る舞い、酒を飲み、酩酊して帰って来たらしい。

 風呂に入れるも、身体中に付いたラードのような油はまるで取れず、しかも全身が血まみれだったにも関わらず、どこにも怪我は負っていない。

 そうして祖父が元に戻ったのは、それから数日経ってからの事だったらしい。しかも不思議な事に、二つ先の村の結婚式にはちゃんと祖父は出席していて、飲むわ食うわ大騒ぎするわの大醜態をさらして帰って行ったのだと聞く。

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