第2話 美人局
「やる方は、自分がやられることを分かっていない」
という発想は、どちらとも取れる。
「それだけ、自分の作戦に自信を持っているという、ある意味、自信過剰な人間の陥りそうなこと」
あるいは、
「本当のバカなのか?」
ということである。
本当にバカなやつは、論外であるが、自信過剰な人間は、本当に軍師のように頭がいいということだけは間違いないが、その分、少しでも、調子に乗ってしまうと、自分がやられることを、分からないだろう。
しかし、本当に自信過剰な人間は、武士などの昔の人間であれば、
「それはそれで、本望ではないだろうか?」
と感じるかも知れない。
自分の作戦に本当に自信を持っている人間は、ひょっとすると、
「自分の立てるような作戦で死ねるなら、それで本望だ」
と思っているかも知れない。
というのも、
「俺は軍師なんだ。普通の戦場で死にたくはない」
と思っている人が、本当の軍師なのではないだろうか?
罠に嵌って死ぬのであれば、相手の作戦が、そして頭脳が、自分よりも上回っているということなので、
「こんなすごい作戦を立てるやつに殺されるのなら本望」
と感じるだろう。
武士だって、
「戦場で、正々堂々と戦って、討ち死にするのが、本懐」
と思っている人が多いのと同じである。
もちろん、皆が皆、そうではないだろうし、
「死にたくなんかない」
と思っているのも、当たり前のことであろう。
それを思うと、
「平和な時代が一番いい」
といってもいいだろう。
ただ、平和な時代だからこそ、人を騙したり、脅したりする連中がいる。しかも、まるで詐欺同然に、
「人の弱みを握る」
という、とんでもない連中である。
自分たちでは、金儲けができないということでのそんな行為は、
「人間の風上にもおけない」
といってもいいだろう。
そんな中に。
「美人局」
などというものがある。
今でもあるのかどうか分からないが、逆に今の世の中だからこそ、いるのかも知れないと思うのだ。
そもそも、
「美人局」
というのは、一番多いパターンとして、女が、ターゲットにある男を色仕掛けで誘い掛け、その誘いに乗って、ホテルなどに。しけこんだりすると、そこに、いきなり男が現れて、
「俺の女に何しやがる」
というわけだ。
狙われるのが、芸能人などで、
「これから顔が売れるであろう人」
あるいは、
「今すでに顔が売れている人」
などが、そのターゲットなのだろうが、かつては、本当に引っかかったやつもいたのだろう。
そうでもなければ、
「美人局」
なとという言葉が生まれるわけもないし、社会問題にもならないだろう。
よくドラマや映画にも出てきたりした。
たいていの場合が、やっているのは、チンピラのようなやつで、本当の暴力団の人は、そんなことはしない。
何と言っても、やり方がちんけなのだ。
だから、世の中のことや、その成り立ちや、仕掛けが分かっていないから、そんな大それたことができるのだろう。
そんなチンピラ風情は、当然、バックに組織などいない。あくまでも、自分たちだけでやっているだけで、それがどういうことなのかということを分かっていないのだ。
彼らが狙うのは、
「金があって、立場的に、バラされるとまずい」
という人たちである。
チンピラが考えるのは、
「やつらは、何が怖いといって、バラされるのが怖い。せっかく売れてきたり、これから売れようということで、レールの上に載っているのに、そこをひっくり返されりようなくらいだったら、お金を出した方がいい」
と考えるだろう。
「彼らには、それだけのお金がある。だから、自分を守るには、金を出せばいいと思うだろう」
という安易な考えだ。
確かにそうだろう。
最初に引っかかってしまえば、一番最初に思うのは、
「なんとバカな連中に引っかかってしまったんだ」
ということと、次には、
「自分を守るにはどうすればいいか?」
ということである。
それを思うと、
「悔しいがあいつらのいうことに従うしかない」
ということである。
しかし、美人局側は、
「これで、やつらは、自分たちの言いなりだ」
と考えてしまうだろう。
確かに、一般人であれば、そう思うに違いない。
しかし、彼らは、立場があるし、金もある。このまま引き下がるなどするであろうか?
しかも、
「このままチンピラ連中が引き下がるわけはない」
と思う。
「どうせ、引き下がるわけはないというのは、写真などをネタに、今後、死ぬまで付きまとわられると思うと、どうするだろう?」
事務所によっては、用心棒を雇っているところもあるかも知れない。
上からは、怒られて、しばらくは干されるかも知れないが、死ぬまで、チンピラに付きまとわられるのも嫌である。
事務所も、そんなチンピラ連中は煙たいだろうから、何度か消そうを考えることだろう。
さすがに、殺しまではしないだろうが、証拠を押収し、二度と悪いことをする気が起きないほどに
「制裁」
を加えるということくらいは、普通に当たり前にあるだろう。
しょせんは、チンピラなのだ。組織に勝てるはずもない。
「ボコボコにされて、証拠は押収され、男は、死ぬまでこき使われ、女は、どこかに売り飛ばされたりするだろう。
泣こうがわめこうが、そもそも、自分たちが仕掛けたことなのだ。本当の極道から見れば、
「一番許されない行為」
でもあるだろう。
こんな連中のために、自分たちが、白い目で見られる。
ということもあるだろう。
彼らとすれば、
「自分たちが必要悪だとすれば、あいつらは、本当のただの悪でしかない」
ということである。
しかも、一番ちんけで、安易なやり方で、金を儲けようとするのは、一番許せない行為なのかも知れない。
特に極道は、いろいろなことを金で解決したりする分、余計にお金というものを、神聖なものだと思っているのかお知れない。
それを、安直な方法で手に入れようとすることが許せないのだろう。
「金儲けをするなら、それ相応の覚悟が必要」
というものだ。
彼らにとって、金儲けは、下手をすると、
「暇つぶし」
の一環なのかも知れない。
もちろん、
「生活に困って」
ということなのかも知れないし、ただの、
「遊ぶ金欲しさ」
なのかも知れない。
しかし、安直な金儲けしか考えない連中は、
「金儲けに、覚悟を持っている」
という人間から比べれば、ただのクズでしかないのだ。
「何かの特技や才能を駆使して、金を儲けるというのであれば、立派な金儲けであろう。しかし、女というものを武器にして、それを詐欺に使うのであれば、それは、覚悟を持っているとは言えないだろう」
チンピラ側からすれば、
「これの頭を使った金儲け」
と思っているのかも知れないが、これは立派な犯罪だ。
相手の弱みを握り、それをネタに金を搾取するというのは、立派な犯罪だ。
「いくつの罪が並立するか分からない」
というほど、ちんけなくせに、覚悟のない犯罪といってのいい。
そういう意味で、こんな連中を懲らしめるという意味で、暴力団が必要悪だと言われるゆえんであろう。
そう、暴力団は、こういう時のための、
「用心棒」
でもあるのだ。
「美人局」
をする連中は、先のことしか見ていない。
「騙されるターゲットを探して、いつものように女がターゲットを誘惑し、ホテルに連れ込む。女はホテルのカギが締まらないようにしておいて、男と女の様子を、ケイタイかスマホで、撮影させ、この時とばかりに、忍び込んでくる」
というのが、美人局のやり口である。
ただ、やつらの、
「何がバカか」
ということであるが、
やつらには、前しか見えていないから、自分たちが襲われるということはないとタカをくくっているのだ。
たぶん、
「証拠はこっちにあるのだから、どんなに騒いでも、こっちのものだ」
としか思っていないのだろう。
実に、バカの典型である。
やろうと思えば、
「殺してしまえば、すべてが闇の中だ」
ともいえるだろう。
やつらは、そんな簡単なことも分からないのだろうか?
殺さないまでも、
「攫ってきて、拷問に掛けて、写真のありかを聞き出す」
くらいのことは簡単にするだろう。
ただ、やつらが、もし殺しをしないのだとすれば、それは、やつらの優しさではなく、
「リスクを犯してまで、殺す相手か?」
ということである。
「こんなクズどものために、手を汚すことはしたくない」
というだけのことで、
「別に、死んだからといって、どうなる連中でもない」
ということに変わりはないだろう。
それを考えれば、
「美人局というものが、どれほどわりに合わないやり方なのか?」
ということが分かっていないということであろう。
美人局の連中は、まさか、
「俺たちが一番頭がいい」
とでも想っているのではないだろうか?
「ちょっと怪しい写真を撮って、脅すだけで、お金が手に入る。しかも、証拠がこちらにある限り、相手は拒否することができない。ずっとたかってやる」
とでも、思っているのだろう。
確かに、これが、一般人であれば、お金もないし、人脈もないだろうから、
「こちらの言いなり」
になるということも考えられるが、そう何度もお金がないことで脅せないといえるだろう。
しかし、それを強引に脅して、相手が借金地獄に落ちたりして、追い詰めるだけ追い詰めてしまうと、果たしてどうなるかということを、やつらの頭では考えきれないだろう。
というのも、
「人間、追い詰められると何をするか分からない」
というものだ。
人によっては、自殺を考えるだろう。
しかし、
「自殺するくらいなら、脅迫してきた連中を道連れに」
と思うかも知れない。
脅迫している連中が、
「俺たちの脅迫で、追い詰められれば、こちらを殺そうという意思が生まれるかも知れない」
ということを、まったく考えないということであろう。
本当は、詐欺を働くくらいに追い詰められているのであれば、その気持ちは分るというものだ。
少なくとも、自分たちに危険が及ばないようにするくらいのことはあってもいいのだろうが、美人局の連中にそんな発想はない。
もし、あるとすれば、
「必要以上に追い詰めると、自分たちが危ない」
ということで、せめて一回にしておくだろう。
また、その一回だけということであっても、その証拠のブツを、本人に返さなければ、本人は、
「証拠は握られたままだし、二度目は何も言ってこないし、大丈夫ということでいいのだろうか?」
と次第に不安が募っていき、次第に、耐えられなくなると、相手に対しての殺意が燃え上がってきても、無理もないということである。
結局、美人局たちは、
「いつ殺されるか分からない」
という状況が変わるわけではない。
美人局連中は、
「証拠がこっちにある限り、あいつに何もできない」
と思っているのだろうが、それは、
「守るものがあって、金で何とかなる」
という時だけである。
守るものはあるが、金がない。それだけに、
「何とかしないといけない」
と思っても、八方ふさがりである。
追い詰められていることを感じ、
「死ぬしか、何とかなる方法はない」
と考えたとすれば、
「あいつらを、道連れに」
と思うのも、無理もないことである。
そんなことを、
「美人局」
の連中は、考えもしないだろう。
つまり、脅迫する方は、
「これで作戦は大成功だ」
と思っているが、
今度は自分が、
「危険にさらされるかも知れない」
ということを、まったく考えようともしないのだ。
これは、
「やる方は、やられることを考えない」
という意味での、一番愚かな照明かも知れない。
いわゆる、
「本当のバカなのだ」
ただ、もしこれが
「本当に、生活に困って、どうしようもなくなってやった」
というのであれば、まだ救いようがある。
しかし、そうであれば、もう少し、自分のまわりを見る目があるだろう。
「やる方は、やられることに気づかない」
などということはないのではないだろうか?
どうせ、
「遊ぶ金に困った」
あるいは、
「暇なので」
などという考えであれば、実に浅はかであるだけに。やられることをまったく考えないとしても、無理もないだろう。
だから、そういう輩は、
「人類のために、殺されればいいんだ」
と、100人が100人思うことだろう。
こんな美人局の連中に、同情の余地などあるのだろうか?
こんな、
「遊ぶ金欲しさ」
あるいは、
「暇つぶし」
などという考えで、人を騙すというのは、最低である。
騙される方に、どれほどの油断や、後ろめたさがあったとしても、それ以下であるということはないだろう。
人を殺す場合には、少なくとも、
「大義名分」
と言えるだけの理由がある。
それは、人を傷つける場合でも同じであろう。
そういう意味でいけば、
「騙すのも同じであり、それを暇つぶしや小遣い稼ぎなどという理由は、あまりにも理不尽だというものだ」
ということである。
いくら、油断していたとしても、そんな連中に脅されて黙っている方が、本当はどうかしているのだ。
そういう意味では、やつらが、
「やられる」
というのは天罰であり、そんな連中に、天誅を加えるという意味で、
「金で雇われた」
とはいえ、
「悪党退治」
を行った連中は、ある意味、
「正義だ」
といってもいいだろう。
「正義」
というのが、おこがましければ、それこそ、
「必要悪だ」
といってもいいのかも知れない。
もちろん、
「底辺での争い」
というのだろうが、雇われた連中と、美人局の間では、天と地ほどの差があるといってもいいだろう。
美人局などのように。
「自分がすることを相手にされることに気づかないバカもいるだろうが、基本的には、自信家が多いというのも、やはり、詐欺集団に多いのかも知れない」
というのを、これも、テレビ番組で感じてしまうのだ。
彼は、名前を京極というのだが、それを感じたのは、あるドラマで見た主人公の名前も、
「京極」
という名前だったことだった。
「なかなか珍しい名前だな」
と感じた。
「しかし、京極という名前は、そんなに珍しい名前ではない。いわゆる名門の名前だぞ」
と言われたことがあった。
調べてみると、確かに、戦国大名にも、京極という人がいて、どうやら、室町幕府時代からの、名門でもあるようだった。
しかも、ホラー作家の先生にも、
「京極」
という苗字の人がいて、
どうも、
「極」
という文字がついていると余計なことを考えてしまうのか、
「極道の極」
を感じてしまうのだ。
しかし、前に感じた、
「美人局」
においては、悪であったとしても、
「極道は、必要悪だ」
と考えることで、それほど、極道を悪くは感じなくなっていた。
彼らには、
「任侠」
という考えがあり、
そもそも、任侠とは、
「仁義を重んじ、自己を犠牲にしてでも、弱気を助ける」
という精神から来ているものであった。
だから、
「極道」
というものは、本当であれば、弱者のために、盾になるくらいの心意気になるはずで、だから、
「必要悪」
と言われるのではないだろうか。
確かに弱い者を助けるために、自分たちの組織を存続させるという意味において、何かしらの悪いことをしていないとも限らない。
そんな中において、
「極める」
という言葉をどのように解釈するかということなのであろう。
確かに、極端に、どちらかに寄ってしまうというのは、嫌われることになるのだろうか、
「何があっても、ブレない」
という精神は、
「素晴らしいに値する」
というものであるといえるであろう。
そういう意味で、子供の頃は、あまり好きではなかった、この、
「京極」
という苗字であるが、大人になってから、
「戦国時代の名門」
というのもあって、嫌ということも、さほどなくなってきたのであった。
これも、
「美人局の存在のおかげ」
といってしまうと、理不尽で複雑な心境だが、それだけ、
「世の中には、何かを正当化するための、生贄のようなものが必要なのかも知れない」
と思った。
「生贄」
というには、あまりにも贔屓目であるが、それだけ、美人局というのが、クズということであり、
「救いようのないほどの存在なのか」
ということなのであろう。
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