第6話
私は葵を、玄関まで見送る。
「あのね……」
しゃがんで靴を履いている葵に、勇気を出して話しかけた。
ちゃんと、今言わないとダメだって思ったから。
葵は、眠そうな目で私を見返った。
「来てくれてありがとう。絶望の中でこころから会いたいって思ってたのって、葵だけなんだよ。嘘じゃなくて、マジで。だから本物が現れてびっくりした。神様かと思ったよ」
葵は「フン」と言って私から目をそらし、立ち上がるとおもむろに私に向き直った。
「私、実は来たくなかったんだけどさ。それほど友達って思ってなかったし、仕事で疲れてたし」
ウッ……ちょっと、グサッとくる……。
「でもなんか、来ないとダメな気がして。インスピレーションっていうか……。あんたから呼ばれたんだろうね」
「やめてよ、そういうスピっぽいこと。ただの偶然でしょ」
私は笑って言った。
インスピレーションとか虫の知らせとか運命とか必然とかカルマとか霊とか波動とか、そういうのちょっと気持ち悪くて受け入れられないんだ。私、そんなの感じたことないからね。
「あんたさあ、そういう、自分が信じられないことを全否定するクセやめなよね」
「ごめん」一応謝る。
「実はさ……」
葵はそこまで言って、迷ったように少しだけ黙り、そしておもむろに口にした。
「私、3年前に死んだんだよね」
はぁ――――――????????
何それ?
じゃあ、じゃあ、目の前にいる葵は幽霊ってこと??????
頭が混乱する。
そう言われれば葵、なんだか顔色が悪いし、唇も白い。幽霊と言われたら、幽霊のような気もする。
「呼ばれた」って、あの世から来てくれたってわけ?
でも、、、
幽霊とか、そんなん、ちょっと困るー。
これって、それ系の話に展開するわけ?
私、オカルトとかスピリチュアルとかオーラの泉とか全否定の人間なのに!!!!
「いや……顔色が悪いのは疲れてるからだし、唇が白いのは、朝塗った口紅が遅いランチ食べた時はげてそのままだから。正確に言えば、一回死んだんだよねって話。臨死体験?みたいな」
私を白けた目で見ながら、葵が言った。
「臨死体験って……。あー、映画好きの悠人に観せられた映画であったな。『ヒアアフター』とかいうの。えっと、イースターウッドデッキとかいう監督のさ……」
「イーストウッドだろ!あんた、映画好きの夫がいたんだからイーストウッドくらい興味持てよ!突っ込むのも疲れるからさあ」
あきれたように葵が突っ込んでくる。
うぅ、落ち込む。
そういう突っ込み、実は悠人からもあったんだ。葵よりはずいぶん優しく、やんわりだったけど。
「アイドル好きでジャミオタなのは知ってるけど、興味がないことは全くアウトオブ眼中なのは、社会人としてダメだと思う。ほんと、マジで」
そうだ、そうだ。葵と距離を置いた理由のひとつを思い出した。葵は同い歳なのに、私にババ臭い説教してくるから嫌だったんだ。こういうの、人間として否定されたみたいで自信なくしちゃう……。
「社会人としてっていうんだったら、ランチ食べてはげた口紅は、その後トイレで塗り直さない?普通はさ!」と言い返したかったけど、そんな場合じゃなさそうなので黙っていた。
「イーストウッドはどうでもよくて、まあ、でもそうね。あの映画にあったような臨死体験を、私もしたんだよね。3年前の夏なんだけど。大学時代の友達と4人で、千葉の房総半島に海水浴に行った時なんだけどさ……」
唐突に、何故だか葵の思い出話がはじまった。
「私、泳ぎが得意だから、ちょっと深いところまでひとりで泳いでいっちゃったんだよね。で、足が下につかなくなっちゃって。泳いで浜辺に戻ろうとしたら波がきて、流されて。また戻ろうとしたら波がきて流されて……で、怖くなっちゃって焦って泳いだらまた流されて。すぐそばで友達が浮き輪にぷかぷか浮いてんのに、手も届かないし声も上げられなくて……溺れちゃったんだよね。めっちゃ苦しくて。あ、もう死ぬなって思ったとこまで覚えててさ」
葵は壮絶体験を淡々と話す。
「気づいたら、空に浮いていて。一面すごい光でさ。きらきら輝くまぶしい光の中に私、吸い込まれそうになって……」
「あー、それが臨死体験ってやつ?」
「そうそう。体はめっちゃ軽いし、痛いとか苦しいとかつらいとか、悲しいとか憎いとか恨めしいとか、そういう感情が全部抜け落ちていて、なんかもう、めっちゃめちゃ気持ちいいわけ。ドラッグとか……やったことないけど、たぶんドラッグの気持ちよさと比較にならないくらいの気持ちよさだと思う。私、もう光にそのまま吸い込まれていいやーって気分だったんだけど、そこにお婆さんが立ちはだかってさ」
「お婆さん?沢口さんとこのお婆ちゃんみたいな?」
私は共通の知り合いの、近所のゴミ屋敷住まいの婆ちゃんをイメージして言ってみると、「違う。あんな小汚い感じの婆さんじゃなく……『動物のお医者さん』に出てくる、ハムテルのお婆さんみたいなさ」と葵は言う。
「ごめん、ハムテル?のお婆さんわかんない……」
「なんというか、着物着ていて毅然として上品な感じというか。怖さはなくって」
「先祖なんじゃない?」
「かもしれないけど。まあ、それはいいんだ」
口を挟む私をうざそうに一瞥して、葵は先を急ぎたがった。
「でね、そのお婆さんが「今ならまだ戻れますよ」って言うの。じゃあ戻ろうかなって思ったら、思った瞬間目が覚めた。浜辺で。目の前に40代くらいのおっさんの顔があってびっくりしたけど。心肺停止してたから、心臓マッサージと人工呼吸してくれてたみたい。友達が周りにいて。みんな泣いててさ。あー、戻ってきたんだなってぼんやり思ったよ。嬉しいとかそういうのなくて。あのまま光に吸い込まれてもよかったような気もしたし」
「でも、それって……光に吸い込まれるって、死ぬってことでしょ?生きててよかったじゃん!」
「うーん……それはそうなんだけどさあ」
葵はどう表現していいのか悩んでいるそぶりを見せてから、言った。
「生き返ったら、この現実世界の見方が一転しちゃって……。なんだ、そういうことだったのかぁ、みたいな。ミステリー小説で犯人がわかった時みたいな感じ。騙されてたっていうか、なるほどーっていうか。この現実世界が全然、現実感を持たなくなっちゃったっていうか……」
「言ってる意味がわかんないんだけど」
「つまり、わかっちゃったのよ。臨死体験で。あっちの……光の方が本来の居場所で、現実に見えるこの世界が夢だったってことによ。古典で
葵が幽霊じゃないっていうのはわかったけど、でも葵の話はすっとんきょうすぎて、やっぱり頭が混乱する。完徹の朝っぱらからする話じゃない。
「仮にね、じゃあ、葵の話を信じて、この現実がゲームだとしたら、こんな苦しいゲーム、私は続けたくないよ」と私が言うと、葵もうなづきながら「だよねー」だって!
「私がこの3年間、色んな人々を観察し、何百冊以上の本を読んで研究してわかったことはだね、この世の三次元人生ゲームはさ、0~6歳くらいまでの間に色々設定されるってこと。ゲームの難易度とかも、この時に大体決まる。だからもし今苦しいなら、初期設定を解除して自分の思い通りの設定に変えればいいだけなんだよ。難易度もさ……でもドラクエとかも、難易度高いほうが面白くなかった?」
「いや、私の人生、ドラクエじゃないから」私は即答する。
「っていうか、私、自分で自分がこんなビンボーになるように設定したってこと?馬鹿馬鹿しい!」
「えー、でもだって……たとえばさ、松岡修造はお金持ってるでしょ。仕事失ったってビンボーになりそうにもないじゃん。そういう設定してるからだよ」
「はぁ?修造は生まれながらに金持ちだから、お金に困らないだけでしょ。てかなんで例えが松岡修造なんだよ?」
「じゃあ、ソフトバンクの孫さんは?子供の頃めっちゃビンボーだったらしいけど」
「孫さんは才能があるから成功しただけで……」
「あんたにはなんの才能もないの?」
「ないよ。全然ない。自信持っていうのもなんだけど」
「結婚して男に養ってもらわないと生きていけないって設定してるからじゃない?」
「はぁ?はぁ?そんな設定した覚えはない!……まぁ、ママがそういうことよく言ってたけどさ。あんたは頭も悪いし不器用で何もできないから、素敵な男性見つけて養ってもらうしかないとかって……」
「それよそれ、それが設定なんだよ!」
葵がキラキラした目で私を指さすから、私はドキッとする。
それが設定……?
って、親の洗脳ってこと?
でも親は子供のことをよくわかってるから、言ってくれたりするわけで……。
あー、もうやっぱり、わかんないや!
「まぁ、私が臨死体験の話をしたのはだね」
葵が時計をちらと見る。
「三次元人生ゲームでも、ピンチの時には助けてくれる人がいるってことを伝えたかったからよ。絶対いる。断言する。パソコンのゲームだったら、ネット上でつながった仲間が駆けつけてくれるけど、それと同じことよ。私があんたのところに来たのは、偶然じゃないってこと。なにかをしてあげられるわけじゃないけど、攻略法を一緒に見つけることはできる。だから――」
葵は玄関のドアノブに手を掛けて、私を見つめながら言った。
「六花、とりあえず私を信じて。まずはミッション1、よろしく頼むよ!……ああ、しんど。やっぱ、このまま会社行くわ」
その時の葵は疲れ切って、顔はほんとうに真っ白で眼は赤いし、やっぱり本物の幽霊なんじゃないかと思ってしまった。
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