第4話 ティータイム

 次の日。俺は、師匠には内緒にしてある人の元を訪れていた。

 午後のティータイム。タワーマンションの最上階で、女性に先日の件を口にした。


「倉井戸香夜と海上寺? あら、あの人そんな偽名を使ったの」

 

 目の前の、巴さんの奥さんはくすりと笑う。

 出された紅茶には手をつけず、緊張しっぱなしの俺。巴さんの自宅を訪問するのは、これが初めてじゃない。けれど、奥さんと面と向かって話すのはこれが初めてで、なんだか変な汗が噴き出していた。


 螺旋らせんあお。それが奥さんの名前。

 礼服のような黒い服装。艶のある綺麗な長髪。大変大人びた、立ち居振る舞い。まるで高次の存在と対話しているように感じるほど、彼女は達観していて、心の奥底まで見透かされている気分になる。実際、幽志朗はそういうのが分かる人だし、この人もそういう力があってもおかしくはなかった。

 巴さんが老け込んでいるだけかもしれないけれど、彼と同年齢だとはとうてい思えない。

 深窓の令嬢。そういう言葉が似合う人だった。


 ふるふると震えている体。悟られまいと平然を装いながら話をする。

 俺が巴さんの家を訪れた理由は至極単純な話で、あの人の過去について深く知りたかったからだ。主に、解体殺人の頃の話について。

 あの事件は巴さんがまだ学生だった頃に起きた事件。本人から聞けないような話は、同級生で、高校時代からの縁があるこの人に聞くのが妥当だと思った。他にも、事情を知っていそうな人はいるが、口が堅いし、なにより忙しそう。お昼に訪ねて、迎え入れてくれそうな人は彼女しかいなかった。主婦とて暇なわけではないと思うが、こうしてお茶まで用意してくれたのだから、今は手が空いていたということでしょう。娘さんも今は授業中だし。


「偽名、何かおかしいんですか?」


「少し懐かしい名前だなと思ってね。二人とも故人なのよ」


「なーるほど」


 海上寺に倉井戸。珍しい名前だろう。偽名を使うなら、もっとまともなものがあったろうに。と、思っていたワケだが早速疑問が解消された。

 知人の名前ならば、偽名に利用しても不思議ではない。慌てて浮かべたような名であるなら、尚更。


「それで、天河くん。君はもっと他の事が話したいのでしょう? 巴くんの職場での振る舞いはよく分かったから、本題に移りましょうか」


 巴くん――か。なんか不思議。こういう場合、夫や旦那と呼ぶのが自然だと思うんだけど、奥様は夫を「くん」付けで呼んだ。

 本題に入る前、蒼さんとは師匠の話で盛り上がった。

 職場、つまりはあの事務所で、あの人は一体どんな立ち居振る舞いをしているのか。それが前々から気になっていたようで、俺の話す螺旋巴を、楽しそうに聞かれていた。

 今調査している話へと持ってくるまでに、二十分ほど職場での様子を語り明かしたくらいだ。だがそれも、これでようやく終わる。聞きたくて聞きたくて仕方なかった話を、口にしてよいと言われたのだから、俺は早速本題を出す。


「鋼戸天井崩落事故――って知っていますか?」


 夫がそういう事件を相手に仕事をしているものだから、怪異の話とかは熟知していると思うけど、万が一という場合がある。本当の名前ではなくて、社会に流通している方の名前を口にした。

 師匠からはその辺キツく指導されているのだ。

 「一度怪異に出逢ってしまえば/知ってしまえば縁ができる」みたいな事を、あの人はよく口にする。それも呪文のように。

 怪異も知らない人間に、明かしてはならない。超常を軽々しく口にしてはならない理由だ。

 関係性を持ってしまえば、それだけで怪異と出逢う確率はびくんと跳ね上がるから。

 だが、そんな配慮は無駄骨だった。

 彼女が迷うことなく、もう一つの名で事故を呼称したからだ。


「解体殺人、ね。今でもよく覚えているわ。あの事件はそれほどに酷かった」


「変な質問ですけど――――どこまでご存知で?」


 彼女は首を傾げた。


「全部? 夫婦に隠しごととか、ないでしょう?」


 その言葉に胸をなで下ろす。よかったよかった。何も知りませんなんて言われたら、師匠にぶち殺されるカウントダウンが始まっていたぜ。

 勿論、そういう可能性はないに等しい。だからこうしてここに来たのだが、明言されるとホッとするものだ。


「知ってることを、教えてもらえませんか?」


 彼女は少し訝しんだけれど、弟子の頼みならば。と、話してくれた。


「解体殺人。それを引き起こした殺人鬼は私たちと同じ高校に通っていた。つまり、君の師匠と同じ高校というわけね。…………精神超越の話は聞いている?」


「はい。あの事件は、切手型の薬品LSDによって街の連中が精神超越したと聞きました」


 解体殺人は、殺人鬼によって引き起こされた殺戮だ。でも、たった一人で地下道にいた二百余名を、逃がすことなく殺すのは不可能だ。

 殺人鬼が不可能を可能にした理由。それが精神超越。

 当時この街に潜んでいたある男。そいつはどういう思考回路をしていたのか、切手型麻薬を街に流通させた。

 もちろん、ただの麻薬ではない。魔術的にも特殊な性能を帯びた、麻薬だ。それを服用した者は、強引に第六感が拡張され、人間として進化する。効果として特殊能力に目覚めた者もいたが、大半は廃人と化した。

 そんなLSDを使用し、中でも顕著に才能を開花させ、最悪のパターンとして成長した男がいる。それが殺人鬼の正体であり、解体殺人が引き起こった原因だ。


「しかし、同じ高校だったとは。つまり、殺人鬼は学生でありながら殺人に手を染めたと?」


「そうなるわね。解体殺人――なんて呼ばれているのだから、バラバラにして殺すほどの凶悪性もあった。もっとも、他にもそう呼称される理由はあったわけだけど」


「それってなんです?」


「――――理解できないでしょうけど、想像できないでしょうけど。あの殺人鬼は自分の四肢や臓器を切り落とし、他者のものと交換していたの。まるで、フランケンシュタインの怪物のように」


「…………精神超越していたのなら、できなくもない話です」


 待てよ? それなら昨日、巴さんが洲本神父に感じていた違和感ってまさか。

 全身の毛がぞぞと逆立つ。

 思わず黙り込んでしまったけれど、蒼さんは続ける。


「ただの非行少年だった子供は、精神超越によって殺人鬼へと変貌した。けれど、彼も被害者ってわけじゃなかった。殺人鬼は、自ら望んで殺人を行っていたの」


 カマキリ男とは違うということか。

 あの男は暴走の結果、人を殺した。その分同情の余地があるし、もしも法的に裁く可能性があれば、そういった点は考慮されるだろう。

 が、しかし。かつて巴さんが戦った殺人鬼はそうじゃなかった。精神超越すらも我が物とし、歪んだ欲望さつじんに手を染めたというわけだ。


「巴くん、そういうのは絶対に許せない質でね。同じように、死に執着していたからこそ、同族嫌悪のように殺人鬼を目の敵にした」


「同族嫌悪? 巴さんが殺人鬼と一緒だと?」


 あ、やべ。

 思わず口元を隠したが、奥さんは微笑んだ。


「一緒。なのでしょうね。本質は一緒。欲望も一緒。でも、巴くんはああなれなかった。理不尽に人を殺してまわるなんて、あの人にはできない」


「その――――あの人の死の衝動って」


「同胞の怨念、狭い世界で見た一時の絶望と、その残滓…………あの人はそうも口にしていた。要は、幼い頃の経験が影響しているの。高校の頃の巴くんは、ずっとそういうものに葛藤していたわ」


 つまり――――なんだ? 子供の頃に性格が歪んじまったってことでいいのか?

 過去に思いを馳せるように、彼女は目を逸らす。けれど、それは一秒も持たなかった。現代へ魂が戻ってきたようにハッとして、ティーを口にする。


「ま、今は上手く付き合っているみたいよ。彼の死の衝動はどんなことをしても、なくならなかったけれど、それでもね」


「そうですか」


 先日の幽志朗の発言が嘘ではない事が証明されましたと。


「どう? 疑問は払拭された?」


 奥さんは、俺のようなタイプの来客が久しかったらしく、興味津々である。


「ねぇねぇ。なんでも、呪いとか弾いちゃうんだって?」


「物理的なものは無効化できませんが、精神的に干渉してくるようなタイプは一応」


 えへへ。と、照れながら紅茶に手を伸ばそうとして時。ズボンのポケットに入れていたスマホがバイブする。液晶には螺旋巴の文字。


「やべ。バレたか」


 恐る恐る、スマホを耳に当てる。


「もしもし…………」


『テンカワ。お前今どこにいる?』


「ええと、それは――――」


『まずいことになった。鷹彦がやられた』


 その声音は、師匠らしくなくて、いつもより焦っていた。


「わかりました。すぐに向かいます」


『場所は事務所だ。まさか堂々と侵入されるとは』


「すみません、今日はこれで!」


 蒼さんは落ち着いた面持ちで頷いた。


「気をつけてね」


「はい!」


 ということで、午後のティータイムは終了。俺は慌ててマンションを飛び出した。

 殺人鬼の復活という、最悪のシナリオを浮かべながら。

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