第5話 再来する殺人鬼
「すいませーん。ホント」
と、岩座守はヘラヘラ笑う。
「笑える状況か」
事務所へ走り、廊下を見て絶句した。
殺人現場の如き血痕の数。何かで斬りつけられたのか、ぬかるみができるほどの血だまりが途中にあって、足跡がそこから事務室まで続いていたからだ。
引きずったように、こすれた足跡。血の香りが、鼻腔を刺激する。
慌てて事務室へ入ると、ソファで横にさせられていた岩座守。胴体は包帯でぐるぐる巻きにされ、ミイラみたく固定されている。白い布は所々血で滲んでいた。
事態が事態。二階の住人である幽志朗の姿もあった。岩座守の治療をしていたのは彼で、今も包帯の巻き直しを行っている。
「特殊な包帯ですから、すぐに傷は塞がると思います。でも、まだ動ける状態じゃありません」
「魔術道具か」
幽志朗は頷く。
魔術道具。言葉そのままに、魔術により制作された物品の総称だ。今回のようにすぐ傷口を塞ぐ包帯とか、炎を纏った剣とか、見た者に魅了される惚れ薬とか、そういうもの。廊下にあった血の量を見れば、本来これは瀕死の重傷だ。岩座守が致命傷を負いながらも会話ができるまでに回復しているのはそういう理由。
「いやぁ、花鳥ちゃんがいなくてよかったッスよ」
「まったく、心配させやがって。リアクションが楽しみだ」
安堵して、ジョークを漏らす。
時刻はまもなく十七時。そろそろ彼女が事務所に顔を出す時間だ。廊下の惨状を見て絶叫しそう。岩座守の治療で手一杯なワケだし、掃除はまだできないだろう。
「でも、何故襲撃された? 結界とかは? 簡単には侵入できないだろ?」
事務所には結界が張られている。結界とは、人避けなどに用いられる便利な魔術。方法、用途共に多岐にわたり、魔術師によって使い方は様々。ここ、東条造形事務所には「敵意を持った存在をはじく結界」が巴さんの手で展開されており、二十四時間万全のセキュリティを誇る。だが、今回それは意味を成さなかった。巴さんの技術に問題があったとは思えない。では、一体何が原因だ? 岩座守は誰に襲われた?
「いや、普通に来客かと思ったんス。怪しい匂いはしなかったし、洲本神父だったワケだし。背後を見せた瞬間にバッサリとやられましたよ」
右肩から左腰へと、手を下ろす。
そういう風に斬られましたと示すように。
「目的はなんだったんだろう。単にお前を斬りたかっただけじゃないだろう?」
「あの人、俺が動かなくなったのを見て、あそこを物色してたッス。ほら、事件の資料がある部屋。ただの資料室なのに」
事務所には施錠された資料室がある。岩座守の言う部屋は間違いなくその部屋だろう。施錠された――とはいえ、それは物理的な施錠。鍵穴を破壊してしまえば、侵入は容易だ。だけど、盗人なんかはまず(結界によって)侵入するのが困難だから、それで十分すぎるセキュリティなはずなんだけれど、堂々と玄関から侵入されてしまってはな。
そこにはかつて、俺たちや巴さんが解決してきた怪異事件の記録がある。行政から仕事委託された場合、最終的にその事件の記録を文字として残すからだ。記録は、仲介である男にも手渡され、それを元に仲介役と行政は事件の隠蔽や説明をする。
怪異や魔術、その他超常現象を認知している人間はごく僅か。日本国民の一%にも満たない。無知な国民にその全てを語り明かすのは魔術師達の間で禁忌。絶対にやってはいけない行為だ。そのため、辻褄合わせの情報は極めて重要となる。苦手なレポートを事件の終わりに記録するのも、立派な仕事。
その記録のコピーが、資料室にあった。デジタル化が進む現代、いちいち紙にしなくてもいいと思うのだけれど、なんでも、紙が媒体として一番長生きするから、そうして残しておくらしい。
「その資料室に入った? なにか欲しいものがあったのか?」
「解体殺人の記録、とか」
幽志朗が顎に手を当ててそう言った。
「確かにそれなら、納得だけど。どうして神父がそんなものを欲しがる?」
被害者家族は事件の真相を知らない。それは神父も同じはず。俺たちがこうして記録に残している事すら、知りえないはずだが、彼は迷わず資料室へ侵入した。
それは何故だ?
「洲本神父――――」
いつも通り、デスクチェアに座りながら巴さんは呟いた。
冷静ではあれど、どこか焦っているような面持ちだ。
「…………あの人が魔術師だったのか」
魔術師や怪異というのは、同業者ならばすぐに見分けられる。そういう特徴や雰囲気があるのだ。けれど、あの人からそういう気配はしなかった。新興宗教の神父というポジションではあるが、それ以上でもそれ以下でもない。
そのはずだが、洲本神父は岩座守を襲撃し、事務所へ侵入した。んな事できるのは同じ魔術師くらいだ。どこかで見落としがあったと見るべきなのだろう。
「いや、魔術師ではない」
首を傾げたし、岩座守はその事をすぐに否定した。
「いや、間違いなくそういう類いッスよ、あの男。俺は黒く染まった日本刀で胴体をスパンと、やられたんスから」
「黒い、日本刀だと?」
巴さんは、今までにないくらい目を丸くする。殺気すら感じるような、怒気を孕んだ声で。
「不思議な武器だね。そんな得物を持っていたら、結界は異端者だとしてすぐに弾こうとするはずだ」
包帯を巻き終えた幽志朗は、額につたう汗をぬぐう。
「何もない所から、急に出たんス。武器召喚って言うのかな?」
「――――は。まさかな」
一笑すると、師匠は煙草に火をつけた。
「巴さん。一応けが人がいるのですが」
幽志朗が呆れたように漏らす。
「あぁ、すまない」
動揺したように、煙草の先端を潰す。灰皿の灰に浸かるようにして、新品同様の一本は捨てられた。
「師匠、こうなった以上俺は神父をぶっ潰す気でいるぜ」
岩座守が攻撃された。日本刀でスパッと胴体を斬った以上、それは敵意であり、悪意であり、殺意だ。
言い逃れはできない。俺たちが警戒していた新興宗教は、向こうからその正体を現して、先制攻撃を仕掛けてきた。ならばこちら側がやることは一つ。
報復である。
完膚なきにまで叩きのめし、あの宗教を否定する。それが俺の、今回の役割……。
「いや、やめておけテンカワ。今回は半端な気持ちでやり合うと死ぬ」
「――――何故そう言えますか」
巴さんは黙り込んだ。
「成程。神父の使った黒い日本刀。巴さんはかつてそれを見たことがあるのですね」
幽志朗は師匠の目を見て、心象を読み上げる。
「解体殺人を引き起こした殺人鬼も、黒い日本刀を使っていた。そして、その殺人鬼は顔を変える事ができた…………万が一に生存していれば、洲本神父に化けることだって可能だと」
ああそうだ。その話はついさっき蒼さんからも聞いた――――。
「勝手に視るな、俺の心を。まだ確定事項じゃないから口にしなかったってのに」
うんざりした顔でため息をつく。
「は? じゃあ殺人鬼が生きていたんスか…………?」
岩座守は思わず起き上がって驚くと、悲鳴を上げてまた横になった。
「確かに殺したはずだがな。随分昔の事だがよく覚えているぜ? だってあれは、俺にとって最初の殺人だったからな」
「因縁があるわけですね」
「勿論」
俺の問いに、彼はすぐ頷いた。
知っている。それもついさっき聞いたとも。
死の衝動を持つ貴方は、その殺人鬼を否定せずにはいられなかった。肯定することはつまり、自己の在り方を更に歪めてしまうから。
殺気に満ちたオーラ。巴さんは隠しているつもりでも漏れ出している。一室の雰囲気は、師匠に押され、しんと静まり返った。
幽志朗は思わず後ずさる。その行動を隠すように、すぐソファに沈み込んだけど、アイツは間違いなく、巴さんのドス黒い何かを視てしまったのだろう。
「じゃあ、師匠が自ら出陣しますか?」
問いに、しばらく間が。ちらちらと目線を動かして思考を巡らせているようだ。
「…………あぁ、そうだな。そうしよう」
まるで心の中で複数人によるミーティングでも開いて、良い案が閃いたぞ! というようなイントネーションでそう言った。
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