第5話 貴族に転生した社畜、天才児となる。グレイス―三歳


 その後、リシェットとオリヴァーたちは、それぞれの親と共に馬車に乗って帰っていった。


 リシェットは俺にあっかんべーして、オリヴァーは小さく手を振って去っていった。


 おてんば娘と、気弱だけれど優しそうな少年。とても対照的な二人だな。


 そんな彼らを門の前で見送った後、俺と父さんは屋敷の中へと戻った。


 すると、エントランスホールに、メイドのモニカの姿があった。


 モニカは俺たち親子の姿を視界に留めると、こちらへと慌てた様子で駆け寄ってくる。


「旦那様! グレイス様!」


「おや? モニカ君? どうかしたのか?」


「……旦那様! グレイス様は、稀に見る天才児だと思います! 家庭教師などをお付けした方がよろしいかと!!」


 そう言ってモニカは両の拳を握り、フンスフンスと鼻息を荒くする。


 そんな彼女に対して、父はコクリと頷きを返した。


「あぁ。さっき、我輩も驚いたのだよ。この子が流暢に言葉を喋ったことにね」


「ですよね!! た、多分、帝国始まって以来の天才少年時だと思います!! ですから、彼に―――」


「待て待て、落ち着きたまえ、モニカ君。グレイスはまだ三歳だ。いきなり家庭教師というのも酷な話だろう」


 そう言って父さんは俺の前に立つと、目線を合わせるようにしてしゃがみ込んだ。


「グレイス。ゆっくりで良い。そうだな……まずは、子供用の教科書が良いか。ついてきなさい」


 父さんは立ち上がると、俺の手を引っ張り、廊下を歩いて行った。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「着いた。ここは、我が家の書庫だよ、グレイス」


 父に連れて来られた場所。そこは、大量の本棚が建ち並ぶ、一階の書物庫だった。


 父は本棚から一冊の薄い冊子を手に取ると、それを俺に手渡してくる。


「これは、子供向けの帝国語の教科書だ。そうだな……こっちにきなさい、グレイス」


 父は手を引っ張り、俺を、奥の机へと連れて行く。


 そして彼は椅子に座り、俺を抱き上げると、自身の膝の上へと乗せた。


 今の俺は見た目は子供だが、中身は三十近い大の大人のため……この格好は何だか気恥ずかしい。


「グレイス。父さんが直々に文字を教えてやろう」


 そう言って父は机の上にある羽ペンとノートを取り出すと、ノートの上に見たことが無い文字を書き始める。


 46文字程の文字を書き終えると、父は一文字ずつ指を差して、説明していった。


「良いか、グレイス。これが、【あ】だ」


「もしかして、これって……あかさたなのことですか?」


「既に知っていたのか……!! 末恐ろしいな……!!」


 父はそう言って笑みを浮かべると、その後、俺にひとつひとつ文字を教えていってくれた。


 日本語の五十音順と似ていて、覚えやすそうだな。文字は……残念ながら見たことが無いものだったが。


 父は一通り文字を教え終えると、優しく俺の頭を撫で、口を開いた。


「この書庫をお前にやる。好きに利用すると良い。だが……まずは教科書を読んで、基礎を学ぶことだ。何事においても基礎は大事だぞ、グレイス」


「ありがとうございます、父さん」


「他には何か聞きたいことはないか? 父さんに何でも言ってみると良い」


「前から気になっていたのですが、その……僕に、お母さんはいるのでしょうか?」


「…………」


 その質問に、父さんは微笑を浮かべたまま、目を伏せる。


 そして、一拍程置くと、背後にあるガラス窓を見つめ、外の夕焼け空を見つめ始めた。


 その横顔は、何処か……寂し気な気配が漂っていた。


「お前に母さんはちゃんといるよ、グレイス」


「でも、この家にはいませんよね? ここにいるのは僕と父さんと、メイドのモニカだけ……」


「そうだな」


「亡くなられた……のですか?」


「いいや、生きているよ」


「では、離婚……?」


「馬鹿言え。父さんと母さんは帝国でも随一のラブラブ夫婦だ。離婚なんかするか」


「じゃあ……どうして……?」


「複雑な事情があってな。お前が大きくなったらそのうち説明する。だけど、これだけは覚えておけ、グレイス。お前の母さんは……誰よりも、お前との再会を望んでいる、と」


 そう言って父さんは俺の肩をポンと、優しく叩いた。


「さぁ、夕食にしよう。今日はグレイスに可愛い婚約者ができた記念日だ。都のレストランで、美味しい料理を手配しておいたぞ。たくさん食べて、早く大きくなると良い」


 父さんは俺を床に降ろすと、手を繋ぎ、そのまま自分を連れて書庫から出て行った。


 結局、母のことは……謎のままだった。


 いつか、父さんの口から、母のことを聞ける日が来るのだろうか。


 いつの日か……聞けると良いな。母さんのこと。

 

「グレイス。帝国貴族に産まれた以上、貴族の責務ノブレスオブリージュを忘れてはならないぞ」


 食堂へと向かって廊下を歩いている最中。


 ふいに、父がそんなことを俺に言ってきた。


 俺は手を繋ぎながら、隣を歩く父の横顔を見上げる。


 父は真っすぐと廊下の先を見つめながら、続けて、開口した。


「貴族として、自領の民が泣いていたら、損得抜きに手を差し伸べられる男となれ。フフッ、父さんもよく祖母にそう言われてきたんだ。だから、この言葉をお前にやる」


 ――――――レーテフォンベルグ家、当主、『テオドール・フォン・レーテフォンベルグ』。


 今世での自分の父であるこの男は、多分、とても良い父親なのだと思う。


 俺の前世の親は、ろくでもない奴らだった。


 だから……彼の温かさは、俺にはとても新鮮だった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ―――夜中。午後二十三時。


 俺は自室のベッドの上でうつ伏せになり、今日父から貰った教科書とノートを見つめていた。


 父に書いて貰った五十音順のノートのおかげで、手間はかかるが、何とか子供向けの教材の解読は進んでいた。


 何点か、理解できたことがある。


 この世界の言葉は基本的に日本語に似た作りをしていること、あと分かったのは、二つの文字を組み合わせた、漢字のようなものがあることだ。


 時間はかかるが、ようやく、この国の文字を読めるようになってきた。


 徐々にではあるが、文字を理解できていくこの感覚は、とても楽しいものだった。


 転生前の幼少の頃は勉強なんて大の嫌いだったのに……不思議なものだな。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「おはようございます、グレイス様。今日も良い朝で――――え?」


「……あぁ、おはようございます、モニカ」


 気が付けば、朝だった。


 俺はベッドの上で教科書を閉じ、挨拶に来たメイドの少女へと笑みを浮かべる。


 モニカはというと、俺の姿に、目を丸くして硬直していた。


「もしかして……夜通し、お勉強をなさっていたんですか……?」


「はい。少し、熱中しすぎてしまいました」


 いたずらっぽくペロリと舌を出す。するとモニカは、何故か、戦慄したように肩を震わせた。


 そしてその後、彼女は廊下へと顔を出し、大きく声を発する。


「だ、旦那様ーっ!! ちょ、ちょっと来てください!! グレイスお坊ちゃまがーっ!!」


 その声に、寝惚け眼、寝間着姿の父が部屋に現れる。


「どうしたのかね、モニカ君。朝からそんなに騒いで?」


「お、おおおお、お坊ちゃまが!! 夜通しお勉強を……!! て、天才児ですぅぅ!!!!」


「お、落ち着きたまえ、モニカくん。勉強と言っても、恐らくは、初めて触れる教科書を訳も分からず読んでいるだけにすぎないだろう。グレイスはまだ、三歳児だ。文字を学習するには早すぎる……!」


 そう言ってコホンと咳払いをすると、父は、ベッドの上にいる俺の傍へと近寄って来る。


 そして隣に座ると、ポンと、こちらの頭を撫でてきた。


「グレイス。勉強するのは構わないが、夜更かしは良くないぞ。子供はちゃんと睡眠を摂らないといけないからな」


「父さん。もう少しです」


「は? も、もう少し……?」


「もう少しで、文字の解読ができそうです」


 俺のその言葉に、父とモニカは、口をポカンと開け固まっていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 二日後。深夜。


 俺は屋敷一階にある書庫へとこっそりと足を運び、そこで、本を読み漁っていた。


 二日掛けて子供向けの教科書を読み終えたおかげか、今の俺は、そこそこ文字が読めるようになっていた。


 この書斎には経済学や帝王学、畜産経営学、図鑑、歴史書と思しき、様々な種類の書物があった。


 とはいえ、軽く文字を学んだけの今の自分には、読める文字はまだ少ない。


 ランタンで照らしながら何とか本に目を通して見るが、その内容の殆どが分からなかった。


 しかし……この世界を知るためには、今は何よりも先に、文字を理解しなければならないだろう。


 ここはいったいどこで、俺は何故この家の子供に転生したのか。


 正直言って今の俺には、分からないことだらけだ。


 そのためには、まず、読めずとも本に目を通して、文字を学習していかなければならない。

 

「よし、やるか……!!」


 再びまた得たこの命。


 どうせなら、二度目の人生、やれるだけのことをやってみよう。


 前世は親というものに恵まれず、大学受験できず、働くという道しかない人生だった。


 なら、今世では自由に生きてやるとしよう。


 好きなだけ、好きなことをしてみよう……!! 二度目の生を、俺は、謳歌してやる……!!


「お? これって、もしかして……この国の辞書か?」


 俺は、床に並べていた一冊の分厚い本を手に取る。


 そして、笑みを浮かべた。


「これがあれば……!!」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「はぁ……眠い、仕事、やりたくな~い、まだ寝ていたい~」


 ――――翌日、早朝。そう言って、父が書庫に入ってきた。


 俺は床に座り、本を読みながら、父へと声を掛ける。


「おはようございます、父さん」


「おはよう、グレイス……って、えぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!? お、お前、何やってるんだこんなところで!? しかも何この本の山!? お前の周りに積み重なった本の塔ができているのだが!?」


「夜通し、書庫の本をお借りして読んでいました」


「え? 嘘、お前、こんな難しい本、読めるの……? 父さんが五十音順教えたの、二日前……だよな……?」


「いえ。残念ですが、まだ、完全には解読できていないです」


「何で……? 何で分からないのに本読んでるの……?」


「一つずつ、分からない単語を書き留めながら読んでいるので……後で辞書を引いて、意味を理解しながら読んでいるんです。かなり時間はかかりますが、一応、文字自体は読めてきてはいますよ。ただ……内容は訳がわからないですけどね。魔法とか言われても、自分にはさっぱりです」


 そう言って俺は、眉間に手を当て短く息を吐く。


 すると父は身体を震わせ、こちらへとゆっくりと近寄り……俺の身体を上空へと持ち上げた。


「うわぁっ!? ちょ、いきなり何をするんですか、父さん!?」


「て、天才だ……モニカくんの言った通り、やっぱりウチの子、天才だ――――――ッッッ!!!!!!」


 目をキラキラと輝かせる父さん。


 俺はそんな父にどういう反応をして良いか分からず、引き攣った笑みを浮かべてしまった。

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