第3話 貴族に転生した社畜、婚約者ができる。グレイス―三歳


 転生してから三年の月日が経ち――――俺は、三歳になった。


 乳歯も生え揃い、言葉もちゃんと喋れるようになり、自分で立つこともできるようになった。


 俺はベッドから降りると、姿見に立ち、そこに映る自分の姿を凝視する。


 サラサラの長い黒髪に、猫のようなアーモンド型の紅い目、生意気そうにつり上がった眉。


 うーん、前世のモブキャラみたいな顔をしていた自分とはまったく違うな。三歳にして顔面偏差値が高い。


 俺は手のひらをジッと見つめ、グーパーと開いては閉じてみる。


 未だに、この身体にはあまり慣れないな。子供の視線の低さにも、正直、違和感がある。


「―――――おはようございます、お坊ちゃま。入りますね」


 コンコンとノックの音が聴こえた後、部屋の中に、一人のメイドが入ってきた。


 クリーム色のおさげ髪のそのメイドは、俺の前に立つと、深く頭を下げてくる。


「お坊ちゃま。ご機嫌麗しゅうございます」


 このメイド少女は、幼い頃から俺を世話してくれている女の子だ。


 オムツを替えてくれたり、食事の世話をしてくれたり、衣服を着替えさせてくれたりと―――今まで母親のように俺を介護してくれていた。


 まだ、十代前半くらいの若い身なのに、赤子である俺の世話をしてくれたなんて……本当に、彼女には頭が上がらない。


 だけど、今日こそは。今日こそは、彼女に、俺が自立できたことを伝えよう!!


 この幼い身で流暢に言葉を喋ったら驚かれるかと思い、今までずっと黙っていたが、もう、限界だ!!


 もう若い女の子にチ〇コを見られたくない!!!!! 


 少々驚かれるかもしれないが、この生活から脱却できるのなら仕方のないことだろう!!


「さて、それではさっそくお洋服にお着替え致しましょうか、お坊ちゃま」


 メイド少女はそう口にして顔を上げると、クローゼットを開き、ハンガーに掛かった衣服を手に取った。


 そして、こちらを振り返ると、柔和な微笑みを俺に見せる。


「今日は御屋敷に特別なお客様がいらっしゃいますので、グレイス様も綺麗なお洋服にお着替えしましょう! 衣装の選定は、このモニカにお任せを―――」


「……いや、大丈夫です。服はもう、自分で着替えられますので」


「え……?」


 衣服を手に持ったまま固まるメイド。そして彼女はキョロキョロと辺りを見回した。


「あれ? 今、どこからか声が……?」


 俺はゴクリと唾を飲み込み、再度、開口する。


「ええと、その、モニカさん、でしたっけ? 今まで俺……じゃなかった、僕のお世話をしてくださって、ありがとうございました。これからは自分のことは自分でできますので、もう、大丈夫ですよ」


 そう言葉を掛けると、目をパチパチと瞬かせ俺を見つめるメイドの少女、モニカ。


 その後、彼女は服を床に落とし、わなわなと身体を震わせると……こちらに近寄り、俺の肩をガシッと掴んできた。


 そして、何処か興奮した様子で口を開く。


「お、お坊ちゃま!? い、今、喋ったんですか!?」


「え、ええと……はい」


「ど、どこでそんな流暢な言葉を覚えたんですか!?!? 三歳児、ですよね!?!?!?」


「お……お父さんの言葉を聞いて、覚えた感じ……ですかね!?」


「て……天才児ですぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!!!! 」


 驚き戸惑うメイド。


 俺はそんな彼女に対してどういう反応をすれば良いのか分からず、思わず苦笑いを浮かべてしまった。


「あ、あの、モニカさん? できればで良いんですけど、お願いがあるんです」


「お願い!? 何ですか、グレイスお坊ちゃま!! 何なりと私めに言ってください!!」


「僕に、この国の情報が記載されている本を貸してはくださいませんか?」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「……―――駄目だ。まったくもって字が読めない。いったいどこの国の文字なんだよ、これ……」


 中庭に聳え立つ大木を背に付けながら、俺はそう口にして、両手に持っていた分厚い本を閉じる。


 先程、モニカから書物を貸してもらったものの……この世界の文字は、俺にはまるで理解ができなかった。


 ―――この少年の身体に転生して三年経ったが、未だに俺には分からないことが多い。


 会社で過労死したはずなのに、何故、俺はまだ生きているのか。


 何故、俺は子供に転生したのか。いったいこの世界は何なのか。


 現在、理解できていることといえば、俺が転生したこの少年の名前が『グレイス・キシュア・レーテフォンベルグ』であることと、ここが、俺が居た世界とは別の……異世界、だということだけだ。


 空を見上げてみる。するとそこには、貨物を背に乗せた巨大な龍のような生物の姿があった。


 ご覧の通り、どう見てもここは俺がいた日本の千葉県ではないだろう。


 千葉県にあんな化け物はいない。秘境グンマー帝国にならもしかしたらいるかもしれないが。


「さて……。これから、どうしようかな」


 自分で動けるようになり、喋れるようになったのだし、まずは、情報を習得するのが先決かな。


 そのためには何としてでも、真っ先にこの世界の文字を学習した方が良さそうだ。


「よし。まずはこの本を、何とかして解読してみ……ん?」


 再び本を開こうとした、その時。


 御屋敷から、俺がいる中庭に向けて、二つの小さな影が飛び出してきた。


 一人は、オレンジ色の髪の幼い少女。もう一人は、茶髪の幼い少年。


 ツインテールの少女は木陰に居る俺の傍に近寄ると、目の前に立ち、腰に手を当て見下ろしてくる。


 そして、フンと、嘲笑するように鼻を鳴らした。


「貴方が、この家の息子のグレイス?」


「そうだけど?」


「何というか……暗そうな奴ね。はっきり言って幻滅かしら」


「え、いきなりの罵倒? 君は誰?」


「ちょ、ちょっと、リシェットちゃん!! 相手はあのレーテフォンベルグ家の子だよ!? こ、言葉遣いには気を付けないと……!!」


「オリヴァーは黙ってて。だんじょのかんけい? においては、まず、どちらが上かを決めるかは重要なことだって、お母様が言っていたもの。ここでゆーれつ? を、はっきりとさせておく必要があるの!」


「男女の関係……?」


 俺がそう訝し気に声を発すると、目の前の少女……リシェットと呼ばれた少女は、腕を組み、不敵な笑みを浮かべた。


「私の名前は、リシェット・メルル・アークレイシア。まっ、当然、アークレイシア家の名は聞いたことがあるでしょう? 私は貴方と同じ、帝国六大貴族の家の――――」


「? いや、ごめん、分からない。アークレイシア家って何のこと?」


「…………むっきぃぃぃぃぃぃ!!!!! レーテフォンベルグ家に比べれば、アークレイシア家なんて小さいものだって言いたいわけ!? ぶっ飛ばしてやるわー!!!!」


「だから、駄目だって、リシェットちゃん!!」


 俺に襲い掛かろうとしてくる少女を背中から羽交い絞めにして、慌てて止める少年。


 俺は本を脇に抱えて立ち上がると、二人へと声を掛けた。


「ごめん。僕はまだ、色々と知識が足りないんだ。何か気に障ったのなら謝るよ」


「はぁはぁ……。フン、生意気な挑発をしてくるやつね! いけ好かない!」


「……そうだ。君たち、この本が読めないかな?」


 俺は手に持っていた本を少女へと見せる。


 するとその本の背表紙を見て、少女はフフンと自信満々な笑みを見せた。


「貸しなさい。私は貴方よりも一歳年上のお姉さんなんだから。これくらい、簡単に読んであげるわ」


 そう言って俺から本を奪い取ると、少女はその書物に目を通し始める。


 そして、たどたどしい口調で、中の文を読み上げ始めた。


「……このくに、まはじゃーるていこくの……ほうぎょく、しはい……かいそは、むっつのきぞくたちに……まもらせ……」


 少女はバシンと本を勢いよく閉じると、顔を真っ赤にして、俺の胸に書物を押し付けてきた。


「返す」


「そっか。君も読めないのか」


「読めないわけじゃないから!! まだ、習ってない言葉が多かっただけだから!!」


 そう言ってこちらを涙目で睨み付けてくる少女。そんな少女を、怯えた顔で見つめる少年。


 俺は二人にクスリと笑みを溢した後、口を開いた。


「僕は、グレイス・キシュア・レーテフォンベルグ。君は、リシェットさんって言っていたよね。そっちの君の名前は?」


「ひうっ、ボ、ボクは、オリヴァー・ウェル・オルタリアです。よ、よろしくお願いします、グレイスくん」


「グレイスで構わないよ、オリヴァー。察するに君たちは、今日御屋敷にやってくると言っていたお客人……お父様の知り合いの子供……といったところなのかな?」


「? もしかして、貴方、何も知らないの?」


 俺のその言葉に、リシェットは驚いた表情を浮かべる。


 そんな彼女に対して首を傾げていると、リシェットは口を開いた。


「今日は、私たちの親が、レーテフォンベルグ家と同盟を結びに来た日なの。それともうひとつ、アークレイシア家の娘であるこの私と、レーテフォンベルグ家の息子である貴方が……正式にこんやく?を締結した日でもあるのよ」


「え? こ、……婚約!?」


 俺のその言葉に、少女は頬を林檎のように真っ赤にさせ、コクリと頷きを返すのだった。

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