#31~32 『瓔珞(ようらく)』

 *瓔珞とは、仏壇の天井から下がる金色の装飾が散りばめられた飾り紐の事を指す。


 私の父の実家が東北にあった。私が小さい頃より、お盆休みになると車に乗って長い時間を掛けて帰省するのが毎年の習慣だった。

 実家には父の弟に当たる叔父と、その奥さん。そして祖母の三人暮らしだった。特に祖母は私に優しく、帰省するといつも面倒を見てくれた。

 だが一つだけ、祖母がとても厳しく私に教える事があった。それは仏間の天井からぶら下がる大きな金色の飾り紐――後で知った事だが、それは瓔珞(ようらく)と言うものらしい――の一つが、いつ見ても一房だけ小刻みにふるふると震えていて、私がそれを見付ける度に、「見てはならん」と祖母は怖い顔をして言うのだった。

「見てはいけん。知らん顔しとけ。気が付いた事がばれたら取り憑かれようぞ」

 当時、幼かった私には“取り憑かれる”の意味が良く分からなかったのだが、何か怖いものだと言うのはなんとなく理解が出来た。

 だが一年もすれば再びその事を忘れるもので、結局私は毎年田舎に帰省する度に、その事で祖母に怒られたものだった。

 それから数年が過ぎた。私は小学校も高学年となり、それなりに身長も伸びた。

 その年の夏。帰省した実家でいつも通りに仏間でふるふると震える一本の瓔珞を見た。

 その時、私は気付いた。もう昔の私ではない。手を伸ばせばあの震えている紐まで手が届くと言う事を。そう思った瞬間、私はその飾り紐を握っていた。同時に背後から聞こえる祖母の声。

「取り憑かれようぞと何度も何度もそう教えたろうに」

 言いながら祖母は私を突き飛ばすと、その瓔珞の下へと向かい、先程まで揺れていた飾り紐と同じようにふるふると震え始めた。

 私は慌てて皆を呼びに行き、祖母がおかしくなった事を告げた。だが皆の反応はとても予想外で、その家には祖母たる者はいないと言う事実だった。

 それからしばらくした後、父に祖母はどんな人だったのかを聞いたのだが、父が小さい頃に既に亡くなっているらしく、写真を見せてもらっても私が実家見たその人とはまるで違う人物だった。

 私が“取り憑かれる”と言う意味を知ったのはちょうどその頃だったと思う。私が祖母だと勘違いしていた例の存在は、未だ私の家の片隅でふるふると震え続けている。

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