第4話
そして今、ウツでなにもできず、お金もなく、どうしていいのかわからない現実がある。窓の外はいつの間にか真っ暗で、夜だとわかる。時計を見ると、午後11時だ。もうすぐ12時をまわって、12月13日になってしまう。
このままこの寝室でじっとしていたら、どうなるだろう?
管理人のオバさんが、この部屋に踏み込んでくるんだろうか?
「香田さん、月末で退去するはずだったでしょう!なんでまだいるんですか!?次の入居者決まってるんですよ!」
「あ……いや、でも、引っ越すお金もなくて、どうしようもないんですよ」
「なに言ってるんですか!そんなこと言われても困りますよ!早く出て行って下さい!」
そんな感じだろうか。ヤダな。で、それでも私が出て行かなかったら?悠人に連絡がいくのかな?悠人が管理人さんの連絡を無視したら?連帯保証人の悠人のお父さんに連絡がいっちゃう?いやぁ、それは勘弁してほしいな。
四面楚歌。八方塞がり。
この、にっちもさっちもいかない現実を抜け出す方法はないだろうか……って一生懸命考えてはいるんだけど、なにひとつ思い浮かばない。
ママには助けを求められないし。というか、ママは私が自分の思い通りにならないと、必ずヒステリーを起こす。それが嫌。これ以上ママに責められるのは、耐えられない。
友達に相談する?相談したら、どうにかなるかな?
シミュレートしてみて、途端にうんざりする。
「え、離婚したの?ちょっと、大丈夫?つらかったね……。話聞くよ」
親身になるふりをして、実は興味津々、面白がるだけの友達の顔が、何人か思い浮かんだ。後から仲間内で、「あれだけ派手な結婚式挙げたくせに、3年で離婚だって。受けるwww」とか笑いものにされそう……。
「え、そんなこと私に言われても困るし。どうしてやりようもないから。ごめん」
面倒を避けようとする友達も、何人か思い浮かぶ。
「私に任せなさい!力になってあげる!」
これが一番厄介。こういう奴は、「友達のため」とか言いながら、感謝されていい気分になりたいだけ。自分の正義感だけで他人ごとに首を突っ込んで、状況をより混乱させるんだから。(なんでわかるかって、私がこのタイプだからね!)
要するに、私には本当の友達がいなかったんだ。こういう時に相談できる子がいないっていうのは、そういうこと。遊びに行ったりランチに行ったり飲みに行ったりするだけの仲の子を、「友達」って呼んでただけなんだ。
認めたくないけど、認めざるを得ない。
あー、なんか……猛烈に寂しい。
と、脳裏に幼馴染の葵の顔が浮かんだ。
保育園の時からの友達の葵。小学校も中学校も高校も同じ腐れ縁。家も近所。小学校の時はいつも一緒で、なんでも話し合える仲だった。葵の家もお父さんの事業がうまくいってないとかで、うちと匹敵するくらいのビンボーだったから、「大きくなったらお金持ちになって、豪邸買って一緒に住もうね」と約束したことがあるくらい。
私の結婚式には葵も招待したんだけど、「私、結婚がそんなめでたいこととは思わないから」と、そっけなく断られてしまった。高校時代、大学時代、そしてOL時代の友達はみんな喜んで出席してくれたしご祝儀もくれたのに、葵は1円もくれなかった。それを今でも根に持って恨めしく思ってはいるんだけど……でもだからこそ、「派手な結婚式挙げたくせに離婚した」ことも、打ち明けられそうな気がする。
相談してみようか。
一瞬思ったけど、やっぱり無理。
葵とは、中学に入った頃からだんだん目指す方向が違ってきてしまった。高校の時には彼女のことを「地味なオタク」と見下して、学内で関わることを避けてしまったしね。立川の実家に帰った時には会えば話しはするけど、だいぶ疎遠になっているし。都合よく自分がつらい時に連絡するのは、ちょっとどうなの?って感じだし。
彼女は私が青春を謳歌している時に地道に勉強を頑張り、奨学金をもらって国立大学に進学した。そして今は、天下の丸川出版で働いている。なかなかの激務らしいから、仕事の邪魔をするのも申し訳ない。
だからもう――、
「死ぬしかない」
離婚以来ずっと、頭の片隅にあったこの選択肢。
はじめは梅干しくらいの存在感だったのが、どんどん膨張して、押しのけようとしても押しのけられないほど巨大化している。
そうだよね、どうしようもならないんだもの。
死ぬのが一番いいよね。
だけど、どうやって死ぬ?
電気コードがあるから首吊りなら今すぐにでもできそうだけど。だけど首が絞めつけられて息が出来ない状態は、想像するだけで恐ろしい。
マンションの一番上の階まで上がって、廊下から飛び降りるってのは……無理無理。ただでさえ私、高所恐怖症なのに。考えただけで、恐怖で足がすくむ。
楽に死ねる方法は……、
練炭?
「練炭自殺は人気高いけど、死ぬ前はやっぱり苦しいんだよ。眠りながら死ぬイメージかもしれないけど。顔もピンクになるし。ピンクの顔で死ぬの嫌じゃない?」
短大時代に少しだけ仲良くしていた
「私もお父さんの車で練炭試してはみたけど、苦しすぎて必死に逃げ出したもんね」
ケラケラ笑いながらそう言っていた怜子は、短大卒業後は就職もせず、精神病院の閉鎖病棟に入退院を繰り返しているという。風のうわさで聞いた。
「要するにいくら死にたいと思っても、理性があるうちは自殺出来ないんだよ。自殺は病死と事故死の中間だと、私は思ってる。精神的におかしくなるくらい追いつめられなきゃ、人間、一線は越えられないよ」
これも玲子の言葉。「怖い」って思うのはまだ理性が残ってる証拠だし、そんな私には自殺さえも出来ないのか。
「ウツ病のひとは、視野が狭くなりがちなんです。いわば、針の穴から世界を見ているような感じなんです。いいですか。世の中、どうにもならないことなんてないんですからね。今はただなにも考えず、ゆっくり休むことです」
これは2週間前に、恥を忍んで行った心療内科の女医さんのお言葉。「針の穴」の外では、突然臨時収入が舞い込んできたり、あるいは悠人が帰って来てくれる方法があるっていうの?ゆっくり休めとかそんなんより、その方法を教えてほしかった。
抗うつ剤を処方されたけど、なにひとつ効果が感じられない。無駄なことになけなしのお金を使ってしまったと後悔ばかりが先に立ち、落ち込むだけだった。
……疲れたなぁ。ねぇ、パトラッシュ、
と、いもしない架空の犬に話し掛けてみる。
「パトラッシュ、疲れたろう。僕も疲れたんだ。なんだか、とても眠いんだ」
『フランダースの犬』のネロ君が、今の私には本気の本気で羨ましい。疲れて眠くなったらそのまま自然死で、天使たちに連れて行ってもらえるなんて。
頭フル回転で色々考えすぎて、マジで、なんだか、とても眠いん、ですけど……。
うとうとしはじめたその時、玄関のドアがバンッと開いたので、私はベッドの上で飛び跳ねるように目が覚めた。
ダンダンダンっと、大地を蹴散らすような足音が響く。
え、なに、なに?
誰、誰――!?
なんなのー?
もうね、全身の毛穴から色んな液が出てくるくらいびびったよ。
恐れおののいてると、寝室のドアがおもむろに開けられて――、
「なんだ、六花、生きてるじゃん」
聞きなれた懐かしい声――。
え、想いが通じたの?
そんなことってある?
高校の時から変わらない黒縁メガネにおかっぱ頭。安定のダサさ。
スーツ姿の葵が、ドアの前に仁王立ちしていた。
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