第2話

 ぴたん、ぴたんと天井から水滴が落ちる音だけが静寂せいじゃくで支配された部屋にかすかに響く。

 けがれをはらい、身をきよめる為、冷たい水に入り、目を瞑ったまま微動びどうだにしない少女が一人。

 宝珠ほうじゅの力によって壊れてしまった聖堂は、城の兵士や祭司さいし達の手を借りて、早急に仮の聖堂が造られた。元あった場所に建て直しも進んではいるが、ほぼ全壊だったものを再建するのだ。早く見積もっても半年はかかってしまうだろう。

 宝珠はヒビが入ってしまい、使用出来る状態ではなく、豊潤ほうじゅん祭まであと三週間しかない現在、どうすべきか祭司と王とで話し合いが行われている。

 ぴたん、ともう一度水滴が落ちる音を聞いて、少女はゆっくりと瞼を上げた。

 静かに立ち上がり、水から出る。それを確認して数名の巫女が近付く。着替えを手伝う彼女達の顔を一通り見た後、少女は口を開いた。


「…………公務の前に、かなめの様子を見に行きます。誰か訪ねて来たらそのように伝えて下さい」

「かしこまりました」


 枢は死神の女によってあやつられ、宝珠を使って聖堂を破壊し、そのまま意識を失った。

 強すぎる力を使えば、我が身を滅ぼす事となる。宝珠は本来、聖女にしか扱えない。それを無理矢理巫女が使用すれば、体に異常が現れるのは当然の摂理せつりだ。

 目がいつ覚めるかも分からない状態だ。穢れを祓い、いつも通り起き上がれるようになるには、まだまだかかるだろう。

 用の済んだ巫女達が各自に一礼して下がる。少女も彼女達の後に続いて部屋の外に出ると、扉の横で静かに佇む女性が声をかけてきた。


芽依めい様」


 落ち着いた雰囲気といくらか幼さの残る声音が特徴的な女性だ。聖宮の中は部外者立ち入り禁止だが、王族の使いの者ならば、身分証明の提示によって出入り可能となる。

 彼女は何度か王の伝言を伝えに来た事があり、顔に覚えがあった。


「突然お声をお掛けして申し訳ございません」

「……どうかなさいましたか」

「陛下が、豊潤祭の件で芽依様にお話があるとおおせです。公務が終わり次第、王城へお立ち寄り下さい」


 通常、祭りや行事については王と祭司の意見で決定する。

 聖女は国の象徴のようなもの。

 祭司の決めた事に従い、己の意見は口にしない。いつも穏やかに慈悲じひの心で。

 だが当代の王は、自ら聖女である芽依に願い出る。芽依が拒否すればきっと受け入れるだろう。それが、特に芽依には顕著けんちょだ。

 裕祇斗ゆぎとの婚約者だからなのか、王と親交深かった祭司の娘だからなのか。王の真意は分からないが、芽依が意見を述べる事や、本来聖女は招かれない王城への出入りも、割と自由にさせてくれる。


「分かりました。公務が終わり次第、急ぎ参ります」


 芽依が了承りょうしょうの返事を述べると、使用人の女性は静かに礼をとって下がる。

 芽依は目礼のみ返すと、その場を後にし、枢のもとへと足を向けた。







 太陽が頂上の位置に達し、日差しが強くなった昼時。

 流石に暑いのか、上着の襟元えりもとを掴み、パサパサと振りながら、門番の仕事をこなすテヌートはため息をついた。


「あー……あちぃー……」

「今日は特に良い天気ですもんねー」

「子供は外で駆け回るもんなんだけどな。三津流がいるからサボれもしねぇ……」

「三津流様は外に出るとすぐに病気をわずらってしまわれるから。気の毒と言えば気の毒ですよ」


 テヌートの愚痴ぐちにも嫌な顔せず紳士しんしに答えるこの青年は、最近芽依の屋敷に派遣されてくる城の兵士の一人だ。名は雅弥まさや。まだ若く、見た目は二十代の姿をしたテヌートとそう変わらない。

 新参者であるがゆえ、テヌートにも緊張した態度で接していたが、最近になってようやく打ち解けてきたらしく、冗談も言い合える仲になりつつある。


「…………あ」

「ん?」


 突然何かに気付き、雅弥が声を上げる。その方向を向いたテヌートは、その人物を視界にとらえ、眉を寄せる。


杙那くいなさん」

「おはようございます。お二方ともお疲れ様です」

「お疲れ様です」


 元気良く杙那に応じる雅弥に対し、テヌートは無言のまま。杙那はそんな彼の態度を気にした風もなく、本題を切り出した。


「裕祇斗様から三津流みつるあてに手紙を預かって参りました。…………中に入っても?」

「……えぇ、もちろーーーー」

「ーーーーダメだ」

「……え?テヌートさん?」


 横から突然言葉をさえぎったテヌートに、雅弥はいぶかしげに首をかしげる。


「手紙は俺が預かる」

「……ーーーー」


 きょとんとした表情の杙那から手紙を抜き取ると、まだこちらを見つめる彼を見返した。


「…………まだ何か?」

「…………え……と。もし返事を書かれるようなら受け取っていかなければと」

「裕祇斗に伝えておけ。返事が欲しいなら、代理に頼まず自分で屋敷に来い、と」

「…………王子はお忙しいですので」

「三津流にはそんなの関係ないだろ。俺は、……お前を屋敷に入れるつもりはない」


 テヌートは杙那を見て、目をするどく光らせる。杙那はただ困ったように笑った。


「テヌートさんっ。それは流石さすがに失礼ですよ!」

「………………」

「あぁ、良いんですよ。では、私はそろそろ失礼致します。……三津流様に、お体にお気をつけ下さいとお伝え下さい。今は特に、風が冷たいですから」

「……ーーーー」


 杙那はそのままきびすを返してもと来た道を戻っていく。その後ろ姿をしばらく見つめていたテヌートは、ひゅ、と冷たい風を感じて視線をずらす。

 ……あっちは、いちのある方角だ。

 今は夏。日差しが暑く、風すら生暖かい。冷たさなど皆無かいむだったはず……なのに。

 市から流れてくる風が、異常にーーーー冷たい。


「………………」

「…………テヌートさん?」

「あ?」

「いや、あんなに露骨ろこつな態度とるの珍しいなって。杙那さんの事嫌いでしたっけ?」

「……いや…………別に。そういう訳じゃねーよ」

「え!?あれで?!」

「お前……」


 半眼になって雅弥を睨むも、彼は悪びれた様子もなく謝る。テヌートはため息をついてやりを持ち直し、前を向く。


「……まぁ、いて言うなら、あの笑顔が気に食わない。元から仲良くないし、喧嘩もしてねーよ」

「あー確かに。何考えてるのか分からないとこありますよね」


 雅弥は自分なりに納得したのか、笑顔で返す。テヌートはあきれ気味に応じたのち、少し視線を伏せた。

 地面を見つめ、ゆっくりと瞼を閉じる。



『…………約束、だよ……』



 姫の最期の笑顔が脳裏に浮かぶ。

 ……分かってる。どうして姫が、あんな約束をしたのか。

 分かってる……けど。いつも、考えてる事があって。でも、理解出来ない事もあって……。

 過去の自分の記憶。

 それにまじわる事すらない杙那の、あの笑顔を見るたびに。

 なぜ、何故だ……と。そればかりが頭をよぎり、表情をにぶらせる。


「…………お前は、何がしたいんだよ……」


 ぼそっと独り言のように呟くテヌート。

 だが、それを聞く者はなく、それ以上その話題に触れる事はなかったーーーー。

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