第2話
とにかく私は、早く結婚したかったんだ。
なぜって、毎日つまんなかったから。
朝早く起きて満員電車に揺られて会社に行き、資料作成とかデータ入力とか見積書の作成とか、全然楽しくもなんともないことを一日中やってる。苦痛ではないけど、むなしいっていうか、時間の無駄っていうか……。
こんなこと、ぶっちゃけ私じゃなくても誰でもできるし。なんというか、胸の真ん中にぽっかり穴が開いていて、そこを早いことキラキラ輝く宝石で埋めたかったんだよね。
はっきり言えば、同僚女子たちとのランチタイムも好きではなかった。
昨日のドラマ○○観たー?観た観たー!もう私カプ押しだからあの展開めっちゃエモるー!ちょっと、そんなちょこっとしか食べないの-?ダイエットしてるのー!えー、全然太ってないじゃーん!全然全然、太ってるー!なにやってるー?ジムに通いはじめてー。ヨガとかいいよー。太極拳とかも。受けるー太極拳とか!ださ。ヤバ。死ぬ。そのチークの色いいよね、どこのー?えープチプラだよー、恥ずかしー。いいじゃんいいじゃん。ちょっと聞いてよ、彼氏とけんかしてさー、超ムカつくのー!えー、それはムカつくー!でしょー。てか○○屋の唐揚げ美味しい。えー、マジー、一口ちょうだーいetc……。
全然興味のない人たちの、興味のない話題。あたかもバレーボールのレシーブを受けるかのように、私は右から左へ全力で食らいついていく。
貴重な昼休みに、バレーボール……
疲れてた……。
ほんとにみんな、アレ楽しんでるの?友達でもないのにさ。友達でもないひとたちの彼氏の話題とか、ほんとマジどうでもいいし。
そんな和気藹々とやっていながら、トイレや給湯室でふたりとか三人とかになると、きまってその場にいない誰かの悪口で盛り上がるんだよね。
かつて「○○さんが夏目さんの悪口言ってたよー」って報告してきた女がいたけど、今だったら「え、だからなに?今この瞬間、あなたのこと嫌いになったらもう話しかけてこないで」って返すんだけどな。あの時は、強張った表情で「教えてくれてありがとう」と言ってしまった。脊髄反射ってやつ。その場その場で相手が満足しそうな反応を、反射的にしちゃうんだよね。
私は、明るくてちょっと天然で、男子からも女子からも愛されるほがらかないい子だから。キャー、うれしー、たのしー、ハッピー、ヤッピー、受けるー、笑える―、死ぬー、あっ、課長、そのネクタイ素敵ですぅー、ウフフ、キャッキャッ……みたいなさ。
……はぁ、思い返せばこのキャラ、めっちゃ疲れてたな。
今気づいた。
ほんとうの私……実は、そんなキャラじゃなかった。女優みたいに頑張って演じてただけなんだ。
小学校低学年の頃まで私は、地味な陰キャ。
いつも幼馴染の
ママも私も、立ち直るまでにかなり時間かかった。
ほんと、自分勝手すぎ。欲望の赴くままに生きる、ひととして最悪な男だよ、パパは。「家族を大事にできない男は人間としてなにか欠落してる」って、おばあちゃんも言ってた。
思い出しただけで、五臓六腑がでんぐりがえるくらいの怒りを覚える。
なんだったけな、ハル……、ハルノ……?
そうそう、ハルノだよ、
パパの不倫相手。
あの頃、ママが般若のような形相で「淫乱女ハルノチカコ、死にやがれー!」とか、毎日のように連呼してたから覚えてる。頭に鉢巻巻いてろうそく立てて、なんか……ワラ?……わかんないけど、そんなんで作った人形っぽいものに太い釘をガンガン打ち込んでいたような情景を、うっすら覚えてる。思い出すとウツになるから、これも記憶の彼方に封印しちゃってたけど。
身ぎれいで上品で美人で、近所でも評判の「良いひと」だった母を、そこまで狂わせてしまったパパと榛野千佳子は罪深いよ、ほんとうに。
憎んでも憎みきれない男の血が私に流れてるって事実が、ママはすごく嫌だったんじゃないかと思う。ましてや性格まで似てしまっていたとしたら……私もう、申し訳なくて申し訳なくて。
ママに嫌われたくなかったんだ。「あんな男に似てしまった娘なんて愛せないわ」って、そう言って捨てられてしまうのが怖かった。
そう――。
だから私は、キャラ変したんだった。5年生の時にクラス替えがあって、葵と違うクラスになったのをきっかけに。友達が多くて明るくて面白くてみんなの人気者だった
努力のかいあって、高校の時には私は、スクールカーストの上位グループにいた。おしゃれ番長の
幼馴染の葵とは腐れ縁で高校も同じだったけど、彼女の方は相変わらず、教室の片隅族で。地味なオタク仲間とひっそりと死んだように、淀んだ空気の中で漫画とか小説とかサブカル系の話をしてるような感じだったから、学校ではあまり近寄らないようにしてた。親友なのは確かだったけどね。
……そうだよなぁ。ずっと私、人の目を気にしてキャラを演じて、疲れてたんだなー。
とりあえず、私の人生の一段階目のゴールは、結婚だった。仕事も、ゴールをつかみ取るために必要な修行みたいな感じでとらえていたんだ。だから退屈でも、我慢できた。
絶対的に自分のことを好きでいてくれる相手と結婚して、大切にされて、トキメキいっぱい感動いっぱい、ワクワクドキドキするような楽しい日々を送りたいって思っていた。妄想の中の結婚生活は、いつもきキラキラと宝石の輝きを放っていた。
だから、結婚を前提に付き合いはじめて3ヶ月めくらいで、悠人が真剣な表情で「できるだけ早く結婚したいと思ってるから」って言ってくれた時、飛び上がるほどうれしかった。即答で「私も」って答えたくらい。
続けて「結婚したら六花、仕事はどうするつもり?」と聞いてくる悠人に、私は「え?辞めるよ、当然。子供も早くほしいしぃ。毎日部屋をきれいに整えて、美味しいご飯を作って、悠人の帰りを待つ妻になりたい!」と答えた。悠人は、「そうか」と言って幸せそうに笑っていたっけ。
ちょっと待って。
なんか引っ掛かる。
「そうか」と言って幸せそうに笑う前、よ。
記憶の映像巻き戻し。
「悠人の帰りを待つ妻になりたい!」と私が言った後、悠人は一瞬、変な顔をしてなかった?え、変な顔ってどんな?
もう一回、巻き戻してみる。
「悠人の帰りを待つ妻になりたい!」と私が言った後、悠人は、悠人は……そう、困惑したような表情を浮かべていたんだった。でもそれは、私の顕在意識が認識するかしないかの一瞬の間で……その後、「そうか」と言って幸せそうに笑ったんだった。
実は悠人は、私が仕事を辞めるのが、気に入らなかったの?
気に入らなかったけど空気を読んで、私に同調しただけだったの?
でもでも、悠人のお給料だけで十分やっていけるはずだったし。(現に結婚してからやっていけてたし。)日の出製鉄の社員は激務で、国内国外を問わず転勤も多いから、奥さんは専業主婦ってひとの方が多いくらいだったし。なにも私が特別変なことを言ったわけではない……よね?
うん、全然、ありだと思う。うん、この件はとりあえずそれでよし。
「できるだけ早く結婚したいと思ってるから」という嬉しいお言葉から一年半経っても、なぜか悠人は結婚しようって言ってくれなくて。ぐずぐずしている悠人に、私は次第にイライラを募らせはじめたんだった。
だって普通、結婚を前提に付き合ったなら、一年くらいでプロポーズしない?常識的に考えてもさ、うら若き乙女の貴重な時間を二年近く拘束するだけして、なにも言わず待たせるって、男としてどうなのよって感じだし。
だからある日曜日の夜、悠人の独り暮らしのアパートで、「これ、面白かったからもう一回観たくて。一緒に観ようよ」って言われ、『バーフバリ』とかいうやたら長いインド映画を観せられて、あまりの長さに私はだんだんいらついてきたのに悠人だけ楽しんでるって状況で、ものすごっく頭にきてしまったから「ちょっと、いつになったら私たち結婚できるのよ?ずっと待ってるんですけど!」と怒鳴ってしまったんだよね。
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