第4話 出逢い
家族は、二泊三日で温泉のある小島に渡った。ここは、亜紀にとって心休まる地であった。小さい時、夏休みになると、家族で祖父母のいるこの島へ遊びに来ていた。今は伯父と都会に住んでのち、他界し、誰もいない。そして、この島で芳茂と出会った。この地は亜紀だけでなく、夫婦の思い出の地にもなったのだった。二人の愛は、ここで芽生えてここで実った。
お互い、大学時代にこの島へ来ていた。亜紀は友人の羽鳥美絵と二人で来ていた。二人は砂浜から少し離れた大きな岩で貝取りや蟹と戯れて、しばし時を忘れていた。引き潮でかなり大きな岩が海面に顔を出している。その時、亜紀と美絵は大事なことを忘れていた。民宿を出る時、水着を着けないで来ていたのを、すっかり忘れていたのだった。亜紀は満ち潮になると、今いる大岩も海面に沈む事を百も承知だった。その上、砂浜へ帰り着くまでに渡らなければならない小岩は、この大岩が沈むとっくの前に、沈んでいる事も知っているはずだった。
確かに、亜紀は満ち潮を知りながら、水着を着けているので、少々濡れてもいいぐらいに考えていたのだった。
「美絵、そろそろ浜へ帰ろうか」
と、亜紀はけろりと言った。
「そうね」
と言った美絵は、砂浜までの帰り道がないのに驚いた。
「帰ろうと言ったって、小岩が沈んでいるじゃないの」
美絵は、泣きべそをかいていた。
「大丈夫よ、少々濡れても水着を着けているじゃない」
亜紀は、まだ平然としている。
「少々じゃないわ。それに、水着なんて着てこなかったでしょう」
美絵は、亜紀を恨めし気に見た。
「あら、そうだったわね。失敗、失敗、御免、御免」
亜紀は、美絵に手を合わせた。
「もう、亜紀ったら知らない」
と言い、地団太を踏んで、後ろを向いた。
「このまま渡るしかないわね」
亜紀は、美絵の肩をたたいた。
美絵は、亜紀のそんな楽天的なところが好きだった。亜紀は美絵の後ろ肩が、笑いで揺れているのが分かって、ほっとしていた。
二人のそんな様子を見て、浜から二人の男性が近付いて来た。振り向いた美絵は、微笑みながら言った。
「仕方ない、泳ごうか」
「うん」
と、亜紀が言うと二人はその気になっていた。
「待って、私たちを助けに来る男子がいるわよ」
美絵は、上気した声を発した。
「あら、本当。助けに来てくれるみたいね。でも悪いわね。彼らも洋服よ」
亜紀は濡れても構わないのに、もたついていた後ろめたさを感じた。
「もう、彼らは濡れてしまったのだから、助けてもらいましょう」
相変わらず美絵は嬉しそうに言った。
そうこうしている間に、二人の男性が大岩に近付いた。
「僕たちが来たからには大丈夫」
と、先に着いた安西卓也が言った。
「洋服が濡れるから僕たちの背中に乗るといいよ」
と、後に来た水島芳茂が亜紀に言った。
亜紀と美絵は驚いて、顔を見合わせた。亜紀も美絵も、背負ってもらえるとは考えていなかったからだ。美絵は手を引いてくれるぐらいだと考えていた。亜紀にしても、見守ってくれるぐらいだと思っていた。
「そんな、いいです」
と言って、亜紀は後退りした。
「大丈夫、僕たちに任せて」
と、卓也が言って美絵に背を向けた。
「よろしく、お願いします」
美絵は、卓也に負ぶさった。
亜紀も、見詰める芳茂の目に応えた。
「すいません」
と言って、負ぶさった。
亜紀は、浅黒くたくましい男性に背負われながら、胸のときめきを感じていた。そんな一瞬も、あっという間に過ぎ去った。あまりにも、砂浜は目と鼻の先にあったのだ。
「どうもありがとうございました」
と、亜紀は丁寧にお礼を言った。
先に砂浜についた卓也と美絵は、もう親し気に会話していた。
「時々、大岩に取り残されるどじな女の子がいるんだよ」
と、卓也は美絵をからかった。
「いやだぁ、意地悪ね」
と、美絵はすねたように言った。
「満ち潮に気付かないぐらい、何に夢中になっていたの」
「貝採りよ。でも、亜紀は満ち潮を知っていたのよ」
後から来た芳茂と亜紀も会話に加わった。
「満ち潮には気付いていたわ。忘れていたのは、水着を付けていなかった事なの」
と言い、亜紀は照れ笑いをした。
「あなた達は、私たちの命の恩人よ」
と、美絵は二人を持ち上げた。
「大袈裟だな。単に水着を付けていなかっただけじゃないか」
と言って、卓也が笑った。
「僕は初めてだけど、卓也はいつも田舎に帰って来て、女性を助けていたんじゃないか。さっきは、見付けて海に入るのが早かったなぁ」
と言って、芳茂は卓也を見た。
「僕だって、初めてだよ。助けるのは何度も見たことがあるけどね」
「すいません。洋服を濡らしてしまって」
二人は謝った。
「僕たちは、海パンに取り替えるから大丈夫」
と、芳茂が言うと、卓也もうなずいた。
「一緒に泳ごうよ」
卓也が誘うと、美絵と亜紀はうなずいた。
4人は、海の家へ入って、水着に着替えて来た。その頃には、砂浜も大勢の人々でにぎわっていた。
卓也と美絵は、一夏の恋に終わってしまったが、芳茂と亜紀の恋は続いていった。芳茂は思ったより積極的で、亜紀を魅了していく。二人は、この時の出会いから交際が始まり結婚した。学者同士の結婚で、研究に追われる毎日だったが、二人の愛の炎はいつまでも消えはしなかった。二人の間の信頼関係がそうさせたのだ。そして、その愛は最期まで続き永遠の世界までも引き継がれるのだった。
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