Origin~すべては~
――――ぽちゃん。ぽちゃん。
真っ暗闇の中、遠くで水が滴る音が聞こえる。その音は段々と近づいてくるが、どこから聞こえているのか分からない。視界で判別しようにも真っ暗闇で確認する術がない。
『あぁ、この前と同じ、またあの夢』
真っ暗闇で少女は以前にも見たことのある夢だと確信する。
『この前と同じでまた白いワンピースを着ているだろうな』
少女がそう思い身に纏う布を掴む。が今日は違った。見覚えのあるチェック柄の洋服。
――――ジリジリジリジリ。
洋服の違いに気づいた瞬間、再び音が聞こえる。今度は水音ではなく、聞き覚えのある音。目覚まし時計の音だ。鳴り響く目覚まし時計にハッと目を開く。ベッドからずり落ちている状態。見慣れた部屋と着慣れたパジャマ。少女は本当に夢だったのだと安堵の息を吐く。
「
家の一階部分から少女とは違う声がする。夏美と呼ばれた少女の母親の声だ。夏美は先程から鳴り響いている目覚まし時計に手を伸ばす。けして落ち着いているわけではない。現状を把握することが出来ずにいるのだ。
だが手に取った目覚まし時計の時間を目にするなり悲鳴をあげる。夏美の悲鳴と同時に母もため息をつく。美音と呼ばれた少女もまた苦い笑みを浮かべるのだ。
■■■
西暦二〇**年 東京―――
二十二世紀に近づくにつれ技術も発展し、今日よりかなり過ごしやすくなっている。空を飛ぶ自動車の技術は未だないもののガソリンで走る自動車は皆無に等しい。現状では水素走行車が六割、電気走行車が三割を占めている。それら全ての自動車は自動運転が基準となっている。そんな日本の東京。渋谷駅のハチ公広場で大きく声を張り上げる少女が一人。
「今日から高校生だぁ!」
「夏美、声が大きいよ」
朝の都心に響く声の主こそ、この物語の主人公、
「しかし、夏美が
「確かに、私が東高に行くのはちょー難しくて先生にも見栄を張るなとまで言われましたけど…」
苦笑を浮かべて美音が話すと、両頬を膨らませて拗ねる夏美。それもその筈。
私立
何より都心の中心駅と言える渋谷駅を最寄りとする利便性。だが一方でよくない噂も出回っている。密かに人体実験をしているだとか殺人を犯したものを匿っていると言ったありもしない情報がネット上等では出回っており、一部では曰く付きと囁かれている。だが東ヶ崎学園もそれを隠すためなのか学勉を上げているのではと噂を肯定するような動きをしているのも事実。即ち何が言いたいかというと夏美の学力で入学するには厳しい学校だということだ。
「だって、幼稚園から小学校、中学校まで一緒だったのに、高校だけ別って、そんなのありえないでしょ!それに東高の制服って制服名鑑にも載るくらい可愛いので有名だし!」
数を数えるように指を折りながら勉強を死ぬほど頑張ったのだと言い訳を含め熱弁する。そんな夏美に感動したのか瞳を潤わせて見つめる美音。しかし同時にガッツポーズをしながら話を占める夏美に大げさに肩を落とす美音。それでもどこか嬉しそうな笑みを浮かべる。どんな理由であろうと親友と三年間ともにいる事ができるのだから。
「大好きだよ!夏美!」
「み、美音?!変なものでもでも食べた?」
「そんなわけないでしょうが!」
後ろから抱きしめる美音に驚く夏美。冗談を言いながら笑顔のまま逃げる。そんな夏美を美音は内心楽しみながら、だけど本気で追いかけ学校への往路を急ぐのであった。
■■■
「もぅ!ありえない!」
「まぁ、そう興奮しないで…。決まり事なんだから」
入学式を終えた二人に授業はなく屋上にいた。理由はその日の出来事や後悔などを話し反省会をするため。小学生の頃から続く二人の習慣だ。そして朝と同様に夏美の甲高い声が響いた。頬を膨らませて拗ねている夏美に落ち着くように美音が言うものの興奮を収める様子がない。夏美が拗ねている原因。それは美音とクラスが離れたことにあったのだ。
東ヶ崎学園高等部でのクラス分けの判定は定期テストの順位や成績などで決まる。つまり上位に近い成績で合格をした美音とギリギリの成績で合格した夏美。クラスが離れてしまうのは必然。とても単純な事なのだが夏美はそれが気に入らないらしい。
「入学説明会の時に言ってたはずだけどなぁ…」
「話が長くて覚えきれないよ…」
「紙も渡されたと思うけど…」
「美音の論破がつらい…。はぁ、明日から何を楽しみに学校にこればいいの…」
「休み時間になったら会いにいくから」
「ほんと?」
小さく本音を呟く美音。拗ねたままの夏美に呆れか、それとも優しさか。美音の言葉に夏美はまるで子どものようにはしゃいだ。次の日から約束通り休み時間になる度に夏美に会いに行き、昼休みは屋上で昼食を食べ、他愛もない世間話を楽しむ。
そんな日々が一ヶ月ほど続いたある日の昼休み。普段から陽気な夏美だが今日はそれ以上だ。うるさいと思う反面、心配にもなる。なぜそんなに陽気なのかと夏美を見つめ理由を聞くと、同じクラスに潜在能力保持者がいることが原因らしい。
潜在能力とは、人間一人一人、誰もが秘めている能力。誰もが秘めているというだけで全ての人が能力を自由に操れるわけではない。どのような理由、どのような経緯で能力を発動させるかは不明。能力の属性や大きさにも個人差がある。更に日本人の九割は能力に気づかず日常生活をしている。潜在能力保持者は教育現場で異なりはあるもの特別奨学生となり学費免除などの待遇を受けられるというシステムも存在する。
「名前はさ、どう読むのか分からないけど、柚河喜結って書くんだって」
「そんなに気になるような人なの?」
「美音は気にならないの?」
「気にならないわけじゃないけど」
寂しそうに美音が呟く。疑問に思った夏美は首を傾げて不思議そうに聞いた。美音が言葉を濁らせたのが相当気になるらしい。そのまま夏美は立ち上がり屋上の柵に寄りかかる。髪や制服を風で
「私は気になる。でも気になると言うより羨ましいって言ったほうが正しいかも…。ママがね、言ってたけど潜在能力って皆が持ってる能力なんでしょう?私と柚河さんはさ、単にどんな能力を持っているか気づいているかいないかの違いなんじゃないの」
「皆が持っていたとしてもコントロールできなきゃ意味ないじゃない、暴走させて人様に迷惑をかける…。そんな能力なら私は気づかないままでいいと思うけど」
「それはそうだけど、それでもだよ!自分たちが操れないものを操れていて、なんで同じクラスに居るのか分からないけどすんごく頭もいいみたいだし。私とは大違い、普通の私とはさ」
美音の反論に言葉を失い夏美はその場に座り込んだ。我に返り反省をしているのか、声のトーンを段々と落とし最後をか細く言う夏美。そんな親友の姿に小さくため息を吐き、そっと抱きしめる。
「私は好きだよ。お気楽でいつもニコニコ笑う夏美が大好き!」
「急に何言出だすの?!」
満面の笑みを浮かべる美音に真っ赤になる夏美だったがお気楽いう一言で「それ褒めてないし」と不貞腐れる。そして美音が「大好き」と満面の笑みを見せる。同時に予鈴が鳴る。チャイムを聞いて焦る二人。話すことに夢中で弁当箱などを片付けずにいたからだ。
「そんなに急ぐと転ぶよ」
「分かっているけど次の授業、担任なんだもん。遅れると煩いの」
真っ当な理由ではあるがそこに危険がないわけではない。それを分かりきっている美音だからこそ夏美に注意が出来る。だが美音は一度立ち止まり、階段を駆け下りる夏美を見つめて小さく呟く。
「大好きだよ、夏美。今のままの夏美が。だから変わらないで。何があっても、何が起きても、変わらないで…」
しかしそれは夏美の耳に届く事は無かった。美音は夏美に急かされ慌ただしく教室に戻った。そして、夏美はまだ知らない。今日のこの会話が美音の本音であり、最初で最後の本音だと言う事。再会する時、夏美の人生を変えてしまうことも。
2
夏美が東ヶ崎学園高等部に入学して一ヶ月が過ぎた頃、一つの悩みが夏美を支配していた。それは連休前のこと。いつも通り他愛のない話に花を咲かせ、昼食をともにした親友の美音と連絡が取れなくなってしまったのだ。連休中も昨年同様、夏美の家や外出してショッピングを楽しむ予定だった。しかし美音と連絡が取れない事で無くなってしまった。快活な性格をしている美音だが他の人より体は丈夫ではなく、小・中学校の時も風邪などを理由に休む事が多かった。だが連絡は常に取れていた。学校からのお知らせを届けるために自宅訪問すればバカやうつるなどの文句を言われる始末。だが今回は違った。メールにも自宅訪問にも応答がないのだ。もちろん電話もしたが留守番電話に接続されてしまった。連休が明け間もなく週の終わり。学校にも登校していない。無断欠席が続いている。心配になった夏美は以前、美音に話をした同じクラスにいる柚河喜結に相談することにした。しかし、うまい具合に話しかけることが出来ないのだ。明るく前向きだと自分自身で言っては美音に呆れられしまう夏美が
生徒会執行部は学園内に存在している部活動の一つ。幼稚部を除く各種教育機関に存在しており、学園の政や校則などを取りまとめて行っている。一方で 危険だと判断された潜在能力者保有者が所属しているや殺人者がいるなど、よくない噂も存在している。しかもその噂は何故か生徒会だけに存在する。
これが東ヶ崎学園の曰く付きの発端なのだ。もし、これから相談する柚河喜結が殺人者だったらと怖気づいてしまっているのだ。
『こんなんじゃダメだ、噂がなんだ』
一歩踏み出すための口実として『今から美音に連絡して、でなかったら相談する』と心の中で決意を固め、所持している端末で美音に電話をした。しかし当然ながら呼び出し音を数回鳴らした後、留守番電話に切り替わった。結果、美音は電話に出なかった。夏美の意志は固めて 生徒会役員の柚河喜結の席に向かった。拳を握り締めた状態で。
「あ、あの!ゆずかわきゆいさんですよね、相談した事があるんだけど」
「<ゆずかわ>じゃなくて<ゆかわ>。それに名前も<きゆい>じゃなくて<きゆ>だから」
「そ、そんなことより、柚河さん!あなたに相談があるんだけど」
夏美が喜結の名前を呼んだ瞬間とクラス中に笑い声が響いた。切羽詰っていたのが原因で想像以上に声が大きかったからだ。しかも相手の名前を間違えるという痛恨のミスを犯してしまった。クラスの笑い声に夏美は恥ずかしくなり顔を赤くして俯く。そんな夏美の様子に喜結は腕で頬を支えながら夏美を見上げる。
夏美のミスを冷静な判断で訂正した。喜結の指摘にクラス中の笑いがピークに達する。恥ずかしい思いをしても尚、夏美はこんな所でへこたれてたまるかと真剣な表情で言葉を発した。夏美の表情に何かを察したのか喜結も表情を変えた。
「とりあえず、ここは話しにくいでしょ?」
「確かに…。てか、この空気を作ったの、柚河さんでしょ…」
喜結が提案を出すと夏美はクラス中を見渡す。だが再び喜結に視線を戻すと先程まで席に座っていたはずの喜結の姿が無い。夏美の言葉は虚しく消えていった。取り敢えず喜結を探そうと辺りを見渡す。教室の入口付近で手招きをしている喜結がいた。「い、いつのまに」と夏美は驚きを隠せなかったが今は一刻を争う事態。駆け足で喜結の後を追い、屋上へと移動した。
「で、相談ってなに?」
「ゆ、柚河さん、歩くの…速すぎ」
「天野さんの体力が無いだけでは?」
「至って普通です」
屋上についた喜結は早速本題に入ろうと後ろを振り向く。しかしそこに夏美の姿はなく、屋上へ続く階段の途中で手すりにつかまりへばっていたのだ。息を上げながら言う夏美に可愛くない言い方をしたと少し後悔する喜結だが息を上げながらも反論する夏美に小さく笑みを零した。そして喜結は夏美を待つため屋上内に設置されているベンチに向かい座って待つことした。
喜結の笑みにドキッとする。『いやいや、女の子相手に何考えて』と先ほどの感情を疑い、心の中で否定をして屋上までの道のりを急ぎ、階段を駆け上がった。屋上に着いた夏美はベンチに座っている喜結の前に立ち本題に入ろうとする。だが喜結を見下ろす体制の夏美に喜結は「せめて座って話さない?」と提案する。その言葉に納得した夏美はその場に正座をした。
「あの、さ…。座って欲しいとは言ったけど、地べたに座れとは言ってないんですけど」
「えっと…ならどうしたら…」
「隣に座れって言っているの!」
「は、はい」
喜結の伝え方が曖昧だったために起きたのか、それとも夏美の理解力の問題なのか、人とのコントが行われた。兎に角、現状では話が進まないため、喜結は少し怒り気味で夏美に伝えると夏美は驚き甲高く返事をする。しかし夏美は距離を取りベンチの端に座る。距離が離れているものの地べたに座られるよりマシかと息を吐き本題に入ることにした。
喜結の誘導に夏美は話を始める。幼稚園で出会い、家が近いことから次第に仲良くなり小学校、中学校、そして高校までずっと一緒だった親友・細田美音という人物のこと。その親友と一週間ほど連絡が取れないことを。話を終えた夏美は恐る恐る喜結の方へ視線を向ける。そこには笑うことなく真剣に話を聞いている喜結の姿があった。その姿があまりにもかっこよく見えた夏美は綺麗と思う。だが相手は男性ではなく女性。再び首を素早く横に振り我に返る。夏美の行動に小首をかしげるも相談内容から何かを悟った喜結は一つの提案を出す。
「天野さんが伝えたいことはわかった。今日の放課後、その細田美音って子の家に行こう」
「…本当に?ありがとう!」
断られると思っていた喜結の反応は真逆だった。あまりの嬉しさに夏美は喜結の手を両手で握りしめ大きく上下に振って笑顔で礼を言った。夏美の笑顔につられて喜結も微笑を零す。しかし腕を大きく上下に振られる行動がつらくなってきたのか「それ、痛い」と苦笑をする。夏美もまた手を離し「ごめん」と謝罪をした。夏美と喜結の二人はある程度会話をして屋上を後にして教室に戻る。
■■■
終業を知らせるチャイムが校内中に鳴り響く。一刻も早く美音の元へ行きたい夏美はショートタイムの途中にも関わらず喜結の手を掴み教室を後にする。後方から先生が叫んでいくが夏美の耳には届いていない。しかし勢いで飛び出したのが原因か美音宅に行く前に夏美はへばってしまった。そこは学校の最寄り駅である渋谷駅前。美音の自宅に行くには電車に乗らなくていけない為、今からこの調子では到底たどり着けない。
「猛ダッシュなんてするから」
「だって、一刻を争うかもしれないんだよ」
それを見た喜結はため息をつき夏美の行動に呆れを表した。息を切らしながら言い訳をする夏美。他愛もない会話。ただ一方に親友を心配する姿があるだけ。しかし喜結は小さな違和感に気づき、辺りを見渡す。その時、夏美と喜結が立っているすぐ隣のビルが爆発したのだ。
大きな音を上げ黒煙とともに崩壊するビル。夕方で学生らの帰宅時間と重なった時間帯。先程まで人々の楽しそうな声が響いていた街中は一瞬にして地獄と化した。煙吸って咳き込む人、逃げる際に親とはぐれたのか泣き叫ぶ子ども。様々な人々の叫び声や泣き声で溢れている。
「し、死ぬかと思った!一体なんなの?ビルが爆発しちゃったよ?」
「鬼の仕業だよ」
「お、鬼?鬼ってなに?」
その中で勢いよく体を起こし声を上げたのは夏美だった。喜結の迅速な対応のおかげで瓦礫の下敷きにならず、怪我もなかった。しかし現状を呑み込めず慌てる夏美。逆に喜結はこういう状況に慣れている様子で冷静を保っている。喜結の冷静な態度に驚きと感動しつつも鬼の存在を知らない夏美は喜結に質問した。
「潜在能力のことは知っているよね、鬼っていうのはその潜在能力を様々な理由で制御ができず、暴走させてしまった人たちの事。ちなみに現状を解決する方法は原因の発端である能力の暴走を抑えないといけない」
「なら、その原因を作っている人を探せばいいの?」
「探すだけではだめ。鬼と化してしまった以上、能力の制御は皆無に等しい。犯人を見つけたとしても助けることは出来ない」
「助けることは出来ないって、そんな暴走どうやって止めるの?わざと暴走させているんじゃないんだよね?」
「暴走に関しては人それぞれ…。故意にやっている人も中にはいる」
「そんな事って…」
「まぁ能力を開花出来てない人達は知らなくて当然のことだから気に病む必要はなよ」
難しい説明に困惑を隠せない夏美に話すのを止め、現状から少しでも夏美を逃がすことを考える。そんな中、立ち込める黒煙の中から人影らしきものが見えた。夏美はその人影らしきものに手を振りながら「大丈夫ですか?」と大声で声をかける。すると人影らしきものから「こちらは大丈夫です、あなた方は大丈夫ですか」と返事が帰ってきたのだ。その返答に生存者がいることに喜結は安心して胸を撫で下ろす。もちろん夏美も同じだと思い、声をかけようと顔を向けるとそこには胸をなでおろすどころか肝を冷やした様な表情の夏美がいたのだ。
心配になった喜結が夏美に問いかけると、人影らしきものが姿を表した。見覚えのある女学生の制服。それは夏美たちが着ている東ヶ崎学園高等部の制服だ。それもその筈、黒煙から姿を見せたのは紛れもなく探していた親友。細田美音だったからだ。
「み、美音?美音!」
「待って…」
「柚河さん?何で止めるの?私が探していた親友なんだよ!邪魔しないでよ」
「あれ、鬼だよ」
夏美は嬉しさのあまり瞳にいっぱいの涙を浮かばせ、美音に抱きつく為立ち上がろうとした。しかしその行動は喜結によって阻止された。美音はその場を移動する様子はない。まるで夏美が来るのを待っているかの様に。そんな中、再会を邪魔された夏美は喜結に文句を言う。夏美の言っていることが理解できない訳ではない。だが真実を告げるにはあまりにも酷だと感じたのか声のトーンを落として夏美に親友の正体を告げたのだ。
「鬼って、さっき柚河さんが説明してくれたやつの事だよね?能力を暴走させてうんたらかんたらでなっちゃうやつだよね」
夏美が発した言葉の最後のうんたらかんたらを聞いて『やっぱり最後まで聞いてなかったか』と呆れてため息をつく。
「そう、だから君の親友は」
「夏美、その人の言う通りだよ。今の私は能力を暴走させた哀れな鬼」
「ど、して…。どうして美音が鬼なんかにならないといけないの?それに美音は能力者じゃ…黙っていたの?ずっと騙していたの?」
喜結が返答をしようすると鬼となった美音が言葉を遮り代わりに答えた。突然過ぎて頭の整理がつかず、驚きを隠せない夏美。もちろんそれだけではない。親友が能力者でしかも鬼になってしまったその事実に、変化に気付けなかった自分の無能さを痛感しているからだ。夏美はその場に座り込み反論をするもその声色は弱々しかった。夏美の様子にこれ以上の危害を増やさないように説得で鬼を封じ込める手段を取る喜結。
「何故、鬼になった」
「なぜ?何故ってそんなこと…。この者の心に悲しみというと隙間を見つけた。ただそれだけ」
「悲しみ…」
「それであなたは私をどうするの?」
「どんな理由があっても能力を暴走させてしまった以上、私たちは退治しなければならない」
美音を支配し能力を暴走させている人格が笑いながらいった鬼とは主に二手に分かれる。自我を保ったまま暴走する者と自我を失い能力を暴走した際に誕生させてしまった人格に支配されてしまう者。細田美音の場合は後者だ。そして美音が暴走した理由に悲しみという言葉が含まれていた。それを聞いた喜結は自らもいくつか当てはまる事があるのか言葉を失う。だからといって同情してはいけないと厳しい表情で喜結は答える。
心ここに在らずの夏美。しかし喜結の言葉も美音の言葉も夏美の耳には届いていた。人というのは放心状態であっても人の話は聞こえているもので鬼について説明をしていた時、喜結が発した言葉を思い出していた。
―――――現状を解決する方法は原因の発端である能力の暴走を抑えないといけない。
「返して」
「え…?天野さん?」
その言葉を思い出した夏美は小声で怒りを表したのだ。その怒りの気を感じた喜結は夏美の方を振り向く。怒りの気は更に増幅し「返して」と同じ言葉を、声量を徐々に上げながら繰り返す。何度も。何度も。何度も…。
すると夏美の近くにあったマンホールの一つが音をたて動き始めた。何が起きているのか喜結は半信半疑ながらも夏美のある可能性を感じ見守る事にした。その可能性とは潜在能力の開花だ。
「私の親友を、美音を返して!」
「これは水属性の」
「なにが、悲しみよ、そんなものにしか縋(すが)ることができない卑怯者じゃない!」
最後に大声で叫ぶとマンホールが吹っ飛ぶ程の水の柱が夏美の周りでいくつか現れる。そのうちの一つが美音を包み込み捉え、更に逃がさないように四方八方から攻撃をする。感情に任せていると言え、夏美は見事に能力を操作していた。同時に喜結は様子を見ることしか出来なかった。可能性を信じたもののその能力の大きさは想像を絶するものだったからだ。しゃがみこんで現状を把握出来ていなかった夏美とは違う。能力の根源はきっと親友を返して欲しい。ただそれだけだろう。だとしても見事だと称賛するしかない。
「くっ、こんなはずじゃ…」
鬼がそう呟くと美音の身体から微かに光が現れ散っていく。鬼という人格が離れていく証拠だ。予期せぬ能力開花のお陰で被害も大きくなることはなかった。一時はどうなるかと思っていた喜結も安息の笑みを浮かべ夏美の元に行き、お疲れ様と軽く肩を叩いた。しかし夏美の表情は少し青ざめていた。いきなりの能力開花に疲れが出たのだろう。それでも労いの言葉をくれた喜結に微笑みを返す。
暫く放心状態だった夏美は急に水浸しの中走り出した。夏美の向かう先には横たわる美音がいた駆け寄った夏美は美音の体に刺激を与えないよう優しく膝に抱いた。現在の科学では潜在能力≒生命力とされている。本人の意思にそぐわない暴走は死に繋がる。つまり暴走によって潜在能力を失いつつある美音は命も尽きかかっている。
理論を知りえている喜結は何も言えない。ただ、目の前にある光景を見届けるしかなかった。夏美はというと今にも泣きだしそうな表情をしている。そんな夏美に美音は最後の力を振り絞り震える声で話し始めた。
「ごめんね、夏美。きっと私、夏美の事…。ずっと羨ましかったのね」
「美音、喋っちゃダメだよ…。私、まだ美音と別れたくないよ」
美音の言葉に首を横に振り、我儘をいう夏美。それを叶える事が出来ないのを美音分かっていた。もうすぐ尽きてしまう命に美音は気づいていた。だから最後は笑ってほしいと願いを込めた笑みを浮かべて瞳を閉じた。先ほどの言葉は美音にとって最後の言葉になったことを夏美は分かっている。しかし簡単に受け容れることが出来ない。美音の体を揺らして、何度も名前を呼び泣き叫んだ。
―――――何度も、何度も、何度も…。
「雨?」
夏美に気を取られていた喜結が頬にあたる雨粒に気づき空を見上げる。夏美の泣き叫ぶ声に空が同調したのかそれとも潜在能力の一つなのか天気雨が降り注ぎ空に大きく鮮やかな虹が架かった。
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