六 蓬莱の島


 常望には、お互いの家を行き来する友人が五、六人いた。彼らはすべて華族であり、家の格相応に、厳橿公爵の取り巻きとして振舞うよう、親に言いつけられているのであった。

その彼の友人のなかでも、和泉財閥の分家である男爵家出身の和泉康彦という少年は、彼に遠慮を比較的しなかったので、彼は特に親しくしていた。

 学校で海水浴や遠足の催しがあると、和泉家は、系列の百貨店が所有していた荷馬車を御者付きで貸し出して、生徒たちの荷物を運ぶ用に供した。和泉家は、華族の中では爵位が最も低い男爵であったが、その巨額な納税に応じて授与された爵位であって、旧来からの華族の秩序とはあまり関係がない存在であったので、家の格が上の人々にあまり気を遣う必要を感じていないようであった。それに、華族で財政が逼迫した者は、和泉家に伝来の美術品を買い取ってもらったり、お金を融通してもらったりすることが頻繁にあったので、元の身分が商人だからといって華族の中で軽んじられるような存在ではなかった。

 和泉は、常望には敬語を使わず、同輩として話した。

「今度の日曜に、アメリカから取り寄せた映画をうちで見る催しがあるけれど、厳橿君も来ないか。喜劇ばかり三本手に入ったんだ。三田にできたばかりの、うちの迎賓館の広間でやるんだ。十二時に集まって、まずお昼をお出しして、それから上映の予定だ。集まるのはおれたちの同級生と、ミッション系の女学校の女の子が四、五人、それからアメリカ大使館の外交官の娘も三人ぐらい来る予定だ。」

「君はこういう話はいつも急だからな。自分は、家令に相談しないと、勝手なことはできないんだ。だから、あした返事をするが、それでいいか?」

「ああ、わかっているよ。即答できないのは知っているから、気にしないでくれたまえ。君のご身分は不自由なもんだ。おれは学校を出ちまえば、自分の会社で商売をやることに決まっていて、華族の皆さまの世界とはあまり接触しないで暮らせるけれど、君はずっとこの世界で不自由な暮らしが続くんだな。」

「ああ、それが自分の宿命だから、子供の時からもう慣れているよ。」

「お上のお近くで、生まれてから死ぬまで私生活なしで日本のお国に仕えるのだから、大したもんだよ。」

「自分でそうしたいと思ってやることではないんだけれどね。」

「いやいや、千年ぐらい、そういう役目をやってきた家の方でないと、勤まらないよ。うちだって、財閥の当主ともなれば、そうそう自分勝手ができなくて大変なんだから、推して知

 ところでね、この間、君とおれとの間に、畏れ多いことではあるけれども、共通点をみつけたんだ。」

「へえ、共通点ってなんだい?」

「それはね、二人とも、侍の家の出ではないというところさ。うちの学校の生徒は、半分以上は、旧大名か、維新の功労者の子供だろう。つまり、半分以上は侍なのさ。残りは、たいていがお公家さんの出で、うちみたいな商人は、まあ、お混ぜで入れてもらっているというだ。もっとも、うちの場合は、明治維新の時に、うちの番頭が官軍の行列の後ろについて、店の大八車で千両箱を運んで、路銀を立て替えたんだから、昨日今日の成金とはちょっと違うんだけどね。」

「なるほどね。自分のうちも公家の仲間だけれど、公家は、大名みたいに大きな領地や大勢の家臣がいるわけではなし、基本的には宮中で何らかの役目を割り振られて勤めている、役人だからね。前例と理屈がとても大事にされる世界だ。割り振られた役目は自分の私物ではなくて、自分勝手は許されない。自分は物心がついてから、ずっとそのように教えられてきたんだ。」

「お公家さんはそうやって暮らしているから、将軍や大名にお墨付きを与えることができるし、ありがたがられるんだね。でも、花は桜木、人は武士。私を滅して君主に仕え、武芸に専念し、いざとなれば刀を抜いて戦う。武士道とは死ぬこととみつけたり。まあ、お公家さんよりはわかりやすいし、商人よりも恰好いい・・・

しかし一言言っておくとね、うちが明治維新の時にお上にお金を用立てられたからこそ、日本は西洋の植民地にならなくて済んだのかもしれないよ。

 明治維新の話のついでに言うけれど、君も知っているとおり、版籍奉還の時に大名が土地をお上にお返しして、お上が在地の地主に権利を認めたから、政府は税金も収納できるようになったし、徴兵もできるようになったんだ。大名は、版籍奉還で抜け殻になったようなもんだ。領地の財政を自分の財産で賄わなくてよくなったから、助かった大名も多かったけれど、かわりに年金暮らしになったわけだ。権力者が抜け殻になると、たいていはお墨付きの仕事に回るわけで、その意味ではお公家さんの方が先輩格だな。華族が議員になっている貴族院というのは、政府のやることにお墨付きを与えることが存在意義だ。」

「君は相変わらず手厳しいな。言っていることはわかるよ。」

「ところで、公家だ、大名だ、侍だ、いや金持ちだ、といろいろ世間では言うものの、学校の中だから大きな声では言えないけれど、おれの意見では、男で本当に一番なのは色男だよ。こればっかりは、家柄ではどうしようもないからな。色男、金と力はなかりけり。たとえば、色男で有名な在原業平はお公家さんだったけれど、あの人は無官の大夫だから、金と力はなかったわけだ。君にはそっちの資格もありそうだから、羨ましい限りだね。

まあ、閑話休題として、うちの学校は、おれも含めて、お公家さんだろうと侍だろうと、卒業後の身の振り方を他人に決められてしまっているのは、みんな同じだ。陸軍に行きたいやつが、海軍に行かされる。数学をやりたいやつが、法科に行かされる。まあ、うちの学校に限らず、世の中そういうものかもしれないけれどね。」

 常望と和泉とは、よくお互いの身の上の定めがわかっていたので、このような会話をしばしばする仲なのであった。

常望は、自分の屋敷の中では、彼は人形蒐集をあい変わらず続けており、その頃には世界中から集まった人形は百体を越えていた。彼は、人形蒐集については、学校の誰にも言ったことがなかった。

 彼はドイツ製のカメラを入手して、人形の写真の撮影にも凝るようになった。彼は、フラッシュは持っていなかったので、日中に人形を縁側に出して、デッサンしていた時のように様々な姿態をとらせて、写真に収めた。

彼は、そのカメラでは、人形以外には、風景を撮影することはあっても、人間を決して撮影しないのであった。女中のハナに、なぜ人間を撮らないのか尋ねられると、彼はつぎのように答えた。

「人間の写真を撮ると、数年後にその写真を見た時に、実際の本人が年をとったことが、写真と本人とを比べるとどうしてもわかってしまう。それは本人にとって楽しいことではない。」

 本当のところは、彼自身が自分の写真を好まないのは、自分が年を重ねたことがわかるのが嫌だからというのではなかった。彼には、後日写真を見て振り返りたくなるような懐かしい思い出に心当たりはなく、まして一緒に写真を眺めて過去を懐かしむ人もいなかったからであった。自分は幼少の頃から写真を数多く撮られてきたが、自分からそれを取り出して見てみることはなかった。そもそも自分の姿を見るのが嫌であった。彼は、自分の写真の顔には、例外なく、べそをかいたような表情を見出すのであった。

 彼の蒐集した人形の一つに、メキシコ製の操り人形があった。それは大きな帽子を被った男の人形で、その頭と手足に糸が付けられていて、操れるようになっていた。常望は、その人形の黒く太い眉と褐色の細長い顔が、どことなく、死んだ山本青年に似ているように思えたので、この人形に「山本さん」という名前を付け、幼い時に自分が最初に入手した人形である御所人形の隣に陳列し、出版した山本青年の遺作「時雨雲」をその前に置いて、時々茶菓子を供えた。「時雨雲」は、世間に好評を博し、ほどなく浪曲師の金看板として著名な雲中軒桃助が浪曲に仕立てて全国で演じて回った。その印税は、日露戦争で夫を亡くし、一人息子に先立たれた山本青年の老母の生活を潤した。

 彼は、外国の百貨店の店頭に並んでいるマネキン人形を五体ほど手に入れた。

 いずれも、金色や銀色や栗色など、髪の色も異なり、髪型もそれぞれ異なった鬘をつけたものであった。手足は、胴に根の部分が嵌め込まれていて、ある程度いろいろな向きに変えることができた。マネキン人形はいずれも裸体であって、それぞれのまとうべき洋服は、船便の荷物では別に梱包されていた。

 彼は、マネキン人形にさまざまなポーズをとらせて、デッサンを始めた。彼は、人形の全体像を描くこともあったが、その体の部分、たとえば手の指先や、足のふくらはぎや、耳元といった、体の端部ないし端部に隣接した箇所を拡大して、写実的に模写することを好んだ。彼は、マネキン人形の豊かな髪をたたえる鬘を頭から外して、その西洋的な濃い化粧の瞼から、額を経て、光沢のある真っ白の頭皮に視線を移した時、心臓が早鐘のように打ち始めると共に、痛みを伴うような喜悦を感じた。

 彼はその鬘を自分が被ると、裸の人形に、まず自分の下着を、つぎに自分の制服を着せた。

 彼の服をまとった坊主頭の人形は、まるで少年のようであった。彼はその姿を見ながら、心中で、

「男関係のふしだらな女が、とうとう悔い改めて、女であることを辞めた。」

というストーリーを想像した。そして、その人形を自分の体の下に敷いて、女の決意を称賛する気持で、頭の頂部から愛撫を始めた。

 彼は、次いで人形の洋服をゆっくりと脱がせて行った。

 まず詰襟の制服の襟を緩めて、白く見える肌に右手を差し入れ、左手でほかのボタンを外した。その下の白いシャツも同じように脱がせて行った。そして、ベルトに手をかけて、ズボンのさらに下の下着に震える手を差し入れた。

 彼は、この人形こそが自分であって、人形を称賛しながら愛撫している自分は彼の母親である、という想像をした。

 彼はその想像に至った途端、突然その行為をやめた。そして、そそくさと鬘を外し、人形を元々の形に戻した。彼は、それ以上に行為が進むことは、およそ為すべからざる不道徳なことだと意識していた。

 彼は、若武者の能面のような端正な顔に何の表情を表すことなく、このような行為を、何かの儀式のように、人の寝静まった夜にしばしば行うのであった。そして毎回、突然にその儀式を切り上げてしまうのであった。 

 彼は、思春期の盛りになっても、女性への興味が起こらなかった。彼としては、男性の欲情というのは、女性を生き人形にして弄びたいという、万能感を求めるものであって、それならば何も生きた人間を相手にすることは必要ではないと思っていた。それだけでなく、彼は、自分のような、生まれ出て周囲の者が扱いに困るようなものが生殖によって再度生まれることは、想像するだけで嫌であった。しかも、自分たちの世界では、生殖は、その通常的な在り方においては、周囲の人々の監視の下の公式行事であり、彼らにとって、その家に後継ぎが生まれることや、お后の候補になるべき姫が生まれることや、そもそも何家と何家との間で子供が生まれること自体が、自分たちの利害に関わる関心事であった。つまり、貴人というものは、衆人環視の下で伴侶と床を共にする宿命にあった。それは人間としては、恥ずかしいことにはちがいがなかった。そのため、そういう貴人は、自分の欲望を隠すか、他愛のないものに見えるように形を変えるかして、衆人の目から自身を守らざるを得なかった。高房公爵と母梅子の間のような婚外の男女関係であるとか、あるいは、自分の通う貴人の学校でしばしば噂を聞く同性愛の関係であるとかは、私的なものであったが、それは多くの場合、当人たち以外の周囲の人々にとっては、ありうべからざる迷惑であった。彼は、自分は生き人形として、周囲の人々による人形遊びに使われるのが宿命であって、そういう自分が、通常的でない私的な欲情を断念して、他愛のない人形遊びで満足できていることに、誰にもとやかく言われる筋合いはないと思った。早熟な彼は、自分の人形への執着の意味をこのように理解していた。そして、彼にとって、山本青年のような本気は、この微妙な平和を揺るがすものであった。彼は、その本気が不発弾のようにいつか暴発することを、たぶん無意識のうちに恐れていた。

 彼は、眠るとよく夢を見た。夢には幼い時に経験した光景が現れることが多かった。ことに、六歳の頃、祖母のイトと共に、神戸から汽船に乗って四国の金毘羅権現に参詣した時の光景は、繰り替えし夢に現れた。古来、金毘羅権現に参詣できない人が、自分の身代わりに、奉納品の入った樽を船から海中に投じる、流し樽という儀式があった。樽を拾った人は、金毘羅権現にその樽を届けて、参詣できない人の代参をするという仕来りであった。そうすることで、参詣できない人も、代参した人も、心願がかなうと言われていた。すなわち、流される樽は、参詣できない人の身代わりであった。常望が乗船した時には、特に厳橿公爵の孫である自分のために、漁船が五隻ほど出て、流し樽の儀式を汽船の船上から見せてもらったのであった。奉納の文字を書いた旗の立てられた樽が波間に浮き沈みする有様を、彼は何度も夢に見た。彼は、そのたびに、自分がなぜこの夢を繰り返し見るのか、自問自答するのであったが、答えは見つからなかった。

 常望と深草公爵家との交流は相変わらず続いていた。良房は快活で単純な性格で、屋外の遊戯を好み、常望とは話が合わなくなってきた。公子は、常望の家を訪れた時には、人形遊びの相手、すなわち人形の撮影の助手を務めた。常望は、公子と自分とが父親が同じであることを知っていたが、彼は公子もそれを知っているかは、敢えて確かめようとしたことがなかった。

 常望の母の梅子は、山本青年が死んで間もなく、駐日の外交官のパーティーで知り合ったらしい、英国人の宣教師だという金髪の若い男をしばしば自宅に呼ぶようになった。梅子は常望にその男を紹介したが、常望は彼がしきりに下がかった英語の冗談を自分に聞かせて、笑わせようとするのがいやであった。それに、その男は、伝道師であるのに、一度もバイブルを持参しないのも、常望には不思議であった。その男は、一年ほどすると、本国に帰ると言い出して、紅涙を絞って別れを惜しむ梅子から多額の餞別を受け取った。

 ところが、その後しばらくして、厳橿家の使用人がたまたま休暇で横浜の寄席に入った。その使用人は、舞台の上で、その男が赤い派手なタキシードを着て、手品の芸を見せているのを発見して驚いた。その使用人の報告で、家令の林が手を回して調べたところ、その男は伝道師ではなくて、世界を渡り歩く手品師であることがわかった。彼は多額の餞別をわずかな日にちのうちに博打や女遊びで使ってしまって、本国に帰る旅費もなくなり、やむなく手品師に戻っていたのであった。林は九重公爵と相談し、この男が梅子との関係を日本で口走ることを危惧し、船のチケットを買い与えて、もう一度いくばくかの金銭を持たせて、本国に帰すことにした。林は、彼が船に乗って横浜を離れるのを、港でしっかりと自分の目で見届けた。

梅子は、それからは、ある相撲の力士を贔屓するようになった。その力士は、白星はあまり上げないが、大銀杏の髷が色白の餅肌に似合った、芸者衆にもてる男であった。梅子の父の九重公爵は、力士が相手であれば、決闘事件や詐欺事件の心配もなかろうと、林と相談して、梅子が贔屓になるように段取りしたのであった。

 常望は、九重公爵の希望の通り、学習院を卒業すると、第一高等学校に入学し、将来は大学の法学部に進学することになった。彼は高等学校には正規の試験で合格したのであって、身分への特別な配慮を受けて入学したわけではなかった。

 第一高等学校は本郷の向丘にあった。常望の入学の前年まで校長を勤めた新渡戸稲造の方針で、国際的な教養を身に着け、個人として自立した紳士を育成するという方針で、校内では寮による学生の自治がかなりの範囲で認められた。その自治の中で、一高の学生たるもの、学校には裏口から出入りするべきではなく、全員堂々と必ず正門から出入りするべしという、「正門主義」が標榜され、将来の国を担う人士としての自覚をもった学校の運営がなされていた。

 常望は、公爵家の当主という身分のため、特例として入寮しなかった。本人は入寮を希望したのであったが、九重公爵が文部大臣とそのように取り決めたのであった。

 学習院から一高に進んだ者の中に、下級公家の血を引く船橋と、長州の下級武士で維新の勲功により華族に列せられた元勲の孫である関沢との二名がいた。彼らは、常望の傍に常に付いて、常望にふさわしからぬ学生を接近させないように、言い含められていた。

 そのため、常望は、一高名物の、寮の中でバンカラな先輩が後輩に夜襲をかける「ストーム」も、寮に入っている船橋と関沢から話として聞くだけであった。

 一高生の中には、国権の伸長やアジアとの連帯による欧米への対抗を主張する、いわゆる国士肌の学生が何人もいた。彼らは、常望すなわち厳橿公爵が、当時国粋主義の総帥と目されていた九重公爵の孫であることを知っていて、彼に接近することが、九重公爵に接近することであると考えた。彼らは自分たちの勉強会にしきりに常望を誘った。常望は、自分の名前が政治的に利用されることの危険性を知っていたので、身代わりに船橋や関沢を立てて、彼らとは距離を置いた。

 しかし、身代わりで勉強会に出ていた二人のうち、関沢は会を重ねるごとに、国粋主義を標榜する学生たちの主張に染まって行った。

彼は、学生たちの主張を、つぎのように理解した。

 日本の問題は、せっかく明治維新で士農工商の身分を排したはずなのに、その代わりに金権が幅をきかせるようになったところにある。金権の背後には、それを操る欧米の利権がある。国民全員が平等の資格で一つの国家の一員となり、アジアでの欧米の支配を排除し、東洋の盟主となることこそが、日本の貧しい民衆を救済する唯一の道である・・・

ところが、船橋は、関沢と異なり、この主張に染まることはなかった。彼は、彼らの主張のなかに、自分がその中に属している支配層、すなわち華族や旧家を含む名族への反逆を感じた。二人は常望の前で、議論をするようになった。

「関沢、君はいつも、日本の貧しい民衆のためにという言い方をするが、日本の民衆は、おれたち名族の味方なのか?おれは、味方ではないと思う。かといって、敵だという意味ではない。おれたちが良識をもって民衆を支配してこそ、日本が成り立っているということを言いたいのだ。そうしないと、国際協調や近代化とは逆向きの世の中になって、世界から孤立するぞ。日本はこれだけ文明が発達したから、今更鎖国の時代には戻れない。」

「船橋は西洋かぶれしているのではないか?日本の国柄は、輸入した法律なんかで変わるものではない。鹿鳴館を作ったり、憲法を作ったりしたのは、不平等条約を改正するための方便にすぎない。彼らの建前は美しく聞こえるが、植民地で彼らがやっていることは、その建前とは全然違う。阿片戦争を思い出すだけでも明らかだ。」

「日本の国柄というのは、家の制度ではないか。家の中には秩序があり、家と家の間でも秩序がある。皇室を頂点にした家の秩序を支えるのが、皇室の藩屏としてのわれわれ名族の役割だ。それがすなわちお国のためなのだ。」

「おれは民衆あっての国家だと思う。民衆と一口に言うが、親があり、子があり、兄弟があり、人間としてはおれたちと違うところはない。日本国民はみんな一つの家族であるべきだ。」

「おれたちの家族は、まずは、自分の所属する家のことではないのか?おれであれば船橋家であり、君であれば関沢家ではないのか?」

 常望は、二人の果てしのない議論を、いつもは黙って聞いているのであったが、この時彼はつぎのように独り言を呟いた。

「家族って、何だい?」

 船橋と関沢は、常望のこの言葉を聞いて、思わずお互いの顔を見合わせた。

 二人は、常望が、物心のつかないうちに父母と別れて育つ生い立ちであったことを思い出したのだった。関沢は、家族の情というものを知らない常望には、自分の主張は、たとえ言葉では理解しても心の内に響くことはないであろうことを直感した。一方、船橋は、常望には、血筋としては近いはずの名族といえども、それが自分の家族だという意識がなさそうであることに、一抹の不安を覚えた。船橋は、常望が、自分たちの階級の代弁者として頼りにできるような存在とは、どうやらほど遠いことを感じ始めていた。

 常望は、自分はいつも一人であり、望まずして公爵となり、公爵に相応しい振舞いを常に期待される生き人形であり、自分に自由になるのは人形とピアノぐらいだと思っていた。彼には、名族も民衆も、どちらも自分とは隔てのある他人であった。彼は、自分の仕事は周りの振り付けた通りに演じてみせることであり、そのように演じさえすれば、自分の義務は果たしたことになる、それ以上のことは自分の義務ではない、と考えていた。

 彼は第一高等学校から、東京帝国大学法学部に進学した。

 彼が三年の夏休みのことであった。常望は毎年の夏の恒例どおり、葉山の九重家の別荘に滞在した。

 葉山の別荘からは、相模湾が見渡され、夕方には金色の相模湾の、江の島のかなたに沈む夕日が望まれた。

 ある晴れた朝、常望は、江の島まで自転車で遠乗りすることにした。

 彼は、まだ暑くなる前の早朝に別荘を独りで出発して、逗子から鎌倉の材木座の海岸を通り、江の島に向かった。自転車の遠乗りは、常望のたっての希望で、従者なしで行われることが慣例となっていた。彼は、家令の林があらかじめ地元の警察署に連絡して、常望が安全に道中を過ごせるように辻々の交番に手配していることは承知していた。

 彼は、江の島の青銅の鳥居を潜り抜け、石段の前の茶屋に自転車を預けると、石段を昇って社で柏手を打って参拝した。

 それから、山道に入って、江の島の最奥にある岩屋の方に向かった。

 彼は、岩屋の手前の、稚児が淵を見下ろして視界の開けた場所で立ち止まった。

 そこには、江戸時代の漢詩人として著名である服部南郭の詩碑があった。

 詩碑にはつぎのような七言絶句が刻まれていた。


題石壁 服部南郭

風濤石岸鬪鳴雷

直撼樓臺萬丈廻

被髪釣鼇滄海客

三山到處蹴波開


石壁に題す

風濤石岸 闘(あらそ)いて雷を鳴らす

直ちに撼(ふる)わす 楼台の万丈にわたり廻(めぐ)るを 

被髪にて鼇(かめ)を釣る 滄海の客

三山 到る処 波を蹴りて開く


 常望は、この漢詩をノートに書き取ると、別荘に帰ってから和韻を試みようと思った。和韻とは、ある詩に使われている韻と同じ韻の詩を作ることである。南郭のこの詩は灰韻であり、常望は、同じ灰韻を使った詩を作ろうと思ったのである。

 彼は、ノートに書き終えて顔を上げると、一人の若者が山道を神社の方向から歩いて来るのに気が付いた。その若者は、絣の浴衣に夏袴を着け、鳥打帽を被っていた。

常望は、その若者の顔に見覚えがあった。彼は思わずその若者に声を掛けた。

「失敬、君は一高で、たしか理科系の・・・」

 若者は、常望に答えた。

「はい。あっ、君は厳橿君ですね。」

「僕のことを知っていましたか?」

「もちろんです。僕は野村務と言います。」

 常望は、野村という名前を聞いて、彼が一高では理系に籍を置いていて、数学の成績が学校で一番で、天才と噂されている男であることを思い出した。

 常望は、野村の後ろから、手拭いで顔を隠し、地味な深緑色の麻の着物を着て、はだしで下駄を履いている娘が付いて来ているのに気付いた。

 野村は、常望に言った。

「これは僕の姉です。」

「家族で江の島に遊びに来ているんだね。」

「・・・いえ、姉と二人です。」

 野村はこのように言い淀んだが、このままでは、二人の関係が正しく理解されないかもしれないと考え、思い切って話し始めた。

「すでに噂はお耳に入っているのではと存じますが・・・」

「君が数学の天才だということは聞いているが・・・」

「・・・たぶん噂がいずれお耳に入ることでしょうから、隠し立てしないでお話いたします。姉は、昨日は紋日で休みだったので、江の島で僕と会うことにしたんです。」

「紋日、というと・・・?」

「姉は藤沢の芸者置屋におります。花柳界では、休みの日を紋日というのです。今日の午後三時ぐらいまでに店に帰ればよいことになっているので、こうして江の島を散策しているのです。昼前には置屋の男衆が迎えに来ます。」

野村は、ためらいながら、小さな声で付け足した。

「僕の学費は姉が芸者になったお金なのです」。

 野村の姉は、手拭いを外すと、常望に深く頭を下げると、頭を上げないまま数歩下がった。常望の目には、一瞬だけその女の白い額だけが映った。彼は、彼女の姿に、文楽で遣われる、娘の操り人形を想像した。

「姉は厳橿君にお目通りが叶うような者ではございません。どうか失礼をお許しください。」

「そんなことは気にしなくていい。君は苦学生だね。自分は知らなかった。」

「僕は姉のお蔭で勉強していますが、早く姉を今の境涯から出してやりたいと思っています。姉のいる置屋の主人は、僕が医者になって遊郭相手の産婦人科病院を開業するのであれば、その時には開業資金を応援するし、姉を返してもいいと言って来ました。自分は、今から医学部に転部しようかと考えています。」

「君は数学者にならないのか?」

「僕の父母はもう他界していますので、姉だけが身寄りなのです。僕の家は、元は小田原藩の足軽でしたが、明治になって家禄を失ってからは、わずかな地面を手に入れて茶の栽培をしていました。僕が子供の頃に父が他界してから、その地面を切り売りして生活していたのですが、四年前に母が亡くなってからとうとうそのお金も底をついてしまって、借金をする羽目になり、結局金貸しの差配で、姉が芸者になることになったのです。置屋から前借したお金で金貸しの方の借金を返すと、少しばかり残りましたので、それが僕の学費になっています。姉は、僕が志を遂げるために芸者になったのだから、それを貫いてほしいと言うのですが・・・」

 常望は、その話を聞いて、野村の姉弟に、普段感じたことのないような親近感を覚えていた。彼は言った。

「実は、僕の血の繋がった祖母は、花柳界の出身なんだ。その兄が幕末の志士で、その志を遂げさせるために、君のお姉さんと同じ境涯に入ったんだ。このことは祖父の伝記に遠回しに書いてあることで、華族の世界ではみんな知っていることだから、何も隠し立てすることでもない。お姉さん、頭を上げて、こちらへいらっしゃい。」

 野村の姉は、下げ続けていた頭をゆらりと上げると、野村の背後に近寄った。彼女が背中を伸ばすと、初めの印象とは異なり、背が野村と同じ位で、女性としては高い方であった。その顔はやや長く、大きめの目は二重瞼であった。常望は、もう何年もお客に笑みを見せて商売してきたと思われる彼女の目が、この場所ではない、遠いかなたに視線を向けている印象を与えるのを覚えた。彼女は、常望に対して、初対面の客に対して普段するように仕込まれている芸者流の挨拶をしてよいかどうか迷って、ぎこちない表情をしていた。

「野村君、お姉さんの名はなんというの?」

「サキと言います。」

「サキさん、遠慮はいらないから。普通にしていればいいんだ。」

「姉さん、この方は厳橿公爵閣下で、一高でおれと同級だった方だ。ただの学生とは全然違うご身分なんだ。」

 サキは遠慮しながら口を開いた。

「・・・弟がお世話になっております。恥ずかしいお話をお聞かせいたしまして、お耳汚しでございました。」

「自分の話は聞こえたでしょう。あなたは自分の祖母と同じ境涯なのだから。」

「畏れ多いことでございます。同じなどとは、とんでもございません。」

「そろそろ十時だ。昼前に迎えが来るんでしょう。野村君、折角だから、みんなで岩屋を見物して、そこから船が出ているから、それで島の入り口まで戻ろう。」

 江の島の岩屋とは、海岸に口を開いた洞窟で、昔は修行者が洞内で修行をしたと伝えられ、奥には祠が祭られていた。三人は案内人から紙燭を借りて、奥に入るに連れて暗さを増す洞内に入り、祠に参拝すると、また同じ道をたどって洞窟の入り口に戻った。そして一同は洞窟の入り口で客待ちをしていた渡船に乗った。

 常望が言った。

「今日は波が静かだから、船が揺れなくていい。サキさん、船に乗ったのは初めて?」

「いえ、お客様のお伴で何度か。御前様は?」

「サキさん、爵位がある人は御前様と呼ぶように教わっているんだろうけれど、僕にはそんな呼び方をしなくていいんだ。僕は池でボートを乗ったり、小さい頃には瀬戸内海を汽船で渡ったり、何度か船には乗っている。」

 その時、一つ大きな波が船を揺すり、しぶきが三人の方に懸かってきた。

 サキは、船端に近い常望の前に自分の体を差し入れて、しぶきが常望に懸かるのを防ごうとした。すると途端にしぶきがサキの顔にかかり、その拍子にサキが抱えていた風呂敷包が海に落ちた。

「あっ、姉さん・・・」

「船頭に拾わせよう。」

 常望は船尾で櫓を操る船頭に、船を止めて風呂敷包みを拾うように命じた。

 薄紫色の風呂敷包は、波間を漂って、浮いたり沈んだりした。

 常望は、この有様を見て、夢で見た金毘羅権現に奉納する樽も、丁度このようであったのを思い出した。

 船頭は手慣れた様子で、竹竿をたぐって風呂敷包みを引き揚げた。

「まことにあいすみません。わたしの不注意で、ご迷惑をおかけしました。中身は大したものはなかったのに、申し訳ございません。」

「いや、自分が濡れないように防いでくれたのだから、申し訳ないのは自分の方だ。」

「姉さん、和歌のノートが助かってよかったじゃないか。」

 常望はサキに尋ねた。

「サキさんは和歌を詠むの?」

「はい。置屋の方で、日本画の稽古がありまして、そこに何か文字を書き添えると風流が増しますので、詠むようになりました。」

「ふうん、どんな和歌を作ったのかい?」

 サキはもじもじして、なかなか答えなかったので、野村が促した。

「姉さん、きのう作ったのでいいから、申しあげてみて。」

 そこでサキは、歌で鍛えた、普段の話声より幾分高い美声で朗詠した。


 寄せ返す 夏の渚の思ひ出は 黄金の波に 浮かぶ島影


「サキさん、きれいな詠み口ですね。自分もノートに書き取っておきましょう。そうだ、サキさん、僕のノートに書いてくれますか?」

 サキは、常望の差し出すノートの一ページを使って、彼の万年筆を使って、大きな行書体の文字で、自詠を書いた。

 彼女は、歌の次に、「玉龍」と添えた。

「玉龍というのは?」

「わたしの源氏名です。相模楼の玉龍と申します。いつもこのように源氏名を添えるので、今もつい添えてしまいました。」

「姉は藤沢で一、二を争う名妓玉龍で通っているんです。だから紋日明けにわざわざ男衆がここまで迎えに来るんです。」

「それならば、その相模楼の座敷で玉龍さんを呼べば、会うことができるのか?」

「それは厳橿君ならばできるでしょう。玉龍の花代は二時間で警察官の月給と同じだとうかがっています。私は座敷で姉と会ったことはありません。たぶん、座敷では今とは全く違う様子で現われはずです。」

「その花代で野村君の学費が出るのではないか?」

「いえ、それは置屋と衣装を調達する呉服屋がほとんどとってしまいますので、姉にはほとんど渡ることはないのです。」

「ああ、そういうものなのか・・・」

「若様、恥ずかしいですから、わたしをお座敷に呼んだりはなさらないでください。どう振舞ってよいかわからなくなってしまいます。」

 常望は、サキの目を見て言った。

「踊りを踊って、歌ってくれれば、それだけでいい、と言ったら?」

「それだけならば、何とか勤まるとは思いますが・・・・やはり、恥ずかしいです。」

「野村君、それならば、どうすればサキさんとまた会えるのか?」

 野村は、常望の言葉にはっと気が付いて、動揺した。

「厳橿君、僕が姉をあなたに紹介したことが、大学やあなたのお取り巻きに知られたら、大変なことになってしまう。お願いです。三人で会ったことは、なかったことにしていただけないでしょうか?」

 常望が尋ねた。

「サキさんも、それでいいのですか?」

 サキは、黙って頷いた。彼女の耳の根は紅潮していた。

「わかりました。自分は生まれてからこのかた、およそ人との縁が薄いので、こういうことは慣れています。サキさんが書いた和歌を、サキさんの身代わりと思って大切にします。だから、サキさんも、これを受け取ってください。」

 常望は、万年筆をサキに差し出した。

 サキと野村はしばらく顔を見合わせていたが、やがて野村が受け取るようにサキに促した。

 サキは、右の袂を袱紗代わりに両手で広げて、万年筆を丁寧に受け取った。

「わたしのような者には、まことにもったいないことで、ありがとうございます。」

 間もなく渡船は江の島の入り口に到着した。

 常望は先に岸壁に上がると、自分の右手でサキの右手をとって、岸壁に引き上げた。

 サキは岸壁に上がると、常望の放した自分の右手を、左の掌で大事そうに包んでそっと胸に当てた。

 常望はサキに言った。

「ご縁があれば、またお目にかかりましょう。」

 サキは、いつも遠方に向けているように見える視線を、常望の目に合わせて言った。

「お目にかかることはもうたぶんございませんが、どうかご息災にお過ごしくださいませ。」

 サキは迎えの人力車に乗り込んだ。車夫が梶棒を上げて車を出すと、野村はほかの男衆と一緒に人力車について歩いて行った。

 常望は、またいつものように、親しくなりかけた人が自分から離れて行く寂しさを、諦めの気持ちで味わった。

 彼は、また自転車に乗って夕刻に別荘に戻ると、平常の生活のリズムに自分を預けることにした。

 彼は、入浴と独りの夕食を済ませると、服部南郭の漢詩への和韻を行うことにした。

 彼は韻書と漢和辞典とを繰りながら一時間ほどかけて、つぎのような漢詩を仕上げた。


江嶋

  和服部南郭先生題石壁 押灰韻

仙靈感應白龍堆

衆庶稱揚其辯才

詩客逍遥鍾愛處

金波灣内擁蓬莱


江の島

服部南郭先生の石壁に題するに和す

仙霊感応し 白龍うずたかし

衆庶称揚す その弁才を

詩客逍遥す 鍾愛の処

金波 湾内に 蓬莱を擁す


 午後九時前に、常望の部屋を家令の林が訪ねた。林は一日一回は当主と顔を合わせることになっていて、前日から財政関係の事務処理で東京に一旦戻っていた林がその日に常望と合わせるのは初めてであった。

 林が東京での事務の進捗について要点を常望に報告した後、常望はつぎのように切り出した。

「林、ところで一つ尋ねたいことがあるんだ。九重公爵は、東洋育英財団の理事長を勤めておられると聞いているが、どのような財団なのか?」

「はあ、成績の優秀な学生に奨学金を貸し付けております。」

「その財団には当家も資金を出しているのか?」

「はい、先代様の時にご案内がございまして、出資口がたしか十口のうち、一口を出しています。九重家がたしか五口、あとは九重家のご親戚筋が一口ずつお出しになっています。」

「数学を専攻する学生にも貸し付けはできるのか?」

「はい、財団でお願いしている先生方による評議会で認定すれば、できるはずでございます。」

「大学卒業までの学費と生活費相当の貸し付けになるのか?」

「先日小生が当家の代理として財団の会議に伺った時にお聞きした話では、費目は分けないで、総額でいくらと決めて、月額に分割して出るはずでございます。」

「自分の推薦の学生であればどうか?」

「まずは認定から外れることもございますまいが、お心当たりの方がおられるのでございましょうか?」

「数学の天才が高等学校の同窓にいるのであるが、資金的に困っていて、進路を変えようと悩んでいると聞いた。」

「恐れながら、学校の同輩の方をご推薦遊ばすこととなりますと、下々に申す、いわゆる、一人が二人になり、といったことも考慮にお入れ遊ばすことが肝要かと存じます。」

「自分がこれまで林に折り入って頼んだ事は、ロシアの王女がかつてお持ちであった機械仕掛けの人形を探してもらったことぐらいしかないではないか。決して野放図に対象を広げることはない。このまま進路を変えてしまうのは、わが国の損失と思うから、手配を頼んでいるのだ。野村務という者で、帝大で数学を専攻している。ぜひ生活の苦労をさせずに、大成させてやりたい。育英財団は、厳橿の名前が表には出ていないから、二匹目の泥鰌を狙って自分に接近する者も現れないであろう。」

「尊いお志と拝察し、ご趣旨承りました。財団と相談して、手配を試みます。」

 常望は、野村へのこのような肩入れは、自分が漢詩で表現したように、類まれなる才能を惜しむからであって、決してサキがその動機になっているのではない、と自分に言い聞かせた。

 翌日、常望は出入りの美術商の備前屋に電話をかけて、文楽で遣う娘の操り人形を何体か持参して自分に選ばせるように依頼した。備前屋は、文楽人形は市場にはなかなか出物がないので、少し時間をもらいたい、徳島県あたりを探してみる、と答えた。 

 その次の土曜日の夕方には、和泉財閥が大磯に新築した別邸の披露パーティーがあり、常望は招待を受けた。

 別邸は、大磯の小動の海岸より少し西の浜辺から後ろの山にかけての、漁村が一つすっぽり入りそうな広大な敷地を有していた。その敷地内には、洋館と日本家屋があり、建物の南側に西洋庭園と日本庭園が広がり、その先が砂浜になっていた。

 西洋庭園のパーゴラには、主賓の席が設けられていた。

 庭園には立食の用意がなされ、あちらこちらにおでんやかき氷といった模擬店が配置されていた。

 主賓は駐日英国大使で、常望の席はその隣に用意された。

 当主の挨拶、大使の答辞等の儀式が終わると、食事が始まり、英国大使は常望にしきりに英国への留学を勧めた。やがて常望は、頃合いを見計らって、いつものようにそっとメインテーブルを離れて、三百人ほどの招待客のさんざめく庭園を抜けて、浜辺に出た。

 常望は、相模湾に沈む夕日に赤く染まる山並みを見て、しばらく浜辺のベンチに座っていた。

 常望は、浜辺に一人先客がいるのに気が付いた。それは和服の婦人のようであったが、常望が浜辺に現われると避けるかのように庭園に戻って行ったので、常望はその顔を見ることはできなかった。

 彼は、その婦人が立ち去った浜辺でしばらく紫色に変わって行く空の色を眺めてから、ベンチから立ち上がると、庭園に戻った。

 彼は、庭園の模擬店の間に、手品師や曲芸師が芸を披露しているのを横目で見ていたが、やがて、席画の芸を見せている机の前で立ち止まった。

 席画とは、客の注文で即席の日本画を描くものであった。

 席画の芸を見せているのは、島田に結った芸者風の婦人であった。

 常望は、その婦人が先ほど浜辺で見た婦人ではないかと思って、見物客の肩越しに覗いて、その婦人の顔を見て、心の中であっと小さな声を上げた。

 それはサキ、すなわち、藤沢の芸者玉龍であった。

 その婦人の姿をじっと見つめる常望に、相模楼の文字のある法被を着た、玉龍の付き添いの若い衆が声をかけた。

「若旦那、ご希望があれば、この玉龍に絵を描かせますから、ひとつ、おっしゃってみてください。」

 その時、玉龍は机から顔を上げて、常望の顔を見たが、彼女は驚く風も見せなかった。

 常望も、人前ではいつもそうであるが、表情を変えることなく、玉龍に言った。

「それならば、大磯の夏の夕景色を。」

 玉龍は小さく頷くと、紙の上に、まず紫で空を塗り、その下に黒で山々を描くと、その上を山の輪郭に合わせるように朱色で彩った。そして濃い藍色で海を塗ると、一艘の船を添えた。その船は、常望には、江の島で乗った渡船のように思えた。

 絵は十分もかからないうちに出来上がった。

 玉龍は、絵を描き終わると、余白につぎのような歌を、御家流の草書で書き添えた。


むらさきに くるるなぎさを ながめつつ ふねにゆらるる かのひしのばむ


 相模楼の若い衆は、玉龍が絵を描いている間に、この別荘の使用人に尋ねてこの客の身元の確認を済ませていた。

「若旦那、この絵は後で表具を付けて、葉山のお屋敷にお届けしやす。葉山から藤沢は近うござんすから、ぜひ一度、相模楼にご登楼あすばして、玉龍をお召しになりますよう、お待ち申しあげておりやす。」

 常望は、黙って頷くと、玉龍に向かって、

「ありがとう。」

と一言だけ言葉をかけた。

 玉龍も、

「ありがとう存じます。」

と一言だけ返した。

 二人の目が合ったのは、玉龍が深い礼をしてから顔を上げたほんの一瞬だけであった。

 常望は、その場を立ち去りながら、やはりこの人ともすれ違ったのだなと思った。彼は、およそ人との縁の薄い自分の宿命を、これほどさびしく思ったことはなかった。

 それから数日して、常望が人形の探索を依頼していた美術商備前屋が、唐草模様の大きな風呂敷包みを背負って、葉山の常望のもとを訪ねた。

「文楽人形をやっと手に入れましてございます。大阪の同業者に頼んで、淡路島まで渡ってもらって、人形遣いで後継ぎなしに亡くなった者のゆかりをやっと探し出して、譲ってもらったものでございます。急行できのう横浜まで送って来たので、今しがた自分が受け取って、早速持参いたしました次第でございます。」

 備前屋が唐草の風呂敷を解いて、古びた木製の箱を開けると、まず桃割れを結った娘のかしらが現れ、そして黄八丈らしい着物をまとった胴体が続いた。

「まったく、値段は大阪の方から法外な金額をふっかけられまして、あまりお勉強さしあげることがむずかしゅうございます。春にお買い上げのフランス人形と同じぐらいの値段を申し受けとう存じます。お気に召さないようであれば、自分がかついでこのまま大阪まで返しに出向きますが、なかなか出回らない代物でございますので・・・」

「春に買ったのと同じ値段だな。僕は承知なので、後で林から代金を受け取ってくれ。人形は置いて行ってもらえるね。」

「お代をいただければ、もちろん置いてまいります。家令の林様には、人形の二、三体の値段を足し合わせると、生きた人形を一人、置屋から引かせる方が安いぐらいだとおっしゃいますので、またお叱りをうけるかもしれませんな。ははは・・・」

 常望は、その言葉を聞いて少し黙って考えていたが、やがて口を開いた。

「備前屋、生き人形を引かせる云々と言ったが、おまえはそういうことをしたことがあるのか?」

 備前屋は、禿げあがった額をかがやかせるかのように赤くなって、照れながら答えた。

「はあ、向島に一人、囲ってございます。」

「生きた人形を商っているのか?」

「それは古物商とはまた別の鑑札がございませんと・・・それに、あれを売り物にする気はございませんので・・・元は芸者でございましたのを、落籍と申しまして、前借金に多少足し前をした金を置屋に渡して、引退させたのでございます。」

「つまり、人を一人、自分の別宅に住まわせているということだな。それならば、もう一人預かるということはできるか?」

 備前屋の表情がこわばった。

「若様、お話によってはお引き受けしないでもございませんが、林様から叱られることはいたしかねますので・・・」

「これはわが国のために必要なことなのだ。帝大に数学の天才と言われる男がいるのだが、その姉が藤沢で芸者をしていて、その者の暮らしを立てるために、数学の道を諦めるかもしれないのだ。僕はそれが惜しくて、援助をしてやりたいのだ。」

「はあ、それで、その芸者をどうされるおつもりで、その・・・若様がお囲いになるのでございましょうか?」

「そのような話ではない。しばらくおまえが預かって、何か職業を探してやってほしい。自分が金主だということは、絶対に内緒にしてもらいたい。もちろん、他言は無用だ。」

「身請けのお金は、林様がお出しになることをご承知になりますでしょうか?」

「今できの安手の人形を三体ほど持ってくれば、高く買い上げるつもりだが、それでどうか?林には人形の値段はわからないからな。そうだ、もしも話に乗ってくれるのならば、手付の印に、後ろに懸かっている藤原佐理の掛け軸をおまえにやろう。林の眼はこういう飾り物には届いていないから、大丈夫だ。」

 備前屋は驚いて答えた。

「このお軸の値段だけで、芸者を一人引いて十分にお釣りが出ます。お人形を別にお納めする必要はございません。これだけのお品物、備前屋は長く商いをしておりますが、手にしたことはこれまでございません。いやはや、光栄の限りに存じます。」

 備前屋は、思いがけない話の成り行きに喜びを隠せず、彼の話には勢いがついた。

「さっそくの段取りでございますが、置屋に一見の客がいきなり切り出すとうまくゆきませんので、まずはつてを探してみましょう。首尾よく行きましたらば、向島の別宅ではむこうが悋気を起こしかねませんので、どこか下町に借家を探して住まわせましょう。この備前屋は、指一本触れないことをお約束いたします。委細はてまえが塩梅よく取り計らいますので、ご安心ください。」

 常望は備前屋に、相模楼の玉龍という名前を伝えてから、床の間の掛け軸をはずして渡した。

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