第4話 到着

「ラディア様、到着いたしました」


「ええ」


馬車で二日ほど走り、ようやくイルミール公爵領に着いたらしい。

ここは公爵家の屋敷だろうか。

ドアが開くのを待っていたら、なんだか外が騒がしい。

気になって内側から開けて見たら、ぐいっと大きな壁に取り込まれた。


いや、訂正。壁のように大きな人に抱きしめられていた。


「え?」


何が起きたのかと思っていたら、そのまま抱き上げられる。

私をそんな風に扱うのは誰かと顔を見て、動けなくなる。


少しぼさぼさの黒髪だが、手入れがしてあるのは艶があるからわかる。

私をうっとりしたような顔で見つめる目は血のように赤い。

そのせいだろうか。私の中の血が熱くなったように感じた。

ぞわぞわとした感覚がめぐるのに、不快ではない。


ふいに鼻をかすめた匂いが懐かしい気がして自分がわからなくなる。

初めて会う人で、初めての匂いなはずなのに、知っている気がしてならない。


何か話そうと思うのに、声を出せなくてただ見つめる。

男性も何も言わずに私のことを見つめている。


「何をするのですか!無礼です!

 この方はエンフィア王国の第一王女ラディア様ですよ!

 そのようなぞんざいな扱いは許されません!」


「あぁ、そうか。すまない。気が急いてしまって。

 俺がイザーク・イルミールだ」


「……イルミール公爵でしたか」


この人が公爵。まだ二十五歳だが、三年前に公爵を継いでいる。

ミスンも公爵相手には注意できないのか、引き下がる。


「迎えに来たんだ。ラディア姫、屋敷までこのまま連れて行っていいだろうか?」


「……このまま?」


「そうだ」


思わず聞き返してしまったのは当然だろう。

いくら結婚相手とはいえ、抱き上げて連れて行くというのはどうなのだろう。

ミスンを見ると驚いている。やはりありえないことなんだ。



「いえ、降ろして。自分で歩くわ」


「だが、この先はずっと階段なんだ

 見えるか?あの山の中腹にあるのが屋敷だ。

 姫の足であそこまで階段をあがるのはつらいだろう」


視線でしめされたのは山の中腹にある砦のような建物だった。

岩と木に隠されるように作られているそれは、砦にしか見えない。

あれが公爵家の屋敷?そして、その屋敷に向かうのだろう長い階段が見えた。


「あれを上るの?」


「そうだ、だからこのまま連れて行こうかと。

 少しだけ我慢してもらえるだろうか?」


たしかにこの階段を上がるのは危険だ。

私が汗をかくようなことがあれば倒れる者が続出しかねない。

だけど、この人は私にふれていて大丈夫だろうか。

確認すると手袋をはめているし、服も首元まできっちりしまっている。

これなら少しくらい近くても大丈夫かな。


「わかったわ」


「それでは行こうか」


抱き上げられていても短時間なら大丈夫だろうと判断したけれど、

階段を上っていく間も落ち着かない。

どこをつかめばいいのかわからなくて、公爵の上着をそっとつかんだ。

それを見たのか、落とさないから安心していいと微笑まれる。

公爵は女性嫌いって言ったのは誰?嘘じゃない。


形のいい一重の目が、笑うと少し柔らかくなる。

にらみつけられたら怖いのかもしれないけれど、そんな感じはしない。

ゆったりとした穏やかな海のような気配を感じる。


この人が私の結婚相手。そして、殺さなくてはいけない人。

……どうしよう。本当に殺せるとは思えない。

私の毒で弱ってくれればいいけれど、剣では無理な気がする。

身体を鍛えているように見えるし、すごく強そう……。


「何か困ったことでも?」


「いいえ……」


悩んでいたのに気がついたのか、少しだけ不安そうな顔になる。

そんな顔をさせたくないという感情が出てきて、泣きそうになった。

私はこの人を殺しに来たのに。自分ではどうにもできないのに。



案内された部屋はとても広かった。

王都よりも栄えているというのは本当らしい。

置かれている家具も絨毯も見事なもので、本宮でも見たことがない。


「ラディア様、お茶をお入れしましょうか?」


「ミスン、大丈夫。あとで自分で入れるわ」


「かしこまりました。……初夜ですが、今夜の予定となっています」


「今夜!?」


早いだろうと思っていたけれど、今夜だったとは。

あまりに早すぎて驚いているとミスンは書状を見せてくれた。

国王の印が押してあるが、書いたのは宰相だと思う。


王家の者を娶るのだから、王家の儀式にそってもらう。

王女を屋敷にいれたその日に初夜を行うように。

その結果をもって婚姻を許す。


「これをこれから公爵に渡すのね?」


「はい。ですので、今日の夜になると思います」


「……わかったわ。準備とかは自分でやるから、後は大丈夫。

 その書状を渡したら、ミスンと護衛騎士は王都に戻ってほしいの」


「え?」


本当なら初夜の最中に殺して、全員で王都に戻る予定だった。

そのため護衛騎士はいつでも帰れるように馬車の近くで待機しているはずだ。

だけど、そんなふうに暗殺できる自信がなくなってしまった。


「多分、いいえ、確実に失敗するわ。簡単に殺せる相手じゃない。

 従属の腕輪があるから殺せるかもしれないけれど、騒ぎになる可能性が高いの。

 私は自決してしまえばいいけど、あなたたちが捕まってしまったら困るわ。

 だから、すぐに王都に戻って国王に失敗したと報告してほしいの」


「……ですが」


「お願い。死んだのが私だけなら、偽王女だったと言えるわ。

 あなたたちが捕まって自白してしまったら、竜帝国と戦争が起きるかもしれない。

 ……守らなきゃいけない弟がいるのでしょう?」


弟のことを出されると弱いのか、ミスンが何かをいいかけてやめたのがわかった。


「私は何があっても逃げられないの。

 ここで死ねるのなら、そのほうが幸せかもしれないわ。

 だから、ミスン、お願い。護衛騎士たちと逃げて?」


「……わかりました。この書状を渡して、馬車に戻ります」


「うん、ありがとう。旅の間もいてくれて助かったわ。元気で」


「……はい」


泣くのをこらえたミスンが部屋から出て行く。

私は泣いている場合じゃない。収納空間に入れておいた馬殺草を取り出す。

いつもの手順で濃いお茶を入れて、ゆっくりと飲む。

嗅ぎなれた甘い匂いだけど、心は落ち着かない。


公爵を殺したくないと思ったとしても、身体は勝手に動くだろう。

さっき会ったばかりなのに、心を許してしまいたくなる。

もう一度抱き上げられたら、離れたくないと思ってしまいそうだ。



レオナ、ごめん。きっと私も死ぬことになる。

私が戻らなくても追いかけてきちゃダメだって言えば良かった。

あぁ、でも。あの腐った場所からレオナが出られるのなら、それでいいのかもしれない。

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