第3話
私は普段、一歩外に出ればスイッチON、空気を読んでひとに合わせて……って、めっちゃ頑張ってる。嫌な顔されないように、絶対にNOって言わない。
これだけ外では我慢して頑張ってるんだから、彼氏くらい私の思い通りになってほしいと思ってた。思い通りになってくれないと、イライラしてた。
結婚したいのよ!だから、早くプロポーズしてほしいのに……!してくれないんだから、不満もたまるってもんよ!不満をためてためてため込めば、いつかは爆発するでしょ?
結婚してからも「六花は突然爆発するからね、まじ怖いよ~。黒ひげ船長みたい」と、アイツはへらへらしながらよく言ってたけど。
わかってよ、私のこと!
私のこと好きなんだったらさ!
そんな想いで、
「ちょっと、いつになったら私たち結婚できるのよ?ずっと待ってるんですけど!」
と突然ブチ切れたら、悠人はびくっとして瞬時にテレビの画面から目を離した。そして、呆気にとられた顔で私を見ていたっけ。
しばらくの沈黙の後、悠人が「いつも今日言おう、今日言おうって思ってはいたんだ。だけど勇気が出なくって……プロポーズって恥ずかしくて。ごめんね」と、静かに言った。
その時の表情は、どんなだったか?……思い出せない。
もしかしたら、困惑していた?
そんな気もする。
続けて悠人は、「年内に結婚しよう。六花、幸せにするから、俺と結婚して下さい」と頭を下げた。
それは1月の中旬のことで。そう、成人式で会社が休みの日だった。
私は悠人の言葉を聞き、やっと心に余裕を取り戻すことが出来た。
だけど――、
悠人は、もしかしたら私にキレられて、その場を取り繕うためにプロポーズしてくれた……の……かも……?そして一度プロポーズしてしまったからには、もう取り返しがつかないって、我慢して結婚してしまった……の……かも……?
あー!嫌、嫌!
なんで急に、こんな考えが頭から出てきてしまったんだろう!
胸が洗濯中の洗濯機みたいに、ぐわんぐわんする。
でもほらほら、思い出してみな。
それから婚約指輪買いに行ったり、両家に挨拶に行ったり、結婚式の準備をしたりって色々あったけど、悠人は楽しそうだったじゃん。優しかったし。キスもセックスもいっぱいしたじゃん。
ね?
やっぱり、あの頃は私、愛されていたのよ、ね?
だけど――、
私が会社でキャラを演じているように、悠人も私の前で演じていたとしたら――?
彼女に優しく誠実で、なんでも言うことを聞くキャラを演じていたとしたら――?
それも、本人も無意識のうちに演じていたんだったら――?
このアイデアは、私に大きな衝撃を与えた。
胸の洗濯機が脱水モードで、激しいうなりをあげる。
仮に全部演技だったら……そりゃ疲れるし、そりゃ嫌になるし、そりゃいつか限界がくるよ。そんなこと知らない私は、結婚してからも幸せそのものだと思ってた。だから当然のように怒り散らかしたり、要求したり、命令したりしてた。むしろ、家族になったってことでエスカレートしてた節もある。
「ごめん。もう、六花とは暮らしていけない。この家にいるのが、俺には苦痛でしかないんだ。別れてくれないか。俺を、ここから去らせてくれ」
全部演技で疲れて嫌になって限界を迎えたのだったら、この台詞が出てきたことも納得できる。実は悠人もパパと同じで、不倫してるのかなって疑っていたけど。むしろ不倫していて、頭がお花畑になった上での別れ話だった方がマシとさえ思っていたけど。(それだと私という存在自体が否定されたわけじゃないから。)
だけどただただ私という人間そのものが嫌で苦痛で我慢が限界になって、そこでボンッて爆発してしまった……んだったら?
ああああああああああああああああああああああああ、そんなの耐えられない。
嘘だよ、嘘!!!!!
腋の下から、変な汗がにじんでくる。なんでこんなおかしな考えが、頭にやってきてしまったんだろう?ハエみたいに頭の中をブンブンブンブンまとわりつく。
エイ、どっか行っちゃえ!
とにかく事実としてあるのは、梅雨に入った頃から次第に悠人の残業や出張が増えて、家にいる時間が極端に短くなってしまったってこと。
話しかければ相変わらず優しく相手してくれるけど、「疲れてるんだよ」という言葉で会話をさえぎられることが多くなったってこと。
急に「実は俺、ゴボウ嫌いなんだよ」とか、「実は六花の動画の音がうるさくて気になってたんだ」とか、「休みの日くらいはごろごろ家で好きな映画でも観ていたいんだ」とか、生意気に自分の意見を言うようになったってこと。
そして、忘れもしない9月4日の月曜日。友引の日。珍しく悠人が定時に帰って来たかとおもうと、「話があるから」と切羽詰まった表情で私を台所のテーブルの椅子に座らせたのだ。私は目の前に離婚届が置かれても、しばらくそれがなにか認識できないくらいに、事態を受け入れる準備が出来ていなかった。
「俺のところはもう記入してるから。そっちの分記入して。明日出してくるから」
私の知っている悠人とは思えないくらい乱暴で冷たい物言いに、私は怒りで対抗してしまった。
「は?そんなに離婚したいなら、離婚してやる!」
そう言って勢いで離婚届にサインしてしまった。悠人は私が書き終えるのを見届けて、奪うように手にしたそれを、かばんの中に仕舞ってしまった。
なんで売り言葉に買い言葉で、あんなことしちゃったんだろう……?
……って、後からものすごく後悔してしまったけど。あの時の私は怒りを表現しないことには、自分を守りきれる自信がなかったんだ。
「俺は明日の朝にはこのマンションを出て行きます。慰謝料としてマンションの家賃は3ヶ月先まで払ってあるから。12月末日で退去する旨、管理人さんには伝えてあるのでよろしく。あと、ふたりの貯金は全部あなたに差し上げますから、当座の生活はそれでなんとかして下さい」
突っ込みどころ満載すぎ言葉を残し、そのまま悠人は自分の部屋にこもった。明け方までなにやらごそごそ片づけをしていたようだ。
そして次の日の朝、悠人はボストンバックと海外出張用のキャリーケースだけ持って、出て行ったのだった。
その間、私は一睡もせずに、息を潜めて寝室にいた。あんな怖い悠人の前に、姿を現してはならないような気がして。
「行かないで!ごめんなさい!私が悪かったから!ちゃんと話し合いたいの!」
そう言って悠人に泣きすがる自分をシュミレートしたし、実際そうしようと何度思ったかしれないけど、結局は体がすくんで出来なかった。
……っていうか、家賃3ヵ月分が慰謝料ってなによ?
悠人が出て行って茫然自失の半日を経過したくらいから、ふつふつと怒りがわき上がってきた。
慰謝料ってもっともらえるはずでしょ。そもそもふたりの貯金って……。お金の管理は悠人がやってたのにさ。毎月ふたりの生活費として20万円もらっていたけど、え、それが貯金ってこと?この私が、倹約して計画的に貯金してるって思ってたってこと?
日々の食費や光熱費などの他に、エステとかジムとか化粧品とか洋服とか、友達とのランチや飲み会とか、そんなんで色々使って貯金っていうほど貯金とか出来てないんですけど!
悠人、おめー、知ってただろうよ!
私が散財してるのを傍でジーッと黙って見ておいて、なにが「ふたりの貯金」だよ?意地が悪いにもほどがある!
怒り狂ってママに電話してしまったけど、すぐに後悔した。ママは私以上に怒り狂って本当に狂ったみたいになっちゃったから。
「なーんで私だけじゃなく、あんたまで夫に捨てられるのよっ!この親不孝者っ!まったくあんたはなにやってんのっ!私がひとりで苦労して人並みに育ててやったのに、育て損よっ!養育に掛かったお金全部返しなさいよっ!大体、あんたの父親は養育費さえくれなかっんだからねっ!」
え、私が悪いの?
悪いの私?
てか、私の離婚にパパは関係なくない?
混乱する。
ママは「今すぐ離婚届不受理届出せ」とか、「弁護士雇って正当な慰謝料請求しろ」とか、実務的なことを色々と指示してきたけど、そしてそういうことは私自身、燃えさかる怒りの炎の中で何度も考えていたことだったけど――結論から言えばなにもしなかった。
晴天の霹靂すぎる離婚でストレス過多、体中のエネルギーがアイツへの怒りをかきたてる燃料として使われて……気づいた時には行動する気力がなかったんだ、もう……。
それともうひとつ。
ママは自分が離婚した後、支払いが即ストップしてしまった養育費を求めて裁判まで起こしちゃってて、その姿がなんだか……自分の母親ながら、哀しい感じがしたんだよね。パパは離婚時に、ママに全財産を譲って身一つで出て行ったらしいし。なのにママは養育費を、相場以上にぼったくっていたみたいだし。私のためっていうのがわかるから、なにも言えなかったけど。
パパは離婚と同時に、精神疾患を理由に(もしかしたらうつ病?)会社を退職していたらしい。その後も働けない期間が長く、再婚相手の女性から生活の面倒をみてもらっていたんだそうで……。裁判時にその事実を知った母は、(お金は取れなくても)鬼の首を取ったように喜んでいた。
「バチが当たったんだ!榛野千佳子との生活が精神病になるくらいつらいんだろうねぇ。向こうは連れ子がふたりいるっていうしね。自分の子供捨てて、他人の子供の面倒見させられて、ばかだねぇ。ざまあみやがれ」
無邪気に喜んでいるママを見て、私も嬉しかった。私に寂しい思いをさせた報いを、パパはちゃんと受けたんだなって思ったりした。もっと不幸になればいいのに、とも……実は思っていた。
たとえば、榛野千佳子と一緒に焼け死ぬとか。
あー、性格悪すぎるよね、私……。そんな性格の悪さがにじみ出て、悠人をうんざりさせていたのかもな。
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