一回死んだと思えば何でもできる
斎藤 愛久
第1話
小さいころ、パパから「夜明け前が一番暗い」っていう言葉を教えてもらった。これ、明け方を、人生そのものにたとえているんだよね。一番暗い時が一番苦しいけど、そこさえ過ぎればやがて朝になる。状況は、よくなっていくんだってこと。
私は「今がまさに、その夜明け前なんだわー」って思って、夜が明けるまでじーっと我慢して耐えてた。だけど、待てど暮らせど一向に夜が明けない。夜が明けないからお金が尽きた。
お金が尽きたからもう、待てなくなってしまったよ。
大体、今月末には吉祥寺のこのマンションを退去せねばならぬというのに、引っ越し先も決まっていない。
全財産なんとびっくり13万円。
今月の光熱費やら食費やらはなんとか払えたとしても、肝心の引っ越し資金には程遠い。なんだかやたら高級な家具や家電は、リサイクルショップに引き取ってもらえるかもしれないけれど、どれくらいの額になるかもわからない。
時は金なり。
働けば金になるのは重々わかってる。だからそのことはもう誰にも言われたくない。なにもかも失った9月の終わりから焦って仕事を探し、10月からコールセンターでテレアポのバイトをはじめた。朝から夕方まで。一日8時間。
これだけでは到底足りないから、夜の仕事も追加した。新宿のスナックで、終電まで勤務。だけどそれでも足りないから、貴重な休みの日も、派遣のスポットでウェイトレスの仕事を入れた。
本当に私、死に物狂いでがんばったんだから。
で、力尽きた。
11月の終わりの週の月曜日の朝、コールセンターの仕事に行こうと思うのに、酷い頭痛がして布団から起き上がれなかった。仕方なくその日は休みの連絡を入れたのだけど、次の日も、その次の日も、なぜか布団から出られなくて……。
上司からなんて言われるかわからないから、怖くてもう「休みます」って電話もできなくなった。それでコールセンターも、スナックも、ウェイトレスの派遣も、そのままばっくれてしまった。
スマホの着信音がひっきりなしに鳴るもんだから、恐ろしすぎて電源を切ってしまって、それから二週間――。日付さえもよくわかってなかったけど、今日は12月12日らしい。明太子の日なんだって。見るともなしに付けていたテレビで、女性アナウンサーが笑顔で言っていた。
情けないことに、完全なウツ状態だ。
お金のためとは言え、無理して働きすぎたのかもしれない。だけど、働く前からすでに心労が半端なかったのも事実。多分、そのせい。アイツのせい。
この3年間、幸せだった。万事OK。苦しゅうない。私の人生には、なんの問題もないと思っていた。その、空気にも等しい当たり前にあるはずの幸せが一瞬で奪い取られてしまったら、そりゃ窒息するでしょ。病むでしょ。
私はなにも悪いことしてないのに。アイツも……そう、アイツはあの日あの時まで、とても優しかった。私は、愛されてると思ってた。
なのに、なんで?なんでこんなことになった?
今でもたまに、悪い夢を見てるだけなんじゃないかって思う。目が覚めたら、私の隣でアイツがすやすや眠ってるんじゃないかって……。
朝まだき、半分寝ぼけた状態で無意識に隣に手を伸ばし、人肌の温かさの代わりにひんやりした空をつかんだ瞬間、心臓がキュッとなる。やっぱり、夢ではなかったと思い知らされる。そんなことを、この二週間でもう何十回も繰り返している。
忙しく働いていた時はそうでもなかったけど、ウツ病無職ニートになった途端、頭の中はグルグルグルグル……自分を責めたり、アイツを責めたり、自分を責めたり、アイツを責めたり。否、主にアイツを責める言葉が、頭にこだまし続けている。
「てか、信じられないよね、非常識だよね、普通じゃないよ、アイツ!誠意がない!ひどい男だ、まったく!アイツなんか、アイツなんか、不幸になるに決まってる!」
心の声が威勢よくアイツを罵倒していても、唐突にアイツのあの言葉がよみがえると、途端に体が力を失う。
すべてがどうでもよくなる。
「ごめん。もう、六花とは暮らしていけない。この家にいるのが、俺には苦痛でしかないんだ。別れてくれないか。俺を、ここから去らせてくれ」
私をじっと見据えるアイツの目。迷いのない目。
憎しみと懺悔の気持ちが入り乱れるような、強くて、でも少し潤んだ――見慣れすぎているのに、はじめて見た彼の、そんな目。頭の映像に映し出されたその目を直視してしまうと、もう私は、生きていてはいけない気さえしてくる。
本当に、どうしてこんなことになってしまったんだろう?
この3カ月間、吐くほど繰り返した反すうを、またやってしまう。
ひとり親家庭で経済的に余裕のない中、ママが介護の仕事と水商売を掛け持ってあくせく働いて、私を短大まで行かせてくれた。私はママの期待に応えようと頑張った。
努力のかいあって、日本で三本指に入る製鉄会社、日の出製鉄に、一般職で就職することができた。私の(自分で言うのもなんだけど!→)小動物系のかわいらしい容姿とほがらかな人柄、そして真面目な仕事ぶりに(←ほんと、自分で言うのもなんだけど!)惚れてくれた直属の上司が、他部署の2つ年上の男性を紹介してくれた。
それが、
悠人は、顔はまあまあかっこいいけど、いかにも一流大学の理系大学院卒って感じで。まあ単刀直入に言えば、優秀なんだけど地味っていうか。でも、すごい気遣いのひとで。一見不愛想なんだけど、ふと笑った表情がかわいくて。無骨なんだけど、さりげなく私をお姫様扱いしてくれて。それがとても心地よくて……。聖子ちゃんじゃないけど、ビビビっときたんだよね。
私たちはごくごく自然に引き寄せられて、付き合いはじめたのだった。初めて連れて行かれたデートが、プラネタリウムだったのはちょっとひいたけど。(中学生のデートじゃないんだからって!)でも、プラネタリウム、行ってみたら意外とよくて。感動して。180度パノラマで広がる星空の中、ヴァイオリンとピアノの優しい音楽が流れていて、そんな中、悠人がそっと私の手を握ってきて……私の中に、じんわりと優しい幸福が満ちていったんだった。
私は22歳で、悠人は25歳だった。
「俺は、小学校5年まで福島の田舎で育ってね。このプラネタリウムみたいに、きれいな星空が毎日見れたんだ。東京は明るすぎて星が見えないからね。たまに恋しくて、プラネタリウムに来ちゃうんだよ」
プラネタリウムから出た後、近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら、悠人はそう言ってはにかんで笑った。そして続けて言った。
「QUEENってバンド知ってる?」
「知らない」と私は即答した。昔から、外国のバンドには興味なくて。
「イギリスの有名なバンドなんだけどね」と、悠人はかまわず続けた。
「メンバーでギタリストのブライアン・メイが、大学で天文学を専攻してたんだよ。それを知って、俺も天文学を専攻したいってかなり本気で思ってたんだけど……親父に反対されて、ダメになっちゃった」
悠人は、寂しそうに笑っていた。
その表情は、今でも私の脳裏に焼き付いている。だけど私は、「あっ、そうなんだ」と、とてもあっさりその話題を終わらせたのだった。この後、悠人が私をどこに連れて行ってくれるかばかりに気を取られていたから。「私を喜ばせてくれないと許さないよ」くらいの傲慢な気持ちでいたと思う。
思い返してみれば、だけど……。
大切にされたかったし、愛されたかった。愛してくれているなら、その証拠をきちんとみせてほしかった。男の方に、それなりの努力をしてほしいと思っていた。私の思い通りにしてほしいと思ってた。それが当然だと思ってた。
ああ、ほんと傲慢。ウツになる。(あ、もうすでになってるのか。)
覆水盆に返らずだし、今後ももしかしたら同じようなことを繰り返す可能性もあるけれど……今は、今この瞬間は、ほんとうに後悔している。
あの日――、初デートのあの時、私はなんて対応するのがベストだったかを、ウツになってから何度もシュミレーションしている。
「親に反対されて、ダメになっちゃった」
「ほんとうにやりたいことを、選ばせてもらえなかったのはつらかったね……。でも、何歳からでも好きなことをはじめられるから。まだまだ、チャンスはあるよ!」
そう答えられていたら、悠人は今でも私の隣にいてくれただろうか?
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