第22話
こうして僕と梨乃の創作は始まった。
電話を掛けた約四時間後。
お願いしていた通り、傑は僕の家までミリペンを届けにやって来た。どうやら飯もろくに食わず、超特急で東北道を走り抜けて来たらしい。
ちなみに速度超過はしていない。誓って。
「光さ、しばらく見ないうちに変わったな」
「そうか?」
「ああ。前よりもずっとカッコよくなった」
傑に言われると皮肉にも聞こえなくはないけど、奴のことだから純粋にそう思って言ってくれているのだろう。まあ、それが逆に腹立たしくもあるのだけど。
「とりあえず、頑張れよ。俺、光のこと応援してっから」
「ああ、サンキュな」
その言葉を最後に、傑はレガシーを走らせた。
現在時刻は午後十時。傑が家に着くのは、おそらく深夜二時とかそのくらいになる。それでいて明日は朝から仕事。それなのにここまでしてくれる人は、そうそういない。
「こりゃいいキャバクラ連れて行かないとな」
僕は行かないけど、と、心の中で付け足して、僕はアパートの自分の部屋に戻る。
居間に戻って早速腰かけたデスク。
その上にあったタブレットを退かし、僕は傑から預かった画材を広げた。祖父が使っていた下敷き、そこに帰りに買った原稿用紙を広げて、鉛筆による下書きから感覚を確かめる。
アナログによる作画は五年ぶり、それでも昔の感覚が残っているのか、思っていた以上に違和感のないまま線を描けた。それはミリペンでのペン入れも同様。
「不思議だな、こんなにも手に馴染んでるなんて」
◇
その二日後。梨乃が無事に退院となった。
病院まで迎えに行った僕は、そのまま梨乃の家まで同行。相瀬が書いていたというネームを預かり、急ぎ足で家まで戻った。
まさか相瀬が書いた物語をもう一度読めると思っていなかったから、ページを捲る時のワクワクは、過去にも類を見ないほどだったと思う。
「相瀬らしいな……」
最後のページを読んだ僕の感想はそれだった。
果たしてこの続きを梨乃がどう仕上げてくるのか。それを楽しみに待ちながらも、僕は早速ネームの下書きに取り掛かる。
◇
ここからは怒涛の日々が続いた。
以前同様に、僕は寝る時間とバイトを除いたほとんどの時間を創作に捧げた。何なら睡眠は大学の授業で済ませ、食事だって一日一食が当たり前になっていた。
締め切りがあるとか、そういうわけじゃない。早くこの漫画を完成させたいという想いが、僕のやる気を底上げしていたのだ。
それは多分、梨乃も同じ。
バイトで彼女と顔を合わせると、向こうもかなりくたびれた顔をしていた。目の下のクマは凄いし、あれだけ力を入れていたはずの化粧も雑。まだ垢ぬけていない、中学生の梨乃を思い出したくらいだ。
正直に言うと、めちゃくちゃにきつかった。
締め切りもないのに何やってるんだ……なんて思ったりもした。
それでも漫画を描く手を止めなかったのは、僕がそれだけこの漫画に懸けていたからなんだと思う。相瀬と紡いできた全ての時を、漫画という形で世に残したいと思った。
辛いはずなのにやけに楽しくて、気づけば次のページに取り掛かっている。
でもそれ以上に梨乃がネームを仕上げる速さが凄くて、つい才能の有無に悩まされていた、あの時のことを思い出してしまったりもして。
とにかく、楽しい。
これが疲れをも凌駕する僕の漫画に対する愛だった。
◇
始めて十日ほどで完結までのネームがあがった。
「私に何かできることない?」
最後のネームを直接僕の家まで届けに来た梨乃は、開口一番にそう言った。
シナリオ担当である梨乃の役目は終わり。本当は疲れているはずなのに、それでも作品の為に何かをしたいというその姿は、漫画が大好きだったあの頃の梨乃に重なった。
「じゃあ、ペン入れ以降の作業を頼む」
だから僕は、そんな彼女を頼ることに決めた。
「うわっ、ベタとかトーンとかだよね。懐かしいなぁ」
「わからないところは、その都度聞いてくれればいいから」
「わかった。頑張る」
下書きからペン入れまでを僕がやって、その後の作業を梨乃が引き継ぐ。作業を分担したことによって、完成原稿の生まれる速度は段違いに向上した。
とはいえ、下書きとペン入れが序盤にして一番の山場。それ以降の作業に比べて繊細さが必要とされるため、梨乃を暇にしてしまうことがほとんどだった。
僕的には休んでくれていて構わなかったのだけれど、梨乃がじっとしていることはなく。暇な時間を使って部屋の掃除や洗濯、そして食事の用意すらも請け負ってくれた。
別に僕が頼んだわけじゃない。
全ては最高の漫画に仕上げたいという想いからの、自発的な行動だった。
「美味い……」
「ならよかった。筑前煮、好きだもんね」
久しぶりに人が作った温かい料理を食べた気がする。
梨乃はもともと家庭的なタイプだから、掃除や洗濯の手際はもちろんのこと、料理の腕もさすがだった。
数週間にも及ぶ作業の中で、たくさんの梨乃の手料理を食べたけど、その中でも一番美味しかったのは、僕の大好物である筑前煮。その味付けが好みすぎて、ついお酒に手を出してしまいそうになったけど、今は酔っ払っている場合ではない。
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