3ー4

「そうなのかなと、うっすらとですが」

 日出雄はふて腐れたように横を向いて言った。

「並木先生とは勉強の話以外しませんし、継母ははと並木先生が男女の仲だったとしても僕には関係ありませんから」

「その怪我はどうしたのかね」

 日出雄の唇の端が切れ、顎は紫色になっていた。

「友だちと喧嘩したんですよ。どうってことありません」

「ところで稲さんとの仲はどうでした? うまくいってましたか?」

「どうせ女中たちから聞いたんでしょう? 僕と継母の仲が悪かったって」

「いいえ、そんなことはありませんよ。あなたと稲さんが仲良く話をしていたと聞いています。あなたが出掛ける直前ですよね。そのあと稲さんはふらついていたという証言があるのですが、ご存じですか?」

「僕が毒を飲ませたとでも言うんですか」

 日出雄は表情を変え、激しい口調で言った。

「僕はそんなことはしませんよ。あ、そうだ。僕が稲と話をする前に湯飲みでなにか飲んでいました。あれに毒が入っていたに違いない。それで稲はふらついていたんでしょう」

「湯飲み? それはどこで飲んでいたんですか?」

「応接室の出入り口のそばですよ。思い出した。湯飲みはお志津が厨から持ってきたものです」

 その時巡査がやって来て、ドアはたしかに内側から鍵によって閉められたもので、なんらかの細工をしたものではないことがわかったと報告した。

 話を遮られた日出雄はいつの間にかどこかに消えていた。

 倉庫室の中は壁面すべてに棚が設えてあって、ぎっしりと書画骨董が収納されている。

 もし、もう一本鍵があったとして、この部屋に隠した鍵を見つけるのは至難のわざであろうと思われた。

 天井近くにある明かり取りの窓は、はめ殺しになっていて鍵を捨てられるような隙間はない。床や壁には隙間どころか、まさに蟻の這い出る隙もなかった。この部屋は万が一火災が起きても無事なように床も壁も天井も石造りになっていたのだ。

「これでだいたいわかりました」

 鏡花先生が、突然ぽつりと言った。

「なにがわかったんですか?」

「犯人ですよ。並木慎太郎を刺し殺した犯人です」

「心中じゃなくて、殺人だとおっしゃるのですか?」

「ええ。稲は自害しましたが、慎太郎は殺されたのですよ」

「なぜです。どうしてそう考えるのですか?」

「いいですか。まずおかしいのは稲の着衣が乱れていることです。これから心中をしようという二人がこんなところで情交を結んだ、などとは考えにくいですが、百歩譲ってあったとして、おかしいのは慎太郎の着衣が乱れていないことです。それと先に稲が慎太郎を殺害していますね。慎太郎の腹を刺して、それから同じ短剣で自分の喉を突いた。心中なら普通、男が女を殺してから自分が死ぬでしょう。しかし新しい世の中になりましたから、逆もあるかもしれません。それでもなお説明がつかないのが、稲の両手が不自然に血で汚れていたことです。稲の喉からは血が流れ出ていました。稲は両手で短剣を握りしめたまま事切れていました。短剣の柄には血がべっとりとついていたのではないですか?」

「そうか。わかりました。稲が犯人なんですね。別れ話がこじれたかなんか知りませんが、かっとして慎太郎を刺し殺し、自分も死んだと」

「いえ、稲ではありません。第三者がいたんですよ」

「ああ、わかった。私も怪しいと思っていたんです。稲に毒を飲ませ、ふらふらになったところを殺そうとしたが、慎太郎がやってきて稲を守ったんですな。犯人は逆上して慎太郎を刺し殺し逃げた。自分のせいで慎太郎が死んでしまったので、稲は自殺した。と、まあこういうことだ」

「いや、それだと短剣の説明がつきません」

 鏡花先生が慌てて言ったが、警部は聞いていなかった。

「おい。女中のお志津を召し捕れ。並木慎太郎殺害容疑だ」

「ええっ」

 僕と先生は同時に叫んだ。

「いやあ、先生。ありがとうございました。危うく悪賢い殺人犯を逃すところでした」

「しかし倉庫室の中の短剣の場所を知っているのは稲と嘉門だけですよ。嘉門は出かけていましたから除外しますが、お志津は短剣の場所を知らなかったはずです」

「稲から聞き出したのでしょう。なんの不思議もありません」

「いや、おかしいでしょうそれは。それに倉庫室に鍵をかけた理由もわかりません」

「とにかくお志津を折檻して、聞き出せばすべてが明らかになるでしょう」

 巡査たちがお志津を縛り上げ、どやどやと連行してきた。

 藤ノ木警部が満足そうな笑みをたたえて僕と先生を振り返った。

 その時、どこからやってきたのか割って入るようにマツさんが僕たちの前に現れた。

「事件は解決したのかい?」

「しましたよ」と言う警部の声と、「いいえ、とんでもない」という僕たちの声が同時に響いた。

 警部は急に妙な顔になって、「泉……鏡花先生とおっしゃいましたな。どちらの先生でしたかな」と訊いた。

「こちらは小説家の先生ですよ」

 僕はなんとなく警部が気の毒になった。狐にかされるという話は聞いたことがあるが、警部は婆さんに化かされたのだ。とはいえ僕も化かされたのだが。

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