第7話 貴族に転生した社畜、奴隷を購入する。グレイス―三歳


 ――――帰り道。


 一通り商店街通りを見てご機嫌になったリシェットは、鼻歌混じりに通りを歩いていた。


 まったく……買い物で勝負するとか言っていたことを完全に忘れているな、この子。


 まぁ、何事も無く街を見て終えることができて、良かったと言うべきか。


 ため息を吐きながら、前を歩くリシェットの後ろ姿を見つめていた、その時。


 突如、前方から人々の喧騒が聴こえてきた。


 何事かと視線を前に向けると、そこには、多くの人だかりの姿が。


 その光景を見て不思議に思ったのか、リシェットは足を止める。


 そんな彼女の横に俺とオリヴァーは横一列に並び、俺たち三人は、同時に首を傾げた。


「何なの、あの人だかり。オリヴァー、あんたちょっと見てきなさいよ」


「ボ、ボク一人で行くのは嫌だよ、リシェットちゃん!」


「お店か何かかな? ちょっとみんなで行ってみようか」


「そうね」


「う、うん、分かった」


「あ、お待ちください、お坊ちゃま方!」


 モニカの制止の声を無視し、俺たち三人はその集団に混じっていく。


 ごめんなさい、モニカさん……好奇心には勝てなかったよ……。


「って、あれは……?」


 群衆に近づくにつれ、その正体が露わになる。


 アレは……露店のようなものだった。


 しかし、売られているのは……モノではなかった。


 そこにいたのは、商人風の男と、両手両足を鎖に繋がれている――小さな女の子と、そんな彼女に寄り添う黒い子犬の姿であった。


 青い髪をした女の子は俺と同い年くらいだ。


 痩せこけ、その手に小さな子犬を抱きながら、しゃがみ込んでいる。


 彼女は虚ろな目で、ただ、地面を見つめていた。


 そんな少女の前に立つと、チョビ髭が生えたハット帽の男は、両手を広げて観衆に向けて大きく口を開く。

 

「さぁ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい! この少女は、正真正銘の旧人類魔力なし! 先の王国との紛争で捕虜となった、野蛮な騎士の娘だよ!! 家事に使わせるのも良し、腹いせのサンドバックにするのも良し。三千ルピで売るよ!! さぁ、買いたい人はいますぐにお声掛けを!!」


 その声に、観衆たちは言葉を交わし始める。


「王国の猿ども、旧人類魔力なしの奴隷か。使い道は色々とありそうだな……!」


「俺は奴らに父親を殺されたんだ!! その腹いせにあの女をボロボロにしてやってるか!!」


 そう会話する人々は皆、その顔を憎悪で歪めていた。


 その光景に、リシェットとオリヴァーの二人は身体を震わせながら、俺の左右の腕を掴んでくる。


「な、なんなの、これ……!」


「グ、グレイスくん、ボク、怖いよ……!」


 幼い子供にとって大人たちが本気で怒り狂っているこの光景は、どうやら耐えられないもののようだな。


 しかし、あの子供はどうしてあんなにも、人々に憎悪を向けられているのだろうか?


 この状況だけだと、まだ、理由がよく分からないな。


 察するに、敵国から連れてこられた人間だと察するが……どうなのだろう。


 そう、目の前の状況に首を傾げていた……その時。


 突如背後から、声が掛けられた。


「……アレは、旧人類魔力なし……つまりは、敵国、神聖王国の人間です」


 そう言って俺たち三人の元に近付いてきたのは、モニカだった。


 彼女は辛そうに目を伏せた後、俺の頭を優しく撫でてくる。


「さぁ、帰りましょう、お坊ちゃま。ここは、子供に相応しい場所ではありません」


「モニカさん。あの子、このままだとどうなっちゃうんですか?」


「お坊ちゃまが気に病むことではありませんよ。さぁ―――」


「そいつ、三千ルピで、俺が買うぜ!」


 その時。手に酒瓶を持った無精髭の男が、前に出てそう宣言した。


 その言葉に、商人は手をこすり合わせ、笑みを浮かべる。


「ありがとうございます! では、代金の方をいただいてもよろしいでしょうか?」


「へへ、ウサ晴らしに、丁度良い奴隷の女が欲しかったんだ! ほらよ! 金だ!」


「ひいうふうみい……ありがとうございます。では、こちらを―――」


「――――ちょっと待ってください」


「え? お、お坊ちゃま!?」


 俺は群衆をかき分け、男の前に立つ。


 そして、彼に声を掛けた。


「その少女、僕に売ってくださいませんか?」


 こちらのその発言に、男は酒を煽り、下卑た笑みを浮かべた。


「残念だったな、坊主。俺の方が宣言が早かった。お前は別の奴隷を探すんだな!」


「ええ、申し訳ございませんねぇ、お坊ちゃん。こちらの方のほうが宣言が早かったので。また別の機会に私らの店を御贔屓にしてくださると」


 やはり、無理だったか。それに、今の俺にはお金なんてもの持っていないしな。


 咄嗟に動いてしまったが、少々、考えなしの行動だったか。


「――――――ん? んん?」


 商人のハット帽の男は突然目を細めると、俺の顔を凝視してくる。


 いや、顔ではなく、その視線は俺の胸ポケットへと向けられていた。


 男は目を見開くと、俺の肩を掴み、血相を搔いた様子で開口した。


「き、君ぃ! その胸ポケットに付いているブローチ!! も、もしや、魔法石ではありませんかぁ!?」


「魔法石?」


 俺は、自身の胸ポケットに付けられている紅い宝石を見つめる。


 そして顔を上げると、ニヤリと、商人に向けて笑みを浮かべた。


「商人さん。これ、奴隷の代価にはなり得ませんか?」


 俺は胸ポケットに付いている紅い宝石のブローチを引き契り、それを、商人へと渡す。


 ブローチを受け取ると、商人は目を見開き、驚きの声を上げた。


「こ……これは、純正の火属性魔法石……!? 二万ルピはするものですぞ!?!? ど、奴隷如きにこんなものを支払うのですか、貴方は!?」


「そんなにするものだったのですか? でしたら……その奴隷、僕が購入してもよろしいですよね?」


 俺のその言葉に商人はブンブンと頭を上下に振る。


 すると酒瓶を持った男は、チッと不快気に舌打ちを放った。


 そして男は「貴族のクソガキが」と捨て台詞を残し、その場を去って行った。


 その場に残るのは、俺と商人、そして、奴隷の少女だけ。


 商人は、魔法石を懐へと仕舞うと、少女の首に繋がっている鎖の持ち手を俺に手渡してくる。


 俺はその鎖を引っ張る、なんてことはせず。少女に近付き、しゃがむと、優しく声を掛けた。


「大丈夫? 立てる?」


 俺のその言葉に、彼女は虚ろな目でこちらを見つめ、コクリと頷きを返してくる。


 少女は立ち上がると、フラフラと一歩、こちらへと近寄ってくる。


 そして、何故か一歩目で足を止めると、背後にいる真っ黒な子犬に視線を向けた。


 その光景を見て、俺は商人に顔を向ける。


「この犬も、連れて行って良いですか?」


「え、えぇ! その犬は何度道端に捨てようとも、痛めつけようとも、その少女の傍を離れないものでして……ほとほと困っていたのですよ。好きに連れて行ってください」


 お犬さまを無碍に扱うとは……こいつ、ろくでもない奴だな。


 食べ物を粗末にする奴と、動物を虐める奴、あと、小さな子供を虐める人間に、碌な奴はいないと相場が決まっている。


 俺はぐったりとしている子犬を右手で抱えると、フラフラと歩く少女と手を引き、その場を後にした。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「お坊ちゃま……いったい何をしてらっしゃるんですか……」


 群衆が捌けた後。そう言って、俺の元に近付いてきたモニカは大きくため息を吐いた。


 そして彼女は俺の前に立つと、奴隷の少女に視線を向け、再度、俺にジト目を向けて来る。


「それで、この子、どうするんですか? お坊ちゃまの奴隷として、お屋敷に連れて帰るのですか?」


「……君、名前、何て言うの?」


 そう、隣にいる奴隷の少女に言葉を投げてみるが……無反応。


 彼女はジッと俺のことを虚ろな目で見つめていた。


「言葉、分からないんじゃない? 王国の子なんでしょ、その子」


 そう言ってリシェットは、奴隷の少女の顔を真正面からジーッと見つめ始める。


 その横で、オリヴァーも少女のことを物珍し気に見つめていた。


 その後、リシェットは俺の肩をバンと乱暴に叩くとニンマリと満面の笑みを浮かべた。


「やるじゃない、グレイス! 見直したわ!」


「え?」


「うんうん! グレイスくん、とってもかっこよかったよ! ボク、やっぱり君には憧れるよぉ!」


 そう言って二人は俺に笑みを向けてきた。


 咄嗟に、この子を助けてしまったが……やっぱり、見捨てるなんてことはできなかったよな。


 俺は奴隷の少女の手をギュッと握った後、モニカへと顔を向けた。


「モニカさん。僕、この子を御屋敷に置いてあげたいです。構わないでしょうか?」


「まったく。本当に、お坊ちゃまは……御父上様によく似ていらっしゃいますね」


「え?」


「いえ。私の一存では決めかねますので、お父様にお聞きしてみては如何でしょうか」


「はい!」


 俺はそう返事した後、奴隷の少女へと視線を向ける。


「大丈夫? 歩けるかな?」


 俺の言葉を理解できないのか、こちらをボンヤリと見つめる少女。


 そんなこちらの様子を見て、何故か、リシェットは不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。


「……ちょっと。あんた、いつまでその子と手を繋いでいるのよ!」


「そんなこと言ったって……彼女、上手く歩け無さそうだし。僕が導いてあげる必要があるだろう?」


「それは……そうかもしれないけどぉ……!!」


 何処か不満げな様子で唇を尖らせるリシェット。 


 俺はそんな彼女の様子に首を傾げつつ、奴隷の少女の手を引いて、帰路へと着いた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ど、奴隷を買ってきた!? グレイスが!?」


 屋敷に帰ると、父さんはポカンと口を開け、エントランスに立つ俺と奴隷の少女を交互に見つめる。


 そしてその後、眉間に手を当て頭を横に振ると、ため息交じりに口を開いた。


「グレイス、奴隷というものは犬や猫とは違うんだ。相手は人間なんだぞ? むやみやたらに連れてくるものでは――――」


「父さん。僕は、間違った行いをしたとは思っていないよ。あのままだと、この子は間違いなく悲惨な目に遭っていた。父さんも前に言っていたじゃないか。貴族の責務ノブレスオブリージュを忘れてはならない、って。助けを求める民を見捨ててはならないって」


「……」


 父さんはジッと俺の目を見つめる。


 数秒間見つめ合った後、父は呆れたように肩を竦めた。


「まったく、お前という奴は、誰に似て口が上手くなったのか……」


 そう言って俺の頭をポンと撫でると、父さんはしゃがみ込み、俺の顔を正面から見つめてくる。


「良いか、グレイス。その子はお前が拾ってきた。だから、その子を今後どうするのかはお前の手に掛かっている。父さんは衣食住は提供してやるが、その子の未来を決めるのはお前自身だ。誰かに手を差し伸べるのは簡単だ。だが、手を差し伸べた者にも、それ相応の責務が生じることをよく覚えておけ」


「はい」


「よし。じゃあ、まずは……その子を風呂にでも入れてやると良い」


「わかりま……え、お風呂に、ですか!?」


「そうだ。幼い女の子を汚いままにしておくのは可哀想だろう? お前がその子の世話をするんだ、グレイス」


 そう口にして父は立ち上がると、背後にいるリシェットの父ルークと、オリヴァーの父ジェームズへと視線を向けた。


「すまなかった。ウチの子がリシェット君とオリヴァー君を連れ回してしまったみたいで」


「いやいや。こうして無事だったわけだし、そう謝らなくても大丈夫だよ。それにしても本当に利口で優しい子だね、グレイス君は。まさか、不憫に思って奴隷を購入してくるとは……」


「本当に。弱った人を救うその姿勢。将来が楽しみな子ですよ」


「ちょ、ちょっと待って、お父様! 街に行こうと言ったのはグレイスじゃなくて、私―――」


「おっと、そろそろ馬車の時間だな。では、レーテフォンベルグ伯」


「あぁ。今日はありがとう、アークレイシア伯、オルタリア男爵」


 そうして、リシェットとオリヴァーは父親の手に引かれ、その場を後にするのだった。


 去り際。リシェットは何処か後ろ髪を引かれるような様子で、俺と奴隷の少女を見つめていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ――――――レーテフォンベルグの御屋敷。地下にある大浴場。


 俺はそこで現在、背後から奴隷の少女の髪をわしゃわしゃとシャンプーを使って洗っていた。


 最初は成人済みの俺が、幼い女の子の身体を洗うことに何となく抵抗があったが……流石にここまで小さい少女の身体に対して恥ずかしさは覚えないな。


 見たところ、彼女は俺と同年代くらいだと思える。3~4歳くらいだろう。


 黒みがかった青い髪が長く伸び、バスチェアに座りながら、少女はぼんやりと虚空を見つめている。


 彼女の背中には、入れ墨が彫られていた。


 見たとこが無い、円の中にY字とWが重なったような不思議な紋章。


 それに加えて、全身、傷だらけだった。


 痣や細かな切り傷が多いことから、今まで悲惨な暮らしをしていたことが窺える。


 俺は一通りシャンプーを泡立て終えると、今度はボディソープとボディタオルを手に取り、彼女の背中をゴシゴシと洗っていく。


 すると少女はビクリと身体を震わせた。……傷に染みたのだろうか?


「あ、ごめん、痛かったかな?」


「……」


「あとで手当てしてあげるから。今は我慢してくれると嬉しいな」


「……」


 少女はこちらを振り返る。その表情に変化はない。能面のような無表情。


 だが、その紅い瞳の中は……微かに揺れていた。


「え……?」


 少女は突如俺に抱き着いて来ると、シクシクと泣き始める。


 俺はそんな少女を抱き、優しく、その頭を撫でた。


 隣にいる子犬が、クゥゥンと、悲しそうに泣き声を上げるのだった。

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