涵養のスヴィズ 1

 カラスに手紙を渡してから数時間後、結局彼は陽が沈むまで家の外に出なかった。軟弱な精神だ、バレないと言ってるのにな。

 昼食も夕食も、彼が買い置きしていたインスタントラーメン。ネギを入れたりソーセージを入れたりと、最低限の工夫はしていたが、つまらん食事だった。昼食の時にはわたしに気を遣ったのか、「シアも食うのか?」と聞いてきたが、この体の状態では必要ないと断った。

 夜が更けてきた二十三時、部屋の照明が明滅し始めた。

「電気切れてきたのかな?交換するか」

「必要ない」

「へ?」

「なにと?」

 わたしは彼の質問に答えるように玄関へと向かい、彼に扉を開けるように指示した。

 言われるがままに彼は扉を開けると、狭い駐車場の景色はそこにはなく、彼の知らない洋館が建っていた。

 空は一面夜空。絵に描いたような空だった。

「うっわ、なんだこれ?空はまるで・・・・・・何だっけな~、こういうの」

「ゴッホの星月夜だ。何年か前にテレビでやっていたぞ」

「そうそうそれそれ。あのぐにゃ~ってしたやつ」

「お前の芸術の表現はどうなってるんだ・・・・・・」

 しかし・・・・・・以前はこんな空ではなかったんだがな・・・・・・

 彼は初めて見るこの不思議な世界を歩き、洋館の玄関前へと辿り着いた。

 真っ黒で光沢はない、部分的にささくれているほどだ。傷んでいると言った方がいいだろう。

 扉を開けて中へと入る。開けた瞬間、扉が少し崩れた。「げっ」と彼の情けない声が漏れた。

 中の様子も酷いものだった。床は一面穴だらけ、豪華なカーペットも朽ちている、階段の手すりは一部から落ち、かつてはギラギラと輝いていたシャンデリアも、今では床に虚しく突き刺さっている。

 カビ臭さが鼻をつく、彼が口元を抑えていると、洋館の奥からカンテラを持った一人の女があらわれた。

「ようこそおいでくださいました、炎の魔術師様」

 そう言われた彼がわたしを見て、「え?俺?」と言ってきた。お前以外誰がいるのか・・・・・・ああ、わたしか。だが、彼女の視線はわたしではなく彼に向けられていたので、彼の脇を小突いて返事を促した。

「招待されたんだ、感謝しろ小僧」

「あー、えっと、お招きいただきありがとうございます?」

 はあ・・・・・・情けない、気の抜けた返事だ。

「みなさま既に奥でお待ちです。ご案内しましょう」

 そう言って彼女は踵を返し、来た道を戻り始めたので、わたし達はその後について行った。

 道中も酷いありさまだった。窓に掛けられたカーテンは全て破れ落ち、天井には大きな蜘蛛の巣があった。

「なあなあ」

 彼がわたしに小声で聞いてきた。

「なんだ?」

「すっげえさ、言い辛いんだけどさ、汚くね?」

「昔はこうではなかったんだがな」

「昔?来たことあんの?」

「ああ、だが、それがどのくらい前かは知らん」

「なんだそれ?」

「ホント、なんなんだろうな」

 しばらく歩くと、ひと際大きな扉が目の前に現れた。

「こちらでみなさまが、あなた様が来るのを今か今かとお待ちかねでございます」

 そしてゆっくりと、扉が開きだした。軋み、埃を舞い散らかして。

「みなさま、炎の魔術師様がご到着なさいました」

 彼は恐る恐る中へと入ると、そこには二人の人物が椅子に座っていた。

 一人は杖をついた老紳士、そしてもう一人は、テーブルに足を置き、非常に行儀の悪い小娘がいた。

 老紳士は優しい目で彼を向き、小娘は睨むようにした。

 彼はというと、すっかり固まっている。

 蛇に睨まれた蛙、ピッタリだな。

「さて」

 カンテラの女が口を開いた。

「それではこれより、『ゴエティア』開催の多数決を取りましょう」

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