第10話 春風秋冬とその後の話

 カツオノエボシと巴さんが呼んだ、あの怪異は、俺に接触した事が起因して、この世界から消滅した。意図も容易く姿を消し、痕跡も、跡形もなくなった。


 彼がいた場所には、解体殺人の出来事が記録されたファイルだけがあって、それは無事に回収された。つまり、洲本神父という怪異は、大願を成せぬまま、消滅したというわけだ。この俺の否定体質によって、触れた瞬間に。


 しかし、やったこととしては「怪異を否定する力」というより「怪異を殺す力」だよな。自分でもびっくりですよ。触れた瞬間に怪異を消してしまうなんて。花鳥琥珀が俺に抱きついて、異常をきたさないのが不思議なくらいだよ。まぁ、彼女の場合怪異の末裔なワケで、怪異もどきなのだから、効果が薄いのもしれないけど。


 解体殺人の公表という、如何にもヤバそうな案件は防げたはずなんだけれど、巴さんはどこか思い込んだ顔をしていた。


 なんでも、「今はネットに回すこともできるからな」だそうで。

 確かにそれはそうだけど、後日洲本神父の所持品を調べ上げた際に、そういった記録は確認されなかったのだから気にする必要はないんだよな。


 スマートフォンを持っていたけど、岩座守襲撃後に誰かと連絡した記録もなし。資料をカメラで撮影した記録もなし。情報が外に漏れる可能性はほぼゼロだ。洲本神父が資料を持って移動中、誰かに情報を流していたら話がこじれたが、岩座守襲撃後、彼は決定的な証拠を掴むために、そのままの足で螺旋ファミリーを襲撃した。俺と入れ違いになるように。


 小学校から帰宅した直後だった紬希ちゃん含め、車で移動したのだ。

 誰かに口外するタイミングすらなかったはずだ。


 え? それ以前に教会のメンバーに告白していたかもしれない?

 その可能性はない。最初から、解体殺人があったという決定的な証拠があったわけでもない。洲本神父がその証拠を掴んだのは、螺旋巴の訪問があって最初だ。そんな状況で、自分が経験した、解体殺人の話を他者にするとは思えない。

 それに、どうもあの怪異は解体殺人の話をするとおかしくなってしまうらしい。

 消滅前に、俺に見せたように、人格形成に不具合をきたし、人の姿を取らなくなる。


 だから、数少ない物的証拠を集めようとしていたのだ。

 資料室にあったのは、その数少ない資料。凄惨な現場の写真まで封入されていたのだから、公表されていれば大事にはなっただろう。

 けれど、仮に話を聞いた人がいたとしても、それは虚言として捉えられるだろう。不謹慎な作り話として。


 というわけで、今も魔術師以外、解体殺人の話は知らないワケだが、それでも目を光らせている男がいる。巴さんだ。

 師匠はネットに情報が流れる事より、その情報が他の魔術師の目に止まる事を警戒しているみたいで、未だ神経質に事後調査を続けている。道中、本当に誰も接触していなかったのかと。あちこちの防犯カメラを使って、洲本神父の行動を追いかけ回すくらいだ。


 神父は怪異だったけど、別に社会から彼の記録が消えたわけではない。跡形もなく消失したのは神父の肉体と、周囲に及ぼしていた影響の二点であり、洲本神父という男がいたという記録は消えない。監視カメラにもバッチリ映っているし、教会の信者達の記憶にも残っていることだろう。


 巴さんは未だそんな調査をしているわけだけど、俺はある人とご飯です。

 春風秋冬。最初にこの話を持ってきた女性に、ご両親の様子を伺うべく、レストランで落ち合った。

 とはいえ、呼び出したのは向こうからであり、良い知らせがあると聞いたからスキップしながらやって来た。…………いや、そこまでハイテンションではなかった。ただ、また奢ってもらえそうだなと思っていただけだ。


「いやぁ、なんだかよく分からないけど、助かったよぅ」


 実際、彼女の奢りだった。またハンバーグに食らいつく。

 うーん、やはりやみつきになるぜ、このデミグラスソース。全国チェーンとはいえ、流石の完成度! 人の金で食う飯は最高!


「――――それで、ご両親は棄教ききょうしたわけですか?」


 もぐもぐと口を動かしながらも、単刀直入に訊く。

 棄教。つまりあの宗教から離れること。彩色心裡教会は、カルト宗教ではなかった。あの組織は真っ当に教示していたし、信者もまた健全だった。宗教としてはあまりに規模が小さい事。それがどこか胡散臭さを醸し出していたわけだけど、悪事に手を染めてはいない。法的にヤバいようなことをしていないのであれば、外野はあーだこーだ言えない。


 あの組織が怪しかったのは、洲本神父というイレギュラーのおかげだ。その一点だけだ。彼を核として、天井崩落事故の被害者家族が集まった事。それが異質だっただけで、教祖がクスリをやっている――とかそんな話は一切ない。

 神父は自らの怪異性を利用して、情報を集めようとした。その結果が、被害者家族を入信だったと言える。


 巴さんが毒だと言ったお香のような香りの元凶もまた、洲本神父だったわけで、被害者家族はそれに惑わされた形となる。

 芋づる式に。

 一人が入信すれば、また一人、紹介され、惑わされ、入信。

 そうして被害者家族の信者がドンと増えたわけだ。

 あの事件から二十年経過しているとはいえ、ご家族は同じように大切な人を亡くした者同士、ネットワークを構築していたことだろう。とっくに解散した、被害者団体の再結集。そのネットワークを丸々宗教法人が取り込んだ形となるわけだ。

 だが、今となっては、お香の効果も消え去って、ご家族を縛り付けるようなものは何もない。神父が消滅した今、目が覚めたように棄教を始める連中がいてもおかしくはないだろう。


「そうそう! 不思議~。あ、でも、おねーさん知ってるよ? 七楽っちが絡んでいるんでしょ?」


「…………はは」


 結局、春風ファミリーは棄教したようだ。

 教えを棄てる。そう言うとなんだか大ごとみたいだな。改宗とか、他にも言い方はあるけど、ご両親の場合、信仰そのものをやめたらしい。

 彩色心裡教会が、怪しい新興宗教でない以上、そのまま残る――つまり、信者のままでいるという選択肢もあったと思うのだが、そうしなかった。


 俺としては未だに所属していると言われた方が腑に落ちたんだけどな。


 特殊なお香の効果で入信したとはいえ。

 その効果が既に消えたとはいえ。

 所属していたという記録がなかったことになるわけじゃない。


 洲本神父が消えても尚、その功績は残っている。

 あの宗教に嫌悪感でも抱かなければ、離れることはないと思うのだが。

 勿論、それでは春風秋冬の抱いた、あの宗教に対する違和感は取り除けない。

 彼女の相談内容は、両親の入信した宗教の調査。鋼戸天井崩落事故の被害者家族が、どうしてか集まるあの宗教はおかしいのではないか? という疑問。言ってしまえばから来た疑いだった。


 前述したように、両親が色彩心裡教会に残ることは不思議じゃないのだが、結果としてそうはならなかった。それは秋冬さんにとってハッピーな出来事だろう。俺たちに持ち出された相談は、解決したってことなのだから。


「しかし、どうして? 俺には棄教した理由が分かりませんよ」


「いやいや、それを七楽っちが手回ししたんじゃないの?」


「俺は――俺がやった事は、ご家族が棄教するきっかけを作ったわけではありませんから」


「うん? そうなの」


「そうだよ」


 秋冬は不思議そうに首を傾げる。

 俺が手を回してなきゃ、両親の棄教は本当に不思議な行動だというように。


「うーん。なんだろうね。二人ともよく分かってないみたいだよ?」


「どうして棄教したのか?」


「いや、それも――まぁそうだけど、入信した理由さえ?」


 それはそうだ。入信する動機付けだけは、怪異の介入がしっかりあった。当事者が理解できないのは当然のことだ。


「でも、勢いで入信してしまったのかも。とは言ってた。兄の事を思い出して、感情的になっていたのだとも」


 故人を思い出して、感情的になった。それは決して悪いことではないと思う。ネガティブになってしまえば、当然よくないワケだけど、きっとご両親はそうじゃない。自分の子供を思い出して、懐かしんで――――俺には子供なんていないから、そんな感情理解できないけど…………きっと。


「他のね、被害者家族は今もあの宗教にいるんだって。別に、私もその人達にまで口出しするつもりはないけど」


「ふーん…………」


 俺と巴さんがやったことは、鋼戸地下街天井崩落事故……その真の姿である解体殺人の資料が世間に出回るのを阻止しただけ。結果的に、それ以降の被害者家族の入信は止まったわけだけど、春風秋冬の助けになるようなことは何もしちゃいない。今回ばかりは、本当に何も。


「あ、でもね。両親が棄教した決定的な理由、あるかも」


「ほぉ。それは?」


 笑わないでね。と前置きしつつ、彼女は言った。


「二人の夢にね、出たんだって。兄が。それでね、まるで諭すみたいに言ったんだよ」


 秋冬は、微笑みながら、人差し指を立てて。

 まるで子供を優しく叱るように。


「死人がゴチャゴチャ言うのもおかしいけれど、今更宗教にのめり込むなんてやめなさい。妹の事も考えろ――――ってね」


 それが、今回のオチ。

 オチというには、ちょっとばかし面白味のない、夢の話。

 俺は思わずフォークを止めて、場もわきまえず笑ったものだ。

 怪異に放った言葉が、そのまま引用されていたのだから。

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