第5話 二組の秘話

群集心理の理論によると、無作為に拡散していく「感染説」と潜在的な同一性が顕在化していく「収斂説」が主なものとして分類されるが、一つだけ言えることは渦中にある時は全く意識していないことである。


今更、自己弁護かと鼻白むであろうことを敢えて承知しているが、私の立場は一貫として彼を支持しており、プライベート・バンキング管理部及び事業法人営業部に至っては内部告発でさえなく、あくまでも管理職及び内部管理責任者への確認であり、法令違反若しくは不適切行為への疑念に対して、真摯に向き合うべきであるにも関わらず、事もあろうに隠蔽し人事権を行使することは言語道断であり、公益通報者保護法に抵触する恐れがあると考えている。


かてて加えて、彼と私には前述した以外にもひとかたならぬ因縁で繋がっており、集中配属でX常務の薫陶を受けた彼とは裏腹に私の課長は一昔前の株屋を体現しており、新人に対しても「一人一件、信用口座開設」や「溜め込み(大量推奨販売)による株手(株式手数料)の拡大」を強制的に目標とさせる等で意見が対立しており、精神的に参ってしまっており、彼に退社意向を伝えるべく久しぶりに電話したのだった。


彼は、「よくよく考えたことやろうから、引き留めはしないけど、来週末にアナリスト試験対策講座で大阪に帰省するから、今からでも申し込んで土曜日に一緒に食事しよう」と電話を切ってしまったので、不承不承ながら参加申し込みだけ済ませておいた。


土曜日の朝に会場に到着すると彼が、「おい、此処だよ」と手を挙げて呼んであり、一番前なので嫌だったが取り敢えず行ってみるとX常務(当時は課長だが、私の回想はお許し下さい)と新人六人が一番前を占領していたので、仕方なく一緒に受講したが、講義内容は難しすぎて理解出来なかった。


講義終了後、X常務が、「折角やから、Y君も一緒に飯食って帰ろう」と誘ってくれ、最初は緊張したが、和気藹々とした雰囲気に馴染み、X常務の語る「これからの証券マンのあるべき姿」に心酔してしまい、名古屋の新人との紐帯を羨ましく思うと共に一員のような気分にさえなった。


深酒の影響もあり、翌日は一番後方での受講となったが、それ以降もアナリスト試験対策講座が心の支えとなり、課長に提案した(X常務受け売りの)MMF(短期公社債投資信託)での資金導入も「時間の無駄」と一蹴されても問題なく、最大の試練を乗り越えることが出来た。


二年目になり、社員組合に若手の意見を反映させるべく、若手代議員が任命されることになり、名古屋支店を代表して彼が選出されて、後に粉飾決算で辞任する元社長(当時は常務)とB元常務(当時はリテール事業推進部長)が臨席する会議に参加することになった。


突然、面識のないN執行役(当時は札幌支店新人課長)から「AFP(FP協会)の年会費が個人負担なので、FP技能士(銀行協会、後に国家資格)へ移行すべきと思う」と連絡があり、入社年次の浅い時代に特有の金欠には悩まされていたので大阪支店の代表とは反目していたので、彼に伝えてしまった。


結論から述べると、C専務(当時は債券部長)の意向を受けたN執行役員が、B元常務へ牽制する目的で仕掛けた質問であり、彼は直球で「努力した者が損をするのでは報われない」と発言し、元社長が「自己研鑽を負担と考えるのは心外である」と不機嫌に回答したのに、空気を読めない彼は「FP技能士への移行も手段である」と言い放って、経営方針としてFP協会と協力関係を構築していた経営陣に悪名を轟かせる最悪の結果になってしまった。


このような経緯をX常務に伝え、緊急会議で決まった私の任務を果たすことは道義的にも心情的にも不可能であると固辞した。


「Wのことをよく考えてくれることは、正直に言って感謝しているけど、だから辞退するというのは同意出来ない」とX常務は言って、Z副部長は役職以上の威光を持っていることも承知しているが、M副部長の過失であって、Wは過激であるが、主張は至って正論であり、企業情報部での対立も感謝されるべきであり、逆恨みも甚だしいと理路整然と語り、「公益法人部の時は、Yに相談していたのに、今回はM副部長に連絡したんや」と語気を強めた。


「私が信頼されてなかったからです」と答えると「違う、(公益法人部の時は)尾行していた卑怯な自分への懺悔で相談したが、(今回は)自分で解決出来ると考え、巻き込みたくなかったんや」矢継ぎ早に「なんで人事異動の時に連絡せぇへんかったんや」と詰問され、「忙しさに感けて、忘れてしまいました」と項垂れて答えると「えぇか、忙しいも忘れるも心を横か縦に亡くしているからや」と諭し、彼に纏わる余話を断片的に語り出したのだった。


彼は他の誰よりも名古屋支店営業第五課の五箇条を体現しており、「プロの証券マン」として相応しくない「株屋気質」に対して極端な嫌悪感を隠さないので、普段は個室で二人だけになって話を聞くようにしていたが、偶に暴発して、周囲と軋轢を起こして困惑させられた。


具体的には、役員が臨店した際に彼の社章が紛失し、当時の社章は入社年次が刻印されていたので、「この中に泥棒がいるから、全員を確認して下さい」と喚き、各課で調査することになり、一応解決こそしたが恨まれる要因になったこと、イメージ・キャラクターであるメジャーリーガーのノベルティグッズがお客様でなく、夜の街に供給されていることを「レピュテーションリスク(悪評が立つ可能性)がある立派な業務上横領」糾弾し、配布先を記載することを必須にする提言も正論ではあるが、事前の根回しを全くしないので、孤立してしまった。


彼は白と黒を曖昧にすることが出来ず、人間関係を考慮することも苦手、況や立場を忖度すること等不可能な所謂空気を読むことが出来ない人であり、次のエピソードが駄目押しとなってしまった。


X常務と名古屋時代の部下は新年会を兼ねて顔合わせをすることが定例となっており、執行役となった年に二次会からスペシャルゲストと称してA専務(当時は常務)が参加すると宣言すると彼が「名古屋と関係の無い人を参加させる必要はないし、事前に相談すべきだ」と猛烈に反発し、周囲が宥めて落ち着かせたが、一部始終を見られていたことによって、翌年以降は声が掛からなくなった(X常務としても庇い切れなくなった)のだ。


伏線として、シンクタンク在籍時に「我に秘策あり」の題名で彼から後述の提言を受けて、過去の部下よりも現在の部下が大切という信念は揺るがないので、彼のことを疎ましく思っていたので、リテール業務統括本部長であると共にX常務にとって新人時代の先輩であるB元常務(当時は常務)を紹介したのであった。


「我に秘策あり」シンクタンク(本来は日付管理であるが部署名、またはミドル・バック業務の場合はフロント部門を記載で統一)


シンクタンクにて投資信託の分析と機関投資家向けの債券管理システムの開発補助を担当していますが、債券管理システムは最大手にも負けない仕組債及び投資信託も包括出来る強みとなっているので、簡易版でも結構なのでリテール部門にも解放すべきです。


また、投資の基本は長期分散投資に勝る手法は無いと確信しているので、インデックス型の低費用且つ乗り換え手数料無料として、日本市場に対する超過収益を成功報酬として受け取る仕組みを構築すべきです。


この提言に関しては、B元常務により換骨奪胎され、またぞろ敵を作るだけになってしまったのだが、皮肉にも事情を知らない者からは節操のない裏切り者として烙印を押される結果となってしまった。


このような経緯で疎遠になっていたが、前回の会合以降は異動後数か月過ぎると「我に秘策あり」というメールが届き、相変わらず上から目線であり、部外者でもあるので、あまり気に掛けていなかったが、最近になって再度目を通すと的を射た提案であることに気が付いたと言って印刷物を見せてくれた。


「我に秘策あり」企業情報部


日本の株式市場は雨後の筍のように上場させるだけで、実際にファイナンスが実施される企業は極めて少数であり、世界的に見て投資環境が劣悪であり、海外機関投資家によってディスカウントされています。


新規上場やクロスボーダーが花形で優先されていますが、国際会計基準による四半期決算で長期的なイノベーション(技術革新)投資が出来ない悪循環となっています。


証券会社として求められることは、国際企業として活躍する企業と内需専門の企業を選別し、異なる上場基準を設けると共に非上場化や傘下となることも選択肢として事業承継及び株式移転として営業店一丸となって邁進すべきです。


「我に秘策あり」公益法人部


銀行紹介による仕組債販売が主力となっていますが、ゼロ金利下の苦肉の策であり、資産の一部だけに留まり、グループ全体で超長期国債と国庫短期証券の長短二元ポートフォリオによる提案を主力として、仕組債販売は必要利回りを実現する為の副次的な資産とすべきです。


地方公共団体等のアセット・ライアビリティ(資産及び負債)を把握して、最適な提案をしなければ、すでに重荷となっている指定金融機関制度の崩壊を招くと考えます。


「我に秘策あり」事業法人営業部


銀行主導で貸し付け若しくはサービスの提供の対価としての商品購入は、コンプライアンスの観点だけでなく、ビジネス・モデルとして破綻していると断言します。


スチュワードシップコード(機関投資家が守るべき行動規範)とコーポレートガバナンスコード(上場企業が守るべき行動規範)によって持ち合い解消が加速するので、以前にも指摘した通り、企業情報部及び営業店が一丸となって、望ましい株主構成の実現を助言することが不可欠と考えます。


「我に秘策あり」プライベート・バンキング部


富裕層に対しては商品ありきでなく、事業承継や保有資産の有効活動等のソリューション(解決策)が最重要となります。


銀行主導の下請け的な立場でなく、斜陽産業である銀証連携でなく、社会的な問題を投資銀行の先進的な手法を取り入れた証銀連携となるべきです。


少子高齢化や地方活性化等の問題に資する提案を地方の富裕層に働きかけ実現することが責務であり、親会社銀行主導で仕組債販売に甘んじていては存在意義がありません。


提言を読み終えて、「X常務、教えて下さい、外資系傘下となり、彼から分社化に絡む転籍希望の打診はありましたか」と尋ねると「時期尚早だと説明をしたので、本人も納得しているはずだ」と自分に言い聞かせるように搾り出した。


二人一緒に転籍を検討していたのに、一転「X課長が理想の会社にしてくれるから、一緒に残留しよう」と説得されたこと、同期の殆どが数か月で自然消滅したのに、二年半続いた営業日誌には公私含めて丁寧に助言がされており、アナリスト試験対策講座の機会に恥ずかしそうに見せてくれたことをX常務に話すと「逃がした魚の大きさを悔やんでも仕方が無いので、善後策を練っていくしかないやろ」と強張った表情で一喝した。


普段の私であれば、怯んで何も言えないのだが、あふれる感情を抑えることが出来ず、遠距離恋愛であった彼の元妻、名古屋支店で唯一退社した同期とB元常務から伝え聞いたことにも言及し、私が少なからず関与していたことについても吐露すると「お互いに傷付くだけや」と終了を宣言した。


これらの提言を検討もせず、直属の上司に相談すべき内容ですと紋切り型に返信を行うのでなく、せめて私に転送してくれていたなら、別の展開があったと考えても、埒が明かないのだが、彼と私、彼とX常務の単線であったことが重ね重ね口惜しい結果となってしまった。


常人がシリウス、カノープス、リゲル、ケンタウロス等の一等星に比してA専務、B元常務、C専務やX常務の一挙手一投足を注視しているのに対し、彼の頭の中は、金融機関のあるべき姿理想という名のポラリス(北極星)を見続けているので銀行という名の太陽の出現にも落ち着いていられるのだろう。


今後、彼が上司とメール送信する場合、私をCC(カーボンコピー)でX常務をBCC(ブラインドカーボンコピー)とする方針とすること、事実上の死刑執行人を装いながらも極力回避する方策を模索していくことで意見が一致した。


次回の人事異動で、通常は支店長経験者が従事する人事部の副部長(彼を含めた所謂札付き社員数名の専任担当)に私は就任し、Z副部長からは「私情を交えることで、道を誤って会社に弓を引くような馬鹿な真似は決して考えない」ように念押しされ、大阪には受け入れ部署が最早無かった彼は法人業務部に配属されることになった。


M副部長が、不用意に漏らしたグループ子会社証券会社との経営統合について全容を確認するに及んで、改めて彼の指摘が的確であり、負ののれんが発生することはシミュレーションからも明白であったが、鬼軍曹が社長就任した部店長会議及び中期経営計画で「本邦ナンバーワン」と大々的に宣言(外部向けプレスリリースの段階では「圧倒的第二位」に下方修正)された。


X常務と私の心配を余所に、彼は何の前触れもなく実質的な宣戦布告をしてしまった。


社長への提言(量より質)


部店長会議の動画を閲覧しましたが、第一声で「メモしろ、これまでのように甘く考えるなよ」と恫喝されましたが、前任者である会長への非礼及び部店長に対する失敬は非常に残念でした。


本邦ナンバーワンや圧倒的第二位といった量を競うのでなく、顧客及び従業員の満足度の向上を優先すべきです。

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