第16話

 大通りを風のような速さで駆け抜けて行く闇色の髪の青年。


 渡部明弘。


 元の世界での彼は、大学卒業後運送会社に就職したごくごく普通の青年である。


 両親は健在だが、仕事の忙しさにかまけてあまり連絡はしていない。結婚はしておらず、恋人は…大学時代から付き合っていた女性がいたが卒業後に疎遠になって、関係は自然消滅した。


 友人は多い方だが、学生時代のようにバカをやれるような機会は当然減った。寂しいとは思わないが、何か物足りなさは感じる。社会人になったのだから、大人の世界に居るのだから、と自分に言い聞かせてあの頃の騒がしい思い出は日常の波に押し流した。


 だが、彼が今いるのは異世界。


 平凡な繰り返される日常はここにはない。世の中を回す歯車の1つとしての仕事を強制される事もない。


 なぜなら勇者だから。


 いつものようにトラックを運転していた筈が、目を開けたらそこは全くの別世界。


 自分が異世界から召喚された勇者なのだと、絵本に出て来そうな王様風(後に本物と判明)に言われた時は頭がおかしくなったと頭を抱えた。




(あれからもう10日以上経ったのか…)




 半月にも満たない短い時間。


 その間に色々あった。


 非日常に遭遇し、尚且つ勇者と言うその中心とも言うべき役割を与えられた事への歓喜。


 初めて見た魔法への驚きと憧れ。


 魔道皇帝の配下との戦闘。


 そして……初めて人を殺した事。


 何をするにも迷いはあった。


 のた打ち回る程悩みながらも、自分は勇者である事を選んだ。


 理由はいくつかある。非日常への渇望、国の人達の懇願、そして……元の世界に残して来た罪。




(俺のトラックに轢かれて死んだ少年……か)




 気持ちが沈みかけたが、頭を振って無理やり精神を立て直し、進行方向に意識を向ける。


 通りの先にあるのは巨大な東門。


 すでに門は破壊され、真っ黒なローブに身を包んだ者達が今にも街の中に雪崩れ込もうと、抑えに立っている兵士達に魔法を放っている。


 一方兵士達も、ある者は剣や槍で向かっていき、ある者は魔法で応戦してなんとか街への侵入を阻止している。


 最悪の展開だった。




(ルディエの住人の避難計画、まだ形になったばかりで始まってもいないんだぞ!)




 今までの数人が転移して街で暴れるだけの襲撃とは意味が違う。


 この敵達はおそらく魔道皇帝の手持ちの戦力のほとんど…もしかしたら全部かもしれない。つまり、この戦いは最終決戦と言って良いだろう。


 だが、戦いの結末はもう決まっているのではないか?


 アンチポータル。


 あの都合よく現れたという術者達はおそらく魔道皇帝の手の者だ。街から転移魔法での逃亡を阻止し、理由を付けてルディエを封鎖、街中に居る人間を閉じ込める。


 そしてこの戦力の投入タイミング。




(いや…まさかもっと前から? 転移魔法のゲリラ戦が、アンチポータルの術者を招き入れる為の布石だったとしたら? ……流石に考え過ぎか、こんな面倒な手をするくらいなら、始めから転移魔法で術者を街に入れれば良い。だとしたら……何かを待っていた?)




 考えても答えは出ない。


 思考を散らして、今は目の前の事に集中する。


 走りながら、今や手に馴染むほど振った愛剣のブレイブソードを抜く。




「どけええええぇぇーーーーーッ!!!!!」




 【フィジカルブースト】を全解放。身体能力上昇、感覚器官の鋭敏化。


 同時にブレイブソードに内包されたスキルも開放。


 【ソードセンス】【マジックキャンセル】を発動。


 これで戦闘準備は完了。


 黒いローブの1人から放たれた氷の槍をブレイブソードで斬り払って無効にし、短距離の世界記録を余裕で塗り替える速度で距離を詰める。


 1番近くにいた黒ローブを袈裟がけに斬る。吹き出す血飛沫、倒れる黒ローブ。


 剣の振り方なんて習った事はない。勿論明弘自身にもそんな才能はない。だが、体が知っている。どう振れば良いのか、振る時にどの筋肉をどう使えば剣に威力が乗るか。人の部位に対して、どの角度で刃を入れれば斬れるのか。


 全部分かる。【ソードセンス】、持ち主に剣士としての身体感覚を与えるブレイブソードに宿るスキルの1つ。




「勇者様!?」「アキヒロ様!!」「勇者…」「忌々しき我等の敵め!!」「あれが≪魔法殺し≫のブレイブソードか!?」




 全員の意識がアキヒロに向く。


 一方注目されている本人は、1度血払いしてから門の前に陣取っている黒ローブ達に向き直る。




「魔道皇帝配下の方達とお見受けしますが、このまま帰っていただけませんか?」




 返答の代わりに魔法で撃ち出した炎の矢が飛んでくる。


 軽く剣を振ってそれを無効にする。いちいち斬る必要はない、ブレイブソードに魔法が接触しただけで無効にできる。




「NOと口で言っていただけると良いんですけど…魔道皇帝は配下に礼儀のれの字も教えていないようですね?」


「ははは、これは手厳しい」




 楽しそうな笑い声と共に、黒ローブの集団が2つに割れて道ができる。


 1人の男がユックリとその道を歩いて来る。


 艶落としされた白銀の髪に、赤いメッシュの入れた若い男。


 整ってはいるが、どこか獣のような臭いを醸し出す顔立ち。


 金の刺繍の入った漆黒のマント。


 戦場に立っているのに、まともな防具を着けている様子はない。軽装なのではなく無防備。


 ただそこに居るだけで敵を威圧する、絶対的な強者の気配。




「初めまして勇者アキヒロ」


「まさか、貴方が?」


「貴様に顔を見せるのは初めてだったか? では名乗っておこう、魔の道を統べる皇アデス=ジンエグリースだ」




 よろしく、とでも言うように両手を広げて見せる。




(この男が敵の親玉、魔道皇帝か…!?)




 皇帝を自称するとはどんな男かと思っていたが、イメージしていたよりずっと若い。明弘と同じか少し上。


 だが視線を交わしただけで理解する。目の前の男は、明弘とはまったく別物だ。戦いの場に立つ者としての格云々ではない。明弘自身もそれを上手く言葉に出来ないが、根本的に人としてこの男は“別”なのだ。




「自称皇帝ですか?」


「はっはは、今はまだ…な。だが、それもすぐに本物となる。この街は素晴らしいよ、私にとっては輝かしい楽園と言って良い!」


「まさか、ルディエを滅ぼして自分の国を興すつもりですか!?」


「いやいや、言い方が悪かったな? この街自体に興味はない。私が必要としているのは大昔の人間が必死に隠した―――」




 皇帝の目がスッと細くなる。


 攻撃的な飢えた狼のような目。




「≪原色の魔神≫」




 明弘は聞いた事のない名前に頭を捻った。


 ただ、皇帝が探し求める物が善であるとは思えなかった。


 原色の魔神が人なのか、武器なのか、それとももっと別な何かなのかは不明だったが、おそらく、それはこの国に…この世界に厄災を振り撒く物。




(そんな物をこの男の手に渡して良い訳がない!)




 それが明弘の結論だった。


 何故敵の親玉がこんな無防備な状態で前線に出てくるのかは疑問だが、皇帝を討つ絶好の機会…いや、もしかしたらこのチャンスを逃せば2度と相対する事すら叶わないかもしれない。そう考え改めて剣を握りなおし、剣先を真っ直ぐ皇帝に向ける。




「くっくっく、私と戦うか? そうでなくてはな」




 漆黒のマントが翼のように広がり、皇帝が静かに歩を進める。


 歩きながら指揮者のタクトのように左手を振ると、黒ローブを着た者たちが皇帝に一礼してから後ろに下がる。


 手出し無用。という事らしい。




「一騎討ち、ですか? 意外と紳士ですね」


「フッ、一騎討ち? そんなものをするつもりはない。これは脆弱な貴様等へのハンデだよ。何十人でも何百人でも、好きなだけ来ると良い。どれ程有象無象が群れようと、私に血の一滴も流させる事は出来ぬと知れ」




 薄く笑いながら、その目はどこまでも本気だった。自分の敗北を、爪の先程も考えていない絶対的強者の目。


 自身を皇帝と呼び、1つの国に喧嘩を売るこの男を狂人と笑うのは簡単だ。だが、この男を前にした今の状況はどうだろう? 笑っている人間はその男ただ1人。敵対するアステリア王国の者達は誰1人としてそんな余裕はない。その一挙手一投足に全神経を集中させた悲壮感にも似た緊張感。




「どうした? 先手は譲ってやると言っているんだ、遠慮せずに攻撃して来い。怯えて手が出ないというのであればコチラから行くが?」




 スッと皇帝の目が細くなる。蔑んだのではなく、獣が獲物に狙いを定める時のそれだった。


 今動かなければマズイ! それが、その場に居た勇者を始めとしたアステリア王国の戦士達の共通の思考だった。


 弾かれたようにアキヒロが飛び出し、それを支援する為に周りの兵士達が一斉に魔法を唱える。




「【パワーアドバンス】!」「【フレイムシュート】!」「【ディフェンスカバー】!」「【エアーシールド】!」




 肉体強化、肉体硬度上昇、低位の不可視の盾。唱えられたそれらの魔法が全てアキヒロに付与される。エンチャント系の魔法も手持ちにはあったが、これはブレイブソードのスキルで無効されるのをそれぞれが理解しているので省く。


 そして、1人の兵士が撃ちだした火球。これが致命打になるとは本人も思っていないが、攻撃の隙1つでも作れれば上出来だった。


 が、その認識は余りにも甘過ぎた。


 今敵として目の前に立つ男は、そんな温い一手を許す相手ではない。




「ふむ…では、目障りな火球から。【カウンターバニシュ】」




 皇帝の指先がチカッと光った次の瞬間、そこにあったのは四散した火球と体の消えた兵士の姿。消えた、とは比喩ではない。パズルのピースを抜かれたように両腕と頭だけを残して上半身が消えたのだ。




「え゛?」




 呻くような声と同時に胴体を無くした頭と両腕が地面に落ちて血だまりを作る。


 アキヒロは振り返らない。おそらく皇帝の魔法で自分の後ろで兵士が死んだ事だけは理解した。振り返れば足が止まる。本当の意味でその死を無意味にしない為にアキヒロは足を前に出す。




「はああああッ!!!」


「【ウォールオブプロテクション】」




 アキヒロ自身の肉体強化スキルに、ブレイブソードのスキルと魔法の支援を乗せた、並みの相手なら一撃で屠る必殺の剣戟。


 対して皇帝が唱えたのは、自分の前に不可視の壁を作る事で魔法・物理、いかなる攻撃も遮断する防御魔法。


 そう、魔法だ。


 そんな物は、ブレイブソードを持つアキヒロにとっては紙以下の装甲である。




「【ショックウェイブ】」




 不可視の壁がブレイブソードによって打ち消されたと同時に、皇帝の指先から衝撃波が放たれた。


 剣を振りに入っていたアキヒロは、避ける事も防御する事も出来ずにその直撃を受けて大きく吹き飛ばされる。空中で体を無理やり捻って片手を地面に滑らせ、足から着地、すぐさま剣を皇帝に向ける。




「ゼェ…ゼェ……なるほど、これが魔道皇帝か……」




 たった1度。それで理解する。


 今までの相手とは桁が違う。兵士達のかけてくれた防御魔法がなかったら、今の一撃で悶絶していたかもしれない。


 威力もだが、驚嘆すべきはそのスピード。


 魔法は1つ撃ちだすたびに、肉体の冷却期間とも言うべきディレイが存在する。強力な魔法であればあるほど長いディレイが必要になるが、皇帝にはそれが一切存在しない。


 魔法使いとの戦いは撃たれる前に倒すか、でなければディレイを突く事が基本と言って良い。


 実際明弘も、今までの戦いは相手の一撃目をブレイブソードで捌いて、2発目までのディレイを利用して距離を詰めるなり攻撃するなりして勝利してきた。だが、皇帝にはそのセオリーは通用しない。




「どうした? まさか腰が引けたのか、勇者殿?」




 口の端を釣りあげながら楽しそうに言う。いや、実際に皇帝は楽しくて楽しくて仕方なかった。勇者の話を聞いた時から、どんな奴なのかと、どれ程の強者なのかとこうして戦う瞬間を楽しみにしてきたのだから。




「コッチはお前が…いや、勇者が召喚されるのをまだかまだかと待ち侘びていたんだ。あまりガッカリさせないでくれ」




 対して明弘は焦っていた。


 自分の手の中に有る魔法使いへの切り札と言っても良いブレイブソード。皇帝の魔法に対しても絶対的なアドバンテージなのは変わらない。しかし、届く気がしない。


 目の前に立つ男に、自分の剣が届くイメージが全く湧いてこない。




「人を待たせる失礼をした覚えはないんですけどね?」


「フフ、そこは気にするな必要はない。私としてはさっさとこの街をすり潰してしまいたいのに、“連中”が勇者の召喚を待てと煩いから仕方なく待っていたというだけさ」


(連中…? 仲間が居る、のか?)




 皇帝クラスの能力を持った人間が他にも居るのだとしたら、この戦いはアステリア王国側の詰みだ。




(先も外も今考えても仕方ない! ともかく、今は目の前の皇帝を倒す事だけ考えろ!)




 ブレイブソードを握る手に知らず力が入り、弱気になる心を懸命に叱咤する。


 今、ルディエの中に居る人間の中で、皇帝と戦えるのは恐らく明弘しかいない。街を覆うあの黒い光が何かは不明だが、あれが外からの侵入を阻害するタイプの物だとしたら援軍は絶望的だ。




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