#48 『新聞配達』

 今より数十年前、私が中学生だった頃、早朝の新聞配達のアルバイトをしていた。

 まだバイクも免許も持たない時期だ。当然、移動手段は自転車で、前籠一杯の朝刊を載せて、まだ夜が明け切らぬ町を急ぎ、各家々に配って歩いていた。

 そのアルバイトはさほど苦労もなかったのだが、ただ一軒だけ、とても辺鄙な場所にあり、そこへの配達だけが苦労と言えば苦労であった。

 その辺鄙な家の住人は、Tさんと言った。家は町外れにある小さな橋を渡り、両側に雑草の生い茂る野っ原を突っ切って、砂利道をしばらく走らせた辺りにある小さな一軒家だった。

 その家に至るまでは街灯も何も無く、自転車の発電機のライトだけを頼りに暗い中を走って行くしかなく、とても難儀したのを覚えている。

 Tさんの家へと着き、ポストに新聞を入れると、同時に家の明かりが点く。一度もその家の人の姿を見た事は無いが、それでも暗闇の中で灯る明かりはなんとなく安心が出来た。

 ある朝、ポストの前に柿が置かれていた。もしかして俺へのご褒美なのかなと思い、遠慮無しにその柿を頂いて帰った。以降、ほぼ毎日と言っていい程、毎朝ポストの前に何かしらのご褒美が置かれるようになった。

 ある朝、驚いた事に、ポストの前には高級そうな腕時計が置かれていた。さすがに無遠慮な自分でもそれはもらえないだろうと思い、俺は明かりの点いた家に向かって会釈だけすると、そのまま時計は取らずに帰った。

 配達が終わり、アルバイト先の新聞屋へと帰ると、明日からはTさん家への配達は要らないと告げられた。

「どうして?」聞き返せば、Tさんの家の主人が“昨晩”に、亡くなったらしく、無人の家に配達しても無駄だろうと言う話だった。

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