5.シフトチェンジ
神様なんてものは存在せず、死人の魂を秤にかけてカルマの重さで裁くのがこの世界の常識らしい。
「聞いてる?あなたは地獄行きよ」
「え?嘘でしょう?どっからどうみても僕って一般人じゃないですか、天国が妥当でしょう?」
おっちんだって奴にしては現実が受け入れられない。そもそもここは現実じゃないのだろうが……。
「ここはどこなんですか?」
「日本人は幽界と呼んでいるわ、まあ死んだ後の世界ね。死んだのよ、あなたは」
息もしているし、思考も冴えている。若干左の小指と薬指が痺れているがこれは元々だ。そうか、死んだのか。運が悪かったのだろう。
気になる事が1つある。恐らくは俺が追突された側だ、そうなると前を走っていたあの少年は車両衝突でクソガキサンドイッチになっている可能性がある。
「あの、事故現場見せてもらう事ってできますか?」
「出来るけど、本来は霊貨というお金が必要になるの。でも今回は特別だからね、他言無用で」
そういうと、ポケットから折り畳み式のアレだ、懐かしいガラケーをだして俺が死んだであろう現実の世界の写真を見せてくれた。
「この事故で亡くなりそうなのはあなただけよ」
なにか言いまわしに違和感がある。
そのケータイに映った写真には、白い小型トラックが母さんの車に後ろから追突していた。みたところクソガキサンドイッチ事件は回避されそうで、さらに玉突き事故のようになりそうだが、少年はすでに玉突きの射線から走り抜けている。
よかった。
というか後ろのドライバーが可哀想だ、やはり完全に玉突き事故である。車間距離は確かに少し近かったけど後続車の路面凍結のスリップ衝突が原因だろう。大雪で遅れそうになっている荷物を届ける為に焦っており、ブレーキはかかったがトラックが後続に追突されて距離が近かった為、俺が玉突きに巻き込まれたのだ、にしても配達業は不憫である。
だがやっぱり、子供が怪我しなさそうでよかった。最近の馬鹿はすぐスマホで事故現場を撮影しやがるから、サイコパスなんてレベルじゃないのだ。毎回思うがそういう奴らこそ……。
「今はどうなっているんですか?」
「これが今よ」
言っている意味が理解できなかった、日本語は非常に難しい。
「あの、今はどうなってるんですか?」
「時間の流れが違うの、ここと向こうで。あっちの世界のほうがゆっくりととてつもなく遅い速度で時間が進んでいて、これは写真とかじゃなく言わば生中継」
「止まっているようにしか見えないんですけど?」
「ええ、そのぐらいこっちの世界で流れる時間が凄い速度で進んでいるのよ」
どうやって撮っているのか気になるが、例えるなら『うさぎとかめ』、いや竜宮城の逆だ。未だに疑問は山積みだがやはり俺は死んだのだ。まあ俺の人生に未来なんてなかったのだから、そこまでアンラッキーではないのだろう。
「1つ謝ることがあるの」
「何ですか?」
「あなたへの届け物があったんだけれど、ここへ持ってくる前に盗難されてしまって……ごめんなさい」
「僕宛に荷物があったんですか?」
「ええ、本当にごめんなさい」
「まあ気にしないでいいですよ」
「あらそう」
「ところであなたは?」
「君の人生の個人監視官であり、警官であり、この世界の案内人の藤野です」
やはり日本人だ。経歴は不明だが恐らくは俺と同じく死んだ人なんじゃないだろうか?
ひとつ申し訳なさそうに咳払いをすると、彼女は姿勢を正して黒い鞄から用紙を取り出した。
「白田さん、あなたは地獄行きです」
さっき聞いたセリフである、もう聞きたくない。
「生前履歴書によると白田柚希、男性29歳無職、ヴィーガンを馬鹿にし、海賊版のセクシービデオの不正視聴。性癖は若い色白のアジア系で学生服を好み、馬革の財布を使用している。カルマはマイナス300オーバー」
完全に俺の事だ、なんでそこまで知っているんだ。
「あなたこそ地獄行きじゃないですか!だってあれじゃないですかほら‼えっとプライバシーの……」
すすり泣きそうになって半分涙が出かかっている。
すでにこの女の人、もう名前は忘れてしまった。なぜ涙が出そうかというと憐みの目を向けられているのだ。
「海賊版なんて男はみんな利用してるんだ!」
俺を見る眼差しが悲しそうな目つきに切り替わってしまった。
「その言葉、やってる人だけみんな言いますね。犯罪者の常套句ですよ」
ごめんなさい母さん。
俺、恥ずかしい息子になっちゃったよ。この人の言う通り確かに地獄が相応しいのかもしれない。前にやってる仕事がうまくいかなくなってからずっと抜け殻みたいな人生を歩んでいた。生きていたのは確かだが、誰がどう見ても活き活きはしていなかっただろう。俺の人生に明るい未来なんて訪れないし、お金が足りない時は母さんに借りていた時もあった。
役立たずで親不孝者って奴だ。やっぱり苦しまずに死ねて、言わばラッキーってやつなのかもしれない。
「反省してるフリならおさるさんでも出来るんですよ、いつだって白田さんは人生をやり直せたはず」
で、でた~マウント取る為に説教たれるパターンだこれ。終わったわ、ああほんとクソみたいな世界だ。やり直せないから結局どうしようもなかったのに、こういう奴らは自分だけは全部解ってるような喋り方をするんだ。
魂とか輪廻転生とか一切信じてなかったけど、ただわかる事は俺が地獄へ行くんだろうという事だけだ。
しかももう30近くにもなって正論で説教されるんだ。どうがんばってもうなだれて首が折れてしまう。
「12才の時に野良猫を拾ったようですね」
「はい、まあ雨が降っていてムギさんを拾った時も冬で寒かったから」
彼女はため息をつくと、無線機でトウフさんと呼ばれる人物を呼び出した。
トウフ?
ドアが開くが、誰も見えない。
「やあ、君が白田柚希君かい?」
声の主が見えない、幽霊だろうか。
「トウフ警視長です、挨拶してください」
俺は何も見えない空虚に向かってお辞儀をして挨拶をすると、突然机の上に黒猫が飛び乗ってきた。
「はろーひゅーまん」
目を丸くした。この黒猫が声の主だ!間違いなく今俺に喋りかけた。信じられない、もうなんでもありじゃないか。
「君はあれだよねえ、お人好しだよねえ」
「あ?僕ですか?」
「そう、柚希さんは良い人だって我は知っているからねえ」
彼女に視線を向けると、何?という顔で返される。猫が喋っているというのに説明もないのか、さも義務教育で習ったかのような目をするな。
喋る黒猫は机の上でごろんと寝転ぶと前脚の爪を口ではみながら「触っていいぞ」と告げた。
「恐れ入ります」
ふかふかのパンみたいだ。ムギさんもこんなんだったな。
「この方がトウフ警視長よ、こうみえても私の上司だからね」
「ふふふ、すまないねえ白田さん。こちらの不手際で例の物を紛失してしまって」
「構いませんよトウフ警視長」
聞き捨てならない、俺は構う。
「白田さんが救ったムギ元警視総監はとっくに引退されてしまってね。そのムギ警視総監からの荷物だったのだが高価な品らしく、保管庫ごと盗まれたのだ」
なんてこった。よくわからないが、俺宛の配達物は凄い物すぎてわるーい何者かに盗まれてしまったらしい。
「ムギ警視総監から随分よく白田さんの事は聞いていたよ、彼女は君に凄く感謝していたからねえ……ところで君は地獄行きだそうだが。もし道を選ぶチャンスがあると言ったらどうするかね?」
「トウフ警視長それは‼」
彼女が大声を上げて立ち上がる。
「ムギ警視総監は君が頑張っている姿を見て励まされ、猫にも関わらず警察の出世街道を登り詰めたのだ」
俺は確かにろくでなしとか、ひきこもりとか指をさされて笑われるタイプの人間だ。だけどムギさんだけはそう思っていなかったのだ。
深呼吸をした。少しだけぼやけていた世界が今はくっきりと視える。
「我はチームを持っていてね」
「警視長‼」
「チームですか?」
「そうae Sportsのチームだよ」
「もしかしてゲームの?」
「話が早くて助かるよ、自慢じゃないがスポンサーもついていてねえ」
「私は反対です!こんなみすぼらしい奴、向いてません‼」
「落ち着きたまえ藤野君」
机をドンと叩くと藤野さんは俺をしばらく睨みつけて指をさして口を開いた。
「私は白田さんが生き返ったところで何の反省もなく、まただらだらと生きるだけだと思います!」
藤野さんの言う通り、そうかもしれない。
ん?生き返る?
「生き返れるんですか?」
「まあケースバイケースだけどねえ白田さん、君が選べる道は4つ。天国行き、地獄行き、転生……そして、生き返りだ」
世界が色鮮やかになった。いや、きっと俺の世界を見る目が違ったんだ。
「生き返りたいです今すぐに‼」
「にゃっはっは!そうかいそうかい。まあでも焦っちゃだめだよ、まだ生き返れるかどうかわかんないからねえ。このまま君の体が死んでしまったりする事だってある」
「どういう事ですか?」
「君は今、魂だけ抜けているんだ。まあ仮死状態って奴だね、魂が戻らない限り目を覚ますことなんてないんだよ」
目を覚まさないってことは、ずっと母さんは俺の意識が戻る事を考えながら過ごすって事だ、母さんの顔は想像に難くない。
「ようは君の体が無事ならば生き返れるんだよ」
チケットだ、生き返りのチケットがそこにあるんだ!今が俺の人生で一番のラッキーチャンスなんだ!
「どうすればいいんですか?」
「結局はこの幽界も金だよねえ、霊貨があればかしこい知能に、健康な命だって憧れの夢でさえもチャリンと買えるのさ。そこで君にオファーだ!我のもとで働かないか、我のチームに入って賞金を稼いでみないかい?」
「私は嫌です!もう一度言いますが、私は白田さんが生き返っても意味がないと考えています」
なんてキツい言い方なんだろうか、ニートってのは敏感なんだからもっと優しく言ってほしい。
「藤野さんはどうしてそう思うんですか?」
「私はあなたの個人監査官です、あなたの人生の全てを観て知っています。だから言いますが、もう死んでやり直したほうが手っ取り早いの!今の人生なんて詰んでる。経験や技能もろくになく、仕事をできなくなってから自信を無くして彼女も出来ず、唯一の才能があったけど仕事に踏み切らなかったFPSですら年齢を考えるにもう現役で活躍なんてできない。そんなあなたが生き返ったところで明るい未来なんてある訳ないでしょう‼」
……まったくもってその通りである!
彼女は俺の人生の全てを知った上で言っているのだ。本来は腹を立てるべきなのだろうが、もうここまで知られていると逆に関心する。だけどむしゃくしゃする、なんでだろう。
「チームに入る事は百歩譲って許しますが、生き返りは……」
「藤田君、君が言いたいことはわかるけどねえ、白田さんも人間なのだ。人間は非合理的な答えを出す生き物なのだ、君と同じように」
母さんはどう思うだろうか、俺が生き返ったら。
俺だったら嬉しい。それだけでいいんじゃないだろうか。生き返る理由とか生きる理由なんて、大切な人や家族と一緒にいたい。それの何が間違ってるんだろうか。
だけど、やり直すには遅すぎる……か。
刺さる言葉だ。
もし俺がそれに立候補しても、ゲーがム上手だからって全部のジャンル、全てのゲームが上手い訳ではない。当たり前だが新作のゲームでもない限り、先駆者が必ずいて追いつこうにも向こうだってすごい速度で成長しているのだ。
正直自信なんてない。
「藤田君、この前の試合を彼に観せたまえ」
ワンセグというやつである。横になった画面から実況解説の声が聞こえてくる。覗き込むとそこには真剣な顔つきでヘッドセットを付けた若い奴らと、その奥に空いた席なんてない!観客がぎゅうぎゅう詰めになった会場の様子が映し出される。
藤野さん⁉なんで藤野さんがロゴ付きユニフォームを着ているんだ?
「モロトフが刺さる~っ!アビスハイウェイいきなり1v5だあ!だがスケアの目はまだ死んでいない‼」
AKを持った藤野さんが操るキャラクターは劣勢にも関わらず、2枚3枚と上手く1対1の状況を作り出して勝つべくして撃ち勝っている。
しかも敵が見えるか見えないかのギリギリだ、恐らくは本人には足音が聞こえているんだろう。見る限りマップは3ウェイ構造で爆破ルールメインのFPSだ。
あっという間に流れを掴み、ポイントスモークを投げて爆弾の設置をする。藤野さんのプレイヤーネーム、スケアというのか。しかし1対2の状況で爆弾をどうやって守るのか。俺ならもう一枚削ってから設置する。
スケアのハイドエリアに火炎瓶がなげられ、移動したところにフラッシュバンが飛んでくる……が視界を振って直視を避ける。上手い!
オフアングルを利用しながら威嚇射撃しつつ後退し時間を稼ぐスケア。だがこの方法ではダメだ。
危惧した通り1人が爆弾の解除にはいり、もう1人が解除しているプレイヤーを守るような体勢に入ってしまった。爆破ルールでは爆弾を解除すれば設置側が負け、爆破できれば勝ちというわかりやすいルールだが。卓越した連携が重要になる。
フラグのピンを抜くスケア。そうだピンポイントフラグがあるのか!信管を抜いた音が響き、敵もわかっているようで急いで潰しにかかるがまにあわずに遠投が決まる。結局フラグを投げたスケアはキルされたが、それによって敵側の爆弾解除が遅れてしまいラウンドを取るアビスハイウェイ。どよめく会場。
興奮せずにはいられない‼藤野さんはたった1人でラッシュ失敗から持ち直し、5人相手にラウンド勝利を収めたのだ。誰がどうみたって正真正銘のクラッチである。
滾るのを感じる。やってみたい!挑んでみたい!負けたってもう魂がふっとんでるんだ!どうなったっていいじゃないか。
もし生き返れたら儲けものだ、母さんだって喜ぶ。
せっかくムギさんが作ってくれたこの幸運を逃してたまるか!
それにスケア?スケア……聞いたことがある。
確かスケアクロウだ、日本人女性でアジア大会優勝、世界大会にだって出た事のある選手じゃないか!めっきり名前を聞かないと思っていたらまさか亡くなってたのか。
「スケアクロウですよね!ファンです!いつもフラグムービー観てました!」
「知ってるわよ」
「さっきのだって凄い!かっこよかった‼だってほら、クラッチですよ1v5の‼まさかこんなところで会えるなんて」
「相手が油断していただけよ、偶然勝ったに過ぎないわ」
そんな訳ない、遮蔽物の使い方から判断速度に練習を重ねて作り上げた空爆とも呼べるピンポイントグレネードとその身体が覚えた時間間隔にいたるまで。間違いなく本物の猛者だ。
俺とはまさに対極。本当に強いプロ選手だ。
「トウフさん、彼女と同じチームに僕が入るんですか?」
「あ!はいっちゃう?えへへ、そうだねえ!はいっちゃうよねえ!」
「はい‼」
「という事だ藤野君、君はアビスハイウェイの白田さん教育係も務めてくれたまえ」
藤野さんは大きなため息をつくと一言「了解しました」とぼやいた。
エントランスは思ったより静かだ、役所みたいな感じで交通課と書かれた吊り標識まであるし、何故かガラスケースに飾られたウィンチェスターがある、ソードオフされてないシンプルな奴だ。
「そういえば、幽界でも交通事故で死ぬとかってあるんですか?」
「不謹慎な事を言うな、だが、そういうのはある」
藤野さんの目線を追うと、指名手配犯の顔がずらりと貼ってある壁が立っていた。みんな悪そうであるが、1人だけまんま俺の免許証の証明写真そっくりの顔がある。
「あの人僕に似てますね」
指をさして笑うと、じっと藤野さんににらみつけられた。
「似てなんかない。それはそうと、白田さんに活躍なんてできる?チームで」
「さっきのゲームだったらいけると思います、結構昔に似たのやったことあります」
「私たちがやるのはあのゲームじゃないわよ」
「え?」
「あれに似てるけどもっとめんどくさいヒーローシューター。ティザーがあるの、署のWi-Fiを使って検索してみて」
Wi-Fiなんてものがあるのか?幽界はいったいどんな仕組みなんだ?
「あの、この世界ってどうやって成り立ってるんですか?」
「幽界のこと?すべては魂、幽霊でできているの、幽霊の服に幽霊のWi-Fi、幽霊の太陽に幽霊の重力、そして幽霊の肉体」
幽霊の肉体……?考えると頭痛がする、蟻が宇宙の成り立ちを理解できないのと同じだ。
「幽霊のYouTubeで『ニューエイジ』と検索してみて」
なんでも幽霊のってつけてるだけなんじゃないか?
検索するとティザームービーが出てくる、まるで現実の世界のようだ。
正式名称『ニューエイジ:フロントライン』略称NA:FL。
ヒーローシューターの爆破ルール物で、マネーシステムとスコアリワードシステムにPC専用のユーティリティ要素が加わった近未来型のFPSだ。見る限り登場している兵器は実銃やドローン、強化骨格や爆撃のみ。世界観で言うと現代戦にSFが少し混じってる感じだ。
敷居が高くて新規層が入りにくいFPSというジャンルだが、このシステムは比較的カジュアル層向けに作っているシューターだろう。
「FPSなのにレベル制があるんですかこれ?」
「珍しいでしょ?」
正直やってみるまでどんなゲームか想像がつかない。
「とりあえず、触らしてください」
そう言うと振り返った藤野さんの胸に俺の手が沈んでしまう。
「わざとじゃないです」
「白昼堂々と、だてに違法視聴してないな白田」
敬称がなくなってしまった。
ここが藤野さんの家か、立派な一戸建てである。
「一応DLできるのは明日の午前10時頃らしいわ、しばらくは私の部屋に泊まって」
女の人の部屋に初めて入ったが思ったより普通の部屋だ。奇麗好きなのかきちんと片付いている。
よく見ると私服の藤野さんはとても美人だった。幽界にも結婚とかあるのだろうか?幽霊の恋人の1人ぐらいいてもおかしくないのに人格に問題が?
藤野さんは、急いで部屋干ししていた洗濯物をベランダに移動させるとデスクの引き出しからメジャーを取り出す。
「ちょっと測るわよ」
「なんですかこれ」
「ユニフォームが必要でしょ」
割と女の人にボディタッチされるの初めてかもしれない、少し緊張する。
「ベッドで寝ていいわよ、私は椅子で寝るから」
「すみません、ありがとうございます」
「ねえ、普通ちょっと遠慮しない?」
どうなのだろうか、遠慮なんて今まで生きてきてしたことがない。俺とは縁の無いものだ、病気と喧嘩以外は貰っていい。
「とりあえず白田さんの家が決まるまでは相部屋よ」
「本当に死んだんですね、僕」
キーボードを叩く音だけが部屋の中に響いてそれが心地いい。
まぶたが重く、目の奥の疲れに身を任せると意識が徐々に途切れていった。
アラームが頭を揺らす。
そうだ仕事に行かなくては。
スーツに袖を通し、学校へと向かう。
お盆休みは暇である。本来は生徒が来ないが部活動などで来ることはある。そして生徒の練習が終わると暇になる。
大体はこういう時に休暇を取ったりする。大会にでる生徒のスケジュール管理にたまった事務などをこなすがやはり仕事という仕事はない。
それは俺だけではない、大体の先生たちも暇である。
まあだから休暇をここに合わせて取るのか。
「ごめんねぇ、白田先生。君は凄いね!こんなにも間違え探しが得意だなんておもわなかったよ、若いのに本当に凄いねえ。僕はちょっと今日早めに帰るから、あとはゆっくりしてね」
「ああ、いえ。お疲れ様です」
国語の先生も大変だよなあ、あんな長い文書かされるんだから。
机を叩く音が響いた。
「おい白田、図に乗るなよ。俺が頼んだ仕事はどうした?あ?」
立川先生から振られた仕事はもう終わっているが、チェックがまだ終わってなかったな。流石にそのままだすのはまずいだろう、この人の事だから説教が始まってしまう。
「すみません、まだ最終チェックが終わってないです」
その言葉を聞いた途端に肩を震わせる立川先生。なんだ?どうしたんだ?そうか、並んだデスク順に書類を多重チェックさせていたのか。俺の前に立川先生がチェックしていて、なのに俺が不備を10個近く見つけたから恥をかいたと思ってるんだ。
お盆休みの教務にはもう誰もいないだろうに。
「普通はなあ、やり終わってから次の仕事を引き受けるんだよ」
「でも書類チェックぐらいですし」
パンと高い音が破裂して、その後俺はぶたれたんだという事に気付く。
「謝れよ、免許無し」
「……すみません」
「声が小さいんだよ!腹から声出せ」
「すみません‼」
「うるせえんだよ!」
再び頬に痛みが走る。立川先生は俺の座っている椅子を勢いよく蹴ると、横たわった俺に向かってこう吐き捨てた。
「お前自分の方が頭いいなんて勘違いしてるんじゃないだろうな?」
「してないです」
「してんだろうがよ!」
顔に蹴りを貰うと、流石に痛みで感覚が鋭敏になってくる。
鼻血も止まる気配がない。
その後日は、立川先生は俺が昔無断欠勤をしたとか、母親が統合失調症を患っているから俺もそうだと周りの先生に言葉巧みに吹き込みを始めた。
お盆休みのまたとある日、立川先生から個室に呼び出されて3時間ほどずっと怒鳴られた。確かに俺は用量が悪い時もあるが、初めだけだ。
覚えれば誰よりもちゃんとできる自信がある。
だけれども、なんでだろうか。渡り廊下で外を眺めると涙がとまらないのだ。抑えようとしても溢れて止まらない。その日は結局教務に戻らず業務時間を外で過ごして退勤した。
アラームが響くが起きている。寝られるわけなんてない。
心臓はいつもより早く悲鳴をあげるようにうなりつづける。袖を通すスーツがいつもよりもずっと重く感じる。ご飯も喉を通らなかった。
仕事に行かなくては。
ドアの鍵をやっとの事開けて、取っ手を回転させようとするが、回らない。時間がとまってしまったようにピクリとも動かない。頭でどれだけ命令しても氷のように俺の手は微動だにしない。
開かない……‼玄関が開かないんだ。出勤時刻まであと20分ある!まだ間に合うんだ。
結局、20分俺は玄関で固まったまま動けずに、座り崩れて休みの連絡を教務へいれる。スマホを持つ手の震えが止まらない。カウンセラーだ、カウンセラーに連絡しなくては──
気持ちよくとはいかないが、気づけば寝てしまっていた。
今何時だ?スマホの時計は全然進んでない、それも事故当初から一分も立ってない。部屋の壁かけ時計を見ると午後11時を指していた。夢だったらよかったのになあ、死んじゃったなんて。
もよおしたので用を足す為にトイレを探す。ここだろうか?
いや待て、異世界物やラノベを思い出すんだ!こういう時はあれだ、お風呂から出てきて脱衣所で体を拭いている途中のヒロインのドアを開けちゃって、裸を見ちゃってキャーってなる奴だ。俺にはわかる、そういうイベントなんだ。
生粋のニートの端くれというか、片足つっこんでるんだこっちは、なめんなよ。
トイレらしきドアを開けようとすると鍵がかかっていた。
「ん?ここはお風呂よ白田。トイレは玄関の方」
閉まっているドアの向こうから藤野さんの声が聞こえる。
くそったれ!ちょっと期待したのに……。シャワーの音が聞こえてきたからトイレからわざわざ引き返してこっちにきたのに……なんて日だ!
結局寝られずに過ごした。朝8時に起きた藤野さんは目玉焼きとウインナーとお味噌汁という豪華な朝食をごちそうしてくれた。これも幽霊の食べ物なのだろうか?
昨日は何てことを考えていたんだ俺は。こんなにもいい人なのに完全に良心に付け込んでいた。そんな事を考えながらウイナーをケチャップにつけてかじる。
「眠れないのよね死んだ日には、そのうちぐっすり眠れるようになるから」
「はい」
久々に誰かと一緒に朝食を食べる。
「洗い物は僕がやりますよ」
9時55分だ、ニューエイジのDLページをF5連打で更新しまくっている藤野さん。
ゲームを開始すると藤野さんは軽く射撃訓練場でキーバインド設定などを始める。
「白田、このゲームの振り向きはどれくらいがいいと思う?」
「20から30くらいですかね、なんか高速移動してるキャラがいたから、若干センシ高い人1人はチームに欲しいですね」
「そうか、私もそう思うけれど振り向き変えるつもりは?」
難問である。観た感じは間違いなく覇権の新作シューターだ。
動作もかなり最適化されていて、ライト層に普及したっておかしくない。しかしとても振り向き37でプレイできるゲームかどうかは実際に試合をしてみるまで判断できない。
「まずは32まで上げろ白田」
「何か意味のある数字なんですか?」
「いや、私の感」
無理ではない。もともと俺の得意レンジは150m前後だが、このゲームのマップデザイン的にはそんなレンジで交戦しないだろう。長くてせいぜい100m前半くらいだ。
センシビティ、いわゆる照準感度は上げる方が難しい。マウスの持ち方だって変えなくちゃいけないかもしれないが本当に俺に出来るんだろうか。
プロは限られた練習期間で、それも強者相手に勝ち続けなければならない。
その辺のレート戦とは全く違うんだ、俺はプレイヤーではなく選手に生まれ変わらなければならない。トウフさんは結構ラフな誘い方だったが、荷物紛失の償いのような形だろう。
「出来るわよね?」
「やれます」
「12時前にチームハウスへ行くから。その前にアカウントを作って白田のキー設定もするわよ」
大問題発生である。
《アイスという名前は既に存在します、アイス041をお勧めします》。
観ているだけでディスプレイを拳で殴りたくなるこの腹立たしい文章は、要はこいつが俺の名前が使えないと心の凍てついたロボットのように門前払いしているのである。
俺はこんなやつになんか負けない。
《ICEという名前は既に存在します、ICE912をお勧めします》。
「おい白田、そんなIDがとれる訳ないだろう」
「アイスは僕ですよ!僕以外アイスな訳ない、そいつらが偽物なのに、こいつ……こいつが俺を偽物呼ばわりするんですもん‼」
「気持ちはわかるけど諦めて。死ぬのが遅すぎたのよ」
結局俺の新しいプレイヤーネーム、IDはアイスハートという名前に落ち着いた。俺は不満しかない。
「ご飯はコンビニで買う、車内で済ませるわよ」
気のせいか段々俺への口調が変わっているきがする。
車を見ると少し怖い。事故を起こした翌日ならなおさらだ。座席に座ってベルトをするけど脈と息が上がってるのを感じる。
「車で行くべきじゃなかった。ごめんなさい白田さん……本当にごめんなさい」
「大丈夫ですよ」
「……大丈夫じゃない時は言ってね」
正直大丈夫じゃない。知らない世界に来てここで大丈夫なんて思える奴のほうがおかしいと思う。
「バイクがあるからそれにしましょう」
ガレージの隅に眠っているカバーを藤野さんがさっと取ると、サンドカーキのアンティークっぽいサイドカー付きのバイクが姿を現した。
なんだこのバイク、あんまり見たことない奴だ。
「軍用車っぽくないですか?これ」
「ウラルだ、こういうの好きでな」
正直バイクの方が事故った時やばそうで怖い。
「……こういうの嫌いか?」
「いや、全然好きです、かっこいいと思います。でもどっちかって言えばオフロードの細身のバイクとかが好きですね」
「わかっとらんな!あんなものはバイクとは呼べん!しかも電動で走ったりする奴はクソのハッピーセットだ」
「そんな事ないですよ!何言ってるんですか‼」
藤野さんは若干思想が強い。
「まあ乗ってるうちにこっちのほうがいいって思うぞ」
「1人辞めたのよ、うちのチーム」
信号待ちで無言が続いた後に藤野さんはそう呟いた。
まあそうだろう、空いた席があったから誘われたに過ぎない。コンビニで買ってもらった幽霊鮭おにぎりをほおばりながら頷く。
「流行りがあれば廃れもあります、仕方ないと思います」
「違うの、転生したのよ」
転生か、凄いな……違う世界とかに行って、でっかい魔物相手に剣と魔法とかで戦うんだろうか?
「そういえばお金で何でも買えるって言ってましたよね」
「うん、異世界転生だって出来るし、現世転生に生き返り、軽犯罪者ですら天国にだって行ける」
幽界の方が何かと入用なんだろうなあ。
「これ、困ったら使って」
ポンとわたされた札束、そしてその肖像には見覚えがある、ムギさんだ。三毛猫だから模様でわかる!間違いない。
「これってムギさんですよね⁉」
「そうよ」
藤野さんは少し笑うと、話を戻した。
「生き返るのにいくらかかるか知らないでしょう?」
「はい、どれくらいかかるんですか?」
「そうね、日本円で例えるなら5000万くらいね、転生は1億、天国行きはカルマによるけど高くて4000万くらい、あなたなら3000万もいらないと思う」
意外に足元みてるんだなあ。転生屋みたいな仕事があってその人が元トラック運転手とかだったら面白い。
「無理ですかね……生き返りなんて僕に」
「本当の事を言うと、心停止しない限り絶対に諦めないで欲しい。生き返っても無駄かもしれないけど、実際何があるかなんて最後の最後までわからないから」
そうか、やけに俺にあたりが強いと感じていたが、藤野さんはもう生き返れないのだろう。聞いている限り生き返ることが出来るケースは稀で、それは奇跡としか言いようのない幸運と人命救助にあたった人たちが必死になって紡いだ命綱であり、それでかろうじて幽界と現世が繋がっているんだ。
「生き返れるって夢をもって働いて、でもやっぱり体の方がダメだったとかよくあることなの」
藤野さんは俺のいいかげんな生き方をずっと監視していたんだ、傍から見ればいらだちが募っていて……。
スケアクロウがアジア制覇した後、インタビューを受けて言っていた言葉がある、『どんな形でも一生この仕事にかかわっていたい』
死んでも藤野さんは変わっていないのだ。俺の憧れのプレイヤーの1人であり、今もずっと、この先もずっと永遠にそうなんだ。
彼女はもう戻れないのだ、2度と。
そして現実という壁がある事を忠告してくれているんだ。彼女なりの親切心だ。
何年間俺をこの世界で監視していたのか、推し量るにはあまりある。どんな気持ちで過ごしてきたのか、死んでも諦めない彼女を突き動かすのは転生だとか、天国行きだとかそんな物ではない気がする。
自分の人生のリターンマッチを前に、俺はなぜか新作のFPSが出来るという事に少しワクワクしていた。そんな軽いお遊びでお金が稼げるほど甘くはない。ましてや俺の身体能力は29歳のままだ。
ディスアドバンテージも良いところである。
「若さってお金で買えますか?」
「流石に時間は買えないわ、衰えたなら再び鍛えるしかない」
チームハウスに到着すると、2人の女性が藤野さんに挨拶をする。体育会系の縦社会みたいである。
不思議と奇異な目線を向けられている気がする。
「言い忘れてたんだけれど、アビスハイウェイは女性プロゲーミングチームなのよ」
ああ、そうか。
ん?俺は男だがなんか聞いてた話と違わないか?
「引っこ抜くのよ……」
あごに指をさしてそう語る藤野さん。
「え?」
「決まっているでしょう?」
藤野さんと周りの女性の視線が俺の股間に集まった。
チームハウスは防音設計だが、俺の魂の雄たけびは室外まで響いた。
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