第5話 悪徳貴族の御曹司、自分の領地へと赴く


 ―――――20年前。


 ブラッドリバー家当主ゴルドラス二世は王国軍を率い、亜人大戦で勝利を納めた。


 ファルシオン王国と戦争中だった、亜人の国、リ・ラーテル共和国の領土は50%を王国に割譲され、その内の40%が目覚ましい功績を残したブラッドリバー家の領土として与えられた。


 ブラッドリバー領には亜人特区が設けられたが、そこは現在凄惨な現場となっている。


 元々王国や帝国などに住む人族ヒュームは、異種族を差別する傾向がある。


 それに加え、領主は人間を食料としか考えていない、人の世に隠れる吸血鬼ときた。


 亜人特区に住む若い男女の異種族たちは殆どが奴隷にされ、王国や帝国に働き手として輸出されることになった。


 スラムとなった特区に残ったのは、力のない民のみ。


 この地の姿はまさに、魔王に支配された後の世界、と言っても良い場所であろう。


「――――ここが、亜人特区二番街『血の貯蔵庫』か」

 

 俺は漆黒の馬、バイコーンが引く豪奢な馬車から降り、周囲一帯を見回してみる。


 荒れた土地に作られた、多くの建物が乱立する街。


 西部劇に出てきそうな街並みだが、人の影は一切感じられない。


 ……まぁ、それも当然か。


 ここは、俺たち吸血鬼や配下の死体喰らいグールの餌となる人間が、収容されている場所だからな。


 人間が自由に街を出歩いているはずがない。


「……」


 その侘しい街並みを静かに見つめていると、背後の馬車からメイドが三人、降りて来る。


 そのメイドたちは俺の後ろにやってくると、街を見つめ、それぞれ口を開いた。


「以前までは活気に溢れていた、貿易都市バッシュの街が……こんな有様になっているとは、流石に驚きました」


「……うん。レナもびっくり」


「ド、鉱山族ドワーフは、この街によくお酒を買いに来ていたんですよぉ……私のパパも、よく、鉱石を売りにくるついでにお酒を買って帰っていましたぁ……。うぅぅぅ……パパぁ……何処にいるんですかぁ、会いたいですよぉう……」


「クルル……」


 ブロンド褐色肌の幼女鉱山族ドワーフのクルルは、そう言って塞ぎ込み、シクシクと両手を顔に当て泣き始める。


 俺は振り返り、そんな彼女に近寄って、その頭を優しく撫でた。


「クルル。君のお父さんは、何処かで生きているのかい?」


「ぐすっ、ひっぐ。分からないですぅ……!! 1年前に奴隷商人に捕まって以来、離れ離れで会っていませぇん……!!」


「そっか。無責任なことは言えないけれど、もしクルルのお父さんが生きていたら、俺が必ず君と会わせてあげる。だから、安心して欲しい」


「うぅ……ぐすっ、ひっぐ、ギルベルトさまぁ……!! 


 クルルは涙目で俺を見上げると、そのまま俺の身体に抱き着いてくる。


 こんな幼い子供を泣かせるなんて……うちの家族は本当に極悪非道な連中だな。


 クルルの父親が何処かで生きていると良いんだが、果たして、無事に再会させてあげることができるのだろうか。


 とにかく、今俺がやるべきことは、悪徳貴族の御曹司を演じつつ、彼女たち三人を故郷に返してあげることだな。


 戦場で戦う兵士たちならともかく、無辜の民である彼女たちをこれ以上、傷付けてたまるものか。


「――――あの、お坊ちゃま?」


 前方から声が掛けられる。


 顔を上げると、そこに居たのは……御者台に座る、バイコーンの手綱を持った年老いた執事の姿だった。


 彼は蜘蛛のように細長い手足で、自身の白く伸びた顎髭を撫でる。


 そして、モノクル越しに、瞳孔の開いた目でジッと俺を見つめてきた。


 彼は、父の眷属である、死体喰らいグールの『ビアード』。


 充血したギョロッとした目で相手を見てくるので、かなり顔面が怖い老人。


 父や母や妹に比べて何を考えているのか分からない奴なので、正直、俺は結構苦手としている。


 ビアードはジッと俺を見つめた後、胸に抱くクルルを指さし、口を開いた。


「お坊ちゃま。何故、その不敬なメイドを殺さないのですか? 以前の貴方様でしたら、人間に身体を触れられることを、極度に嫌悪していらっしゃったと思いますが?」


 ……正直に言おう。こいつの存在をすっかり失念していた。


 この老人は、幼少の頃から俺の世話している、教育係だった。


 つまり、前世の記憶が戻る前の俺を熟知しているのだ。


 くそ、家族が居ない場所でも、油断などできないな。


 死体喰らいグールは、吸血鬼の血を人間に注いだことで産まれる眷属、異形種だ。


 眷属化されたこいつらは元人間ではあるが、主の命令に忠実に従う化け物でもある。


 特にこのビアードは、父に対しての忠誠心が非常に高い存在。


 俺が可笑しな行動をした途端、使役者である父に密告される可能性があるだろう。


 俺は一瞬躊躇った後、胸の中で泣きじゃくるクルルの肩を押し、地面へと乱暴に突き飛ばす。


 そして、馬車の御者に乗るビアードに対して、不敵な笑みを浮かべた。


「この俺と貴様ら死体喰らいグールの価値観を一緒にするな、下郎。俺は、人間が絶望する姿をじっくりと観察するのが好きなのだ。まったく、父の面影を求めて泣き喚くこの哀れな子供の表情を眺めていたというのに……興ざめだな。二度と俺の行動に文句を付けて来るな。分かったか、爺や」


「……」


 ビアードは、ギョロッとした目で俺を見つめたまま、固まっている。


 ……こ、怖い。こいつ、何を考えているのか分からなくて、非常に怖い。


 老執事は数十秒間程俺をジッと見つめた後、ニンマリと、ギザギザの歯で笑みを浮かべる。


「なるほど、左様でありましたか。いらぬ口出し、申し訳ございませんでした。お坊ちゃま」


 深く頭を下げてくるビアード。俺は内心で安堵の息を吐きつつ、彼に対して鷹揚に手を振る。


「理解したのなら、許そう。去ると良い」


「ヒヒヒッ、では、爺やはここで御屋敷に戻らせていただきますぞ。あぁ、そうだ。今日はこの地を視察した後、いつ頃御屋敷にお戻りになられる予定で?」


「そうだな。夕刻時、午後17時には戻ろうかと思っている。今朝、俺は父上から、新たにこの土地を任されたのでな。血の貯蔵庫は、我ら異業種にとって無くてはならない大切な場所。そこを父に任された以上、じっくりと視察しなければならん。それなりの時間が必要だ」


「畏まりました。では、午後17時にお迎えに上がります。ヒヒヒヒヒッ!」


 そう言い残すと、ビアードはバイコーンの手綱を握り、馬車を走らせ、その場を去って行った。


 漆黒の馬車が小さくなり、完全に見えなくなった後。


 俺は慌てて、地面に倒れ伏しているクルルを抱き起す。


「す、すまない、クルル! 大丈夫か!?」


 クルルを抱き起すと、彼女は何故か、笑みを浮かべていた。


「び、びっくりしましたけど、大丈夫ですよぉう、ギルベルトさま。ギルベルトさまが私たちを助けようとして、悪い人の演技をしていることは分かっていますから。クルル、このくらい、へっちゃらです!」


「本当にすまなかった、クルル。お父さんのことを思い出して辛い時に突き飛ばしてしまって……」


「全然、大丈夫ですぅ! ……えへへ。やっぱりギルベルトさまは優しい人ですね。最初、奴隷になった時、どんな酷い人の元に行くのかと不安になっていましたが……クルル、今ではギルベルトさまの奴隷になれて良かったと本気で思っていますぅ」


「クルル……」


 こんなに酷い状況でも、彼女は天真爛漫な笑みを浮かべていた。


 実の妹であるメアリーよりも、彼女の方が、俺にとっては本当の妹みたいに感じるな。


 実際、あの妹は、人間の皮で造った人形を常に持ち歩いているイカれた女だし。


 この子の方が、何倍も可愛く感じる。


「……ギルベルト様」「……ジーッ」


 声が聴こえてきた背後を振り返ると、そこには、ジト目で俺を見つめるサイネリアとレナの姿が。


 な、何だ、その目は……!? 何故、俺にそんな目を向けるんだ、二人とも……!?


「ギルベルト様は……幼い子供がお好きなのでしょうか? まぁ、クルルとは年齢も近いのでしょうし、当然と言えば当然なのかもしれませんが」


「……将来、ロリコンになりそう。レナは心配」


「何でそんなことをお前らに言われなきゃならないんだ!! というか、俺にそんな性的な趣向はない!! 断じて!!」


「んん~?」


 意味も分からず首を傾げるクルル。俺は、ジト目を向けてくるメイド二人に、ため息を吐くしかなかった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「今から、この亜人特区にある、《血の貯蔵庫》という場所に向かうが……先に言っておくぞ、サイネリア、レナ、クルル。そこには、たくさんの死体喰らいグールが居る。その場では、必然的に俺も、悪徳貴族を演じなければならない。多少、横暴に振る舞うかもしれないが……許してくれると嬉しい」


 人気の無い街の中を進みながら、俺は、背後にいる三人のメイドにそう声を掛ける。


 するとサイネリアが、俺に疑問を投げてきた。


死体喰らいグールというのは、いったいどういう存在なのでしょうか? ギルベルト様」


死体喰らいグールは、吸血鬼の眷属だ。吸血鬼は自分の血を人間に与えることで、死体喰らいグールに変えることができる。死体喰らいグールは使役者である吸血鬼に危害を加えることができず、その一生を掛けて、吸血鬼に仕える配下となる。代わりに、人間とは比べものにならない武力と長い寿命を手に入れることが叶うがな」


「なるほど……死体喰らいグールというのはいわば、吸血鬼の手足のようなものなのですか」


「あぁ、その認識で構わない。父は名のある武人を死体喰らいグールに変え、自身の軍に編制している。母は、ここにある《血の貯蔵庫》のような、領地の運営に携わる場所の働き手として、死体喰らいグールを使役している。俺と妹は、まだ眷属を持っていない。幼いからな」


「……ふーん。じゃあ、ギルくんがレナに血を与えたら、レナは、死体喰らいグールになるの?」


「その通りだ」


「……そうなんだ。ねぇ、ギルくん、レナ、ギルくんの眷属になっても別に良いよ?」


「は?」


 俺は思わず足を止めて、背後を振り返る。


 そこにいるのは眠たそうな半開きの目で俺を見つめる、山羊の角が生えた、赤い髪の少女。


 俺が彼女の言葉に面食らっていると、サイネリアが慌てて口を開いた。


「ちょ、ちょっと、レナ!? 貴方はいったい、何を言っているのですか!?」


「……だってギルくん、いずれはブラッドリバー家の当主になって、この土地を良いものに変えてくれるんでしょ? だったら、右腕的な存在が必要なんじゃないかな、って。ギルくんは頭は良いんだろうけど、戦闘面はからっきしっぽいし」


「ま、まぁ、レナの言う通り、俺の戦闘力は皆無だ。敵と戦ったことも一度も無いし、吸血鬼の力の源である人の血液を、記憶が戻ってから一度も接種していないからな」


「記憶……?」


「何でもない。とにかく、今の俺は、隠れて動物の血を飲んで凌いでいる雑魚吸血鬼だ。今の俺の力は恐らく、人間のガキと大差ないだろう」


「……だったら、ちょうど良いんじゃないかな。レナ、戦いには少しだけ自信あるよ」


「い、いや、待て、レナ! 死体喰らいグールになるということは、人間を辞めるということだぞ!? も、もう少しよく考えてからものを言った方が良い!!」


「そ、そうですよ、レナ!! 貴方は少し、物事を単純に見すぎです!!」


「……良い案だと思ったんだけどな」


 そう口にして、鬼人族オーガの少女は、肩を竦めた。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

第5話を読んでくださって、ありがとうございました。

いいね、星をくださった読者の皆様、本当にありがとうございます!

執筆の励みになりました!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る