〜第1章 母の海〜

第7話 意識

 氷坂凛華にとって、この世界はなんの思い入れもない世界だった。1度人生を経験し、2度目の生を受けて子供から再び始まった退屈な世界。そんな世界での楽しみはただドM心を満たすだけのものだった。


 前世の記憶なんて持ってない方がもっと楽しく過ごせただろう。何度かそんな考えは過るが、折角転生したからには楽しもう。

 そんな考えで生きてきたせいで、氷坂凛華としての人生にこれまでまともに向き合うことはなかった。


 斎木サイキカケルの彼女を想う気持ちは、氷坂凛華としての人生に向き合うには十分過ぎるキッカケとなった。


 

 〜第1章 母の海〜



 二人の間に静かな空気が流れる。

 私――氷坂凛華はカケルからの告白により、どう振る舞えばいいのか分からずこれまでにない動揺を隠せずにいた。


 (前世の事話すか……? いや、中身は男だって言ったら嫌われそうだしな…………俺は、私は氷坂凛華……だもんな)


 自分が誰なのか。誰として振る舞えばいいのか。

 これまで生きてきた氷坂凛華は、ドM心を満たす為にドSを演じていた作り物の氷坂凛華だ。


 私だって中身通り普通に男として女に興奮するし、趣味も女の子らしくないものばかり。だがそういうのは飽くまでも自分1人の中に閉じ込めてきた。

 新しい人生に不必要な要素は、周りに見せないようにしてきたから当然である。


 まだ心臓の高鳴りは静まる様子がない。そのせいで異能が発動し私の周りは凍り始めている。


 鍋を挟んで正面に座るカケルをチラリと見ると目が合った。


「っ!」


 思わず目を逸らしてしまう。

 この人生でここまで他人を意識したのは初めてだ。


「リンカ……き、今日は帰ろう、か?」

「っ……」


 ついにカケルが口を開くが、私は上手く言葉を選ばずに黙り込む。


 どんな喋り方したらいいんだっけ。変なことを言っちゃったりするかもしれない。

 そんな考えが思考を埋め尽くす。


「……ごめん。帰るね」

「待って!!」


 立ち上がろうとしたカケルを咄嗟に引き止める。思わずカケルの手を掴んでしまった。


「…………別に……嫌じゃなかったんだ」


 言葉を必死に探しながら、ポツポツと今の気持ちをカケルに伝える。


「初めてなんだ……私にもよく分からないけど……こうして誰かを意識したのは…………」

「リンカ……」


 きっと今私は私らしくない事を言っているのだろう。

 初めて自分の人生と向き合い、対等な存在として本心からの言葉を、なるべく全てカケルに話したい。そう思って、カケルから手を離さないよう握る手に力を入れる。


「私が……そこまで誰かを苦しめていたこと。そしてそれほどまでに私を想ってくれてる人がいたこと……言われてやっと気付いて、そして嬉しかった……」


 何か今まで閉じ籠もっていた殻を破るように、産声のように気持ちが溢れる。


「今まで私は……自分の事しか考えていなかった。他の誰かの事なんて何一つ考えてなかった。ただ……自己満足の為に」


 そう言っていると声が震える。私がドMだからカケルを苦しめた事。それらを素直に吐き出そうと頑張るが、喉が苦しくなり上手く言葉が出てこない。


「ちっ、違うんだっ! 悲しくなんてないし、むしろ嬉しい…………ただ今まで私がしてきたことは――――」

「いいんだ! いいんだよリンカ」

「っ!?」


 突如カケルが私を抱き締める。


「もう1人じゃないんだ……僕がいる。それに、君のことを慕っている学園の皆だって……!」

「慕っ……ている?」

「そうだよ! 誰1人として君のことを嫌いな奴なんていない。皆、君を尊敬してるんだ。リンカは……リンカが思っている以上に愛されているんだよ……!」

「そう……だったのか…………はは……」


 なんだ…………やっぱり人生思い通りになんていかないじゃないか……。


「私は……ずっと1人で……勘違いしてたんだな」


 もうドSを演じたりとか、モンスターに傷付けられて喜んだりだとか。そんなふざけた人生辞めるべきなんだ。私が氷坂凛華として生きている限り、そんな私を見て心を痛める人がいる。そんな人達を見もしないで独りよがりの人生を送ろうだなんて、間違ってたんだ。


「気付かせてくれてありがとう。カケ……ル」



 ――――――――



 いつの間にか眠ってしまっていた私は寝室の布団で目を覚ました。外はまだ真っ暗。

 乾いた喉を潤すために起き上がり、寝ぼけたままぼやける目を擦りながらキッチンに向かうとそこには食器を洗っているカケルの姿。


「起きたんだねリンカ」

「あれ…………なんでカケルが…………っ!?」


 急激にぼやけた思考が冴え渡り、カケルに全てを話した記憶が蘇る。


「あっ! お、おはよう!」

「まだ夜の10時だよ」

「そ、そうか。あはは! ちょっとトイレ!」


 急いでトイレに駆け込んで熱くなった顔を異能を使い冷やしていく。


「ふぅ〜……」


 ロールプレイを辞めると決めた今の私に、今世で初めて他人の目を意識した恥ずかしさが襲った。だが不思議と気分はスッキリとしていた。

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