第23話

 創作を始めてから三週間。

 ようやく原稿が完成した。


「はぁ……やっと終わったね」


「ああ……」


 力尽きるように椅子にもたれかかった僕からは、疲労に似合った声が漏れる。


「ていうか梨乃」


「んー」


「なんか君、日に日にダサくなってないか?」


「……っ‼」


 テーブルに突っ伏している梨乃に言えば、伏せていた身体をピクリと弾ませた。そして弱点を突かれた猫のように飛び起きると、


「今それ言う⁉」


 テーブルをトンと叩き、頬を赤らめ僕を睨んだ。


「完成して一言目がそれなの⁉」


「わるい」


「そりゃこれだけ漫画に没頭してたら、オシャレするのもめんどくさくなるよ!」


 確かに、ここまでの僕らに漫画以外の頭はなかった。


 人のこと言うけど、僕だって髭をしばらく剃っていないし。梨乃に関しては、最初こそ最低限のオシャレはしていたようだけど、今となっては上下青のジャージ。コンタクトではなく黒淵眼鏡なところが、中学時代の芋くさい梨乃を連想させる。


「なんか、梨乃らしいな」


「どういう意味よ、それ」


 笑い混じりに言えば、梨乃は不満げに頬を膨らませる。

 僕はそんな幼馴染を横目に、グッと上に伸びをした。


「で、どうする。この原稿、編集部に持ち込んでみる?」


「ああ、また夜谷さんにお願いするつもりではいる」


 僕は身体ごと椅子をくるりと梨乃の方へと向けて、


「その前に一つ、やりたいことがあってさ」


「やりたいこと?」


 あらかじめ手元に置いていた茶封筒を掲げて見せる。

 取り出したのは、以前にデジタルで完成させた梨乃との漫画だ。


「これ、私がネームを描いた作品」


「迷ったんだけどさ。やっぱりこれも一から描き直そうと思う。そして今日完成したこの作品と一緒に編集部に持ち込む」


「一から⁉ でもそれ、凄くよくできてるじゃん」


「そりゃ手は抜いてないからな」


 なら――と、続く梨乃の言葉を上書きするように僕は言う。


「でも、これじゃダメなんだ」


「ダメって……どういうこと?」


「今回久しぶりにミリペンを使って思った。やっぱり僕の絵はデジタルじゃない。こいつで描かないとリアルじゃないんだよ」


 今どきこんなことにこだわる人間も、珍しいのかもしれないけど。僕の絵を百パーセントの形で出力するためには、どうしてもアナログ式でないとダメなのだ。


「相瀬は、間宮光と相瀬梨乃が描いたハッピーエンドが見たいって言ってた。その願いに、僕はできる限りの僕で応えたい」


 とはいえ、今から百ページの原稿を一から描き直すとなれば、膨大な時間が掛かる。


 ひと月、下手したらふた月以上。

 今回は梨乃のフォローもあったから、短期間で完成までたどり着いたけど、それでも体力的には限界ギリギリ。


「だからもう少しだけ待ってほしい。僕がこの作品を完成させるその時まで」


 また手伝ってくれ、とは、当然言えない。

 なぜならこれは、単なる自己満足。アナログかデジタルかという些細な問題にこだわった、僕個人の問題だから。


「手伝ってくれてありがとう。ここからは僕一人で――」


 僕一人で何とかする。

 そう言いかけた僕は、梨乃の大きなため息を聞いて言葉を切った。


「ホント光って漫画のことになると無茶するよね」


 続けてパシパシッと、二回頬を叩いた梨乃は、


「よしっ、じゃあやろっか」


「えっ」


「引き続き仕上げは私がやるからさ。光は納得のいく作品つくってよ」


 当たり前のようにそんなことを言ったのだった。


「なーに面食らったような顔してるの。ああそう、頑張ってねーって、光に全てを押し付けて帰るとでも思った?」


「い、いや……」


 返す言葉が無く口ごもっていると、梨乃はどこか遠い目をしながら語る。


「私さ、今が凄く楽しいんだよね。そりゃオシャレして、色んな場所に出かけてたあの頃も楽しかったけど。こうして光と漫画を創ってるとさ、思い出すんだよね、色々と」


 梨乃は完成したばかりの原稿を見ながら続ける。


「『二人でじいちゃんみたいな漫画家になる!』って、あの時に掲げた夢は嘘じゃなかったんだって。今になって気づくことができた」


「梨乃……」


 すると梨乃は、その懐かしい顔に笑顔を浮かべた。


「だから光、描いてよ。もう一人の”ワタシ”が好きだった私たちの作品」


 とっくの昔に終わった夢なんだと、そう思っていた。

 でも、それは間違いで、僕が勝手に終わらせてしまっていただけだと知って――だから僕は、もう一度梨乃と向き合うことができたんだと思う。


 夢も、僕らの関係も、全ては相瀬がくれた可能性だ。彼女がいなかったら、きっと僕らの夢はそこで終わってしまっていただろう。


「ああ。彼女が驚くくらいの完璧なハッピーエンドにしてやる」


「うん。私もフォロー頑張るよ」


 今はもういない彼女に返せる物があるのだとするなら、それは一つしかない。




 こうして僕たちの物語は幕を上げた。

 授業やバイトの隙間に、死に物狂いで原稿を描くこと約一カ月。ついに、僕と梨乃の漫画――『終焉のギフテッド』が完成した。

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