第17話

 それから僕らはスカイツリーに登った。

 上京して結構経つけど、これは初めての経験だった。


 多分それは梨乃も同じ。それもあって僕らは、気まずい関係なのをすっかり忘れ、純粋に景色を楽しんでいた。


「予想以上に凄いな」


「うん、東京タワーがしょぼく見えるね」


「え? あれが東京タワー?」


「そうみたい」


 スカイツリーから見下ろすそれは、言ってしまえばただの赤い電波塔だった。子供の頃に思い描いていたそれとはまるで違う。夢を一つ壊されたような気分だ。


「光、小さい頃に言ってた。将来はじいちゃんみたいな凄い漫画家になって、東京タワーみたいなおっきな家を建てて楽しく暮らすんだって」


「いつの話だよそれ……」


 唐突な思い出話に僕は思わず眉を顰めた。

 おそらくは昔テレビでやってた、東京タワーを買い取るというふざけたドラマの影響だろう。それと家を結びつけるとは……我ながら思考が馬鹿すぎて恥ずかしい。


「今となってはスカイツリーがあるからね。それにビルなんかもだんだん高くなってるし。そのうち本当に東京タワーよりも大きな家を建てる人が現れるかも」


「仮にもそうなれば、その家を建てた人は子供時代の僕よりも馬鹿だな」


 そんな他愛もない昔話を交わしながら、僕らは展望デッキを一周した。そろそろ降りようかというところで『ゴチン』と、梨乃が正面のガラスに額をぶつけた。


「何やってんの」


「あ、ごめん。なんでもない……」


 ◇


 その後は梨乃の提案で、隣にあるすみだ水族館へ行くことになった。

 池袋にあるサンシャインに続き、梨乃と水族館に来るのはこれで二回目。だからだろうか。初めて来た場所のはずなのに、どこか懐かしいような感じがした。


「あのさ、光」


「ん」


 ペンギンの水槽の正面にある段差に腰かけた僕たち。

 しばらく続いていた沈黙を先に破ったのは梨乃だった。


「この間はごめん」


 呟かれたのは謝罪。

 僕は飼育員に群がるペンギンを見ながら言う。


「僕の方こそ、勝手に家に行ってわるかった」


 餌の魚を丸呑みするペンギン。

 梨乃もまた、そんな光景を眺めながら続く。


「私さ。光に振られたあの日、どうしていいか分からなくなって、凄く落ち込んで……周りが見えなくなってたんだと思う。それで交通事故に遭ってさ、気づいたらもう一人の”ワタシ”がいるんだもん。正直、凄く驚いた」


 梨乃は落ち着いた口調で続ける。


「しかももう一人の”ワタシ”は、別れたはずの光と仲よさげでさ。多分嫉妬してたんだよね私。もう一人の”ワタシ”のことも最初は嫌いだったし、私の身体で何好き勝手やってんだーって憤りもした。でもね、今はそこまで嫌ってないんだ」


 僕は初めて隣に座る梨乃を見た。

 その横顔はどこか儚げで、相瀬を思わせるような静けさがあった。


「今日のこと勝手に決めたり、何なんだろうね、もう一人の”ワタシ”」


「君にわからないなら、僕にわかるわけないだろ」


 相瀬は何のために僕らの前に現れたのか。何のために僕らに干渉するのか。考えれば考えるほど、真実から遠ざかっているような気さえする。


「ほんと、不思議な子だよね……」


 ポツリと梨乃が呟いた。

 その直後、僕の右肩にどこか懐かしい温もりが触れた。


「お、おい」


 遅れて届くシャンプーの柔らかな香り。

 慌てて横を見れば、梨乃は僕の肩にもたれかかってスースーと寝息を立てていた。


 わざと……とかではないようだった。

 どうやら梨乃は、会話の途中で寝てしまったらしい。


「はぁ……」


 僕は一つため息を吐いて、再びペンギンの水槽に視線を戻す。

 飼育員による餌やりは終わり、満足したペンギンたちが次々と水の中へ戻って行く。そんな様を眺めながら、僕は久方ぶりのこの感覚を独り静かに噛みしめたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る