第11話

 十月も終わりを迎え、季節は秋から冬へと移り変わろうとしていた。

 それでも僕は相も変わらず、空調の効いた休憩室にいる。


 次の授業までは一コマ分の空きがあるので、隙間時間に少しでもラストシーンを練りたい。とはいえ、手元にタブレットがないため、描いてるのは手書きでの簡単なイメージだけど。


「原稿、進んでいるかしら」


 主人公の様々なパターンの表情を描き出し、ああでもないこうでもないしていたところ、不意に背中から声を掛けられた。どうやら相瀬も授業が終わったところらしい。


「まあ、順調ではあるよ。あとはラストシーンを描くだけ」


「そう。完成するのが楽しみね」


 僕は一息ついて、向かい側に座った彼女を見る。


「納得いく仕上がりにしたい。だからもう少しだけ待ってほしい」


「もちろん。いつまででも」


 そう呟いた相瀬は、生協で買ったと思わしきお菓子の袋を開けた。


「今日のお昼もそれだけなのか」


「ええ、お昼はあまりお腹が空かないから」


「だとしてもお菓子だけって……しかもまたハッピー〇ーン」


「美味しいじゃない。ハッピー〇ーン」


 相瀬は透明な紙に包装されたそれを取り出しながら、


「それにこれは、あなたが教えてくれたワタシの好物よ」


 そんなことを言っては、バリバリッと小さめの一口でそれを食べた。

 ハッピー〇ーンに付いていた粉が、噛り付くと同時に容赦なく散布されたけど、あらかじめ敷かれていたティッシュにより無事受け止められる。


「やはり美味しいわね、これ」


 まさかここまで気に入るとは。梨乃の好物として相瀬に紹介したわけだけど、それでも昼食代わりにハッピー〇ーンを食べるなんてこと、元の彼女だってしなかった。


「一つ聞いてもいいかしら」


 元人格との差異を改めて実感していたところ、相瀬は食べる手を止め僕を見た。


「前々から気になっていたことなのだけど」


「なに」


「間宮くんは、今のワタシに消えてほしいとは思わないの?」


 それは平然と語るにはあまりに重い、僕にとっては触れたくない話題だった。


「元のワタシとあなたの関係が、あまり良好じゃなかったことはわかった。それでも相瀬梨乃はあなたの元恋人で幼馴染。そんな相手を失ったままで、あなたは平気なの?」


 よくもまあ、そんなことを涼しい顔で聞ける。

 確かに相瀬がいるということは、梨乃を失った状態と同じことだ。このままでいいかと聞かれたら、当然僕は首を横に振るんだと思う。


 でも、だからと言って。

 相瀬に消えてほしいかと言われたら、それはそれで違う。


「ごめん、わからない」


 梨乃を失うのか。それとも相瀬を失うのか。

 そのどちらを良しとするか。そんなの僕に決められるわけがない。


「そりゃ梨乃とは腐れ縁だし、別れたからと言って全てを無かったことになんて出来ない。でも、それと同じくらいに、今の君が消えてしまうのは……何というか、困る」


「困る?」


 首を傾げる相瀬。続いて脳裏に浮かんだ言葉に若干の照れ臭さを覚えた僕は、誤魔化すように止めていたペンを走らせた。


「原稿。完成前にいなくなられたら、僕は誰にあの漫画を見せればいいんだ」


「それもそうね。ワタシも間宮くんが仕上げた漫画を読んでみたいし」


 相瀬の声を頭のてっぺんで受け止め、僕は引き続き作画を続ける。これで会話は終わり。そう思っていた僕の視界の隅っこに、彼女の色白な手が伸びてきた。


「ハッピー〇ーン。よかったらどう?」


「あ、ああ」


 言われるがままに伏せていた顔を上げる。

 手渡しされるのかと思ったのだけど。なぜか包装を開いた彼女は――


「はい、口開けて」


「は……?」


 ハッピー〇ーンを僕の口元に近づけて来たのだ。

 さも当たり前かのような顔で。


「どうしたの?」


「どうしたのじゃない……なぜ君が食べさせようとしている……」


 さては僕をからかっているのだろうか。

 眉を細めて彼女を睨めば、表情一つ変えず相瀬は言った。


「間宮くん、今手がふさがっているでしょ?」


「そんなの、僕がペンを置けば解決――」


「いいから。口開けて」


 珍しく強引な相瀬の言葉に負け、つい口を開いてしまった。

 彼女の手によって、口へと運ばれるハッピー〇ーン。それを一口で頬張れば、口の中は癖になるような甘じょっぱさで満たされた。


「美味しい?」


「まあ、美味いけど」


「そう。ならよかった」


 シチュエーションの割には淡々とした会話が続く最中、僕は久しぶりに食べたハッピー〇ーンを味わう。そういや前にもこんなことがあったっけ……なんて、終わったはずの記憶を思い返しては、咀嚼した懐かしい味と共に胃の中へと流した。


 ◇


 納得のいくラストシーンが完成したのは、その翌日のことだった。

 僕は再度夜谷さんにお願いして、江原さんとのコンタクトを図った。確かな自信を胸に出版社へと持ち込んだそれは、ファ〇チキを貪るマッチョを大きく唸らせた。


「うん! 前よりずっとええよ!」


「ふぅ……それならよかったです」


「ちゃんと主人公になっとるなっとる!」


 ホッと胸を撫でおろす僕に対し、江原さんは半分ほど残っていたファ〇チキを豪快に頬張った。それをすかさずコーラで流し込んでは、


「どないする? これ次の会議に出してみよか?」


 そんな有難い提案をしてくれた。


「まあ、このテイストの漫画がうちで通るかは正直微妙やけど」


「ありがとうございます。でも、これはあくまで僕の自己満足なので」


 この漫画を描いた目的は、相瀬に見せるため。それと、僕が彼女の作品を漫画にしてみたかったから。


 久しぶりにやってみて思った。

 やっぱり漫画を描くのは楽しいって。


「色々と助けて頂いたのにすみません」


「ええよええよ。わいも久々に君の漫画読めて嬉しかったし」


 すると江原さんは、唇がテカテカのままニッと口角を上げた。


「またいつでも持ち込んでやぁ」


 こうして僕と相瀬の漫画が本当の意味で完成した。

 僕は出版社を出るなり『今から家に行くから』と相瀬にメッセージを飛ばした。


 一秒でも早く、彼女にこの原稿を届けたい。

 そんな自分勝手な感情に身を任せ、早足で向かった梨乃のアパート。数カ月ぶりに来たことによる緊張と、気に入ってもらえるだろうかという緊張。二つの緊張により浮足立っている僕は、意を決してインターフォンを押す。


 たった数秒のはずなのに永遠にも感じる沈黙。

 やがてガチャリと開かれた扉。

 その向こうに立つ彼女は――


「戻って来てくれたんだね、光……!」


 僕のことを”下の名前”で呼んだ。

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