第6話
大学生とは、常に金欠と戦うバイト戦士である。
先日の哲学の授業にて、偶然隣に座った男子学生が口にした言葉だ。
僕はそれを耳にした時、彼の意見に激しく同意したのと同時に、『学生』というものの在り方について、深く考えさせられることになった。
学生の本分は勉強。それは全くもって事実のはずなのに、僕が見る限りの学生は、知識を得るために設けられた授業にて居眠りをしている。大学のレベルが低いと言われればそれまでだけど、それでも僕は居眠りする彼らを悪だとは思わない。
なぜなら僕もバイト戦士の一人だから。
たった週三のシフトでもきついのに、これを毎日のように繰り返している学生がいると思うと、勉学に身が入らないことも納得だ。
卒業さえ出来れば御の字。
僕らレベルの学生なんて、その程度の小さい目標しか掲げないアルバイターなのだ。
◇
「おはようございます」
今日のシフトは開店の十六時からラスト二十四時まで。あまり気乗りしないままスタッフルームの扉を開けば、中には既に先輩である夜谷さんがいた。
「おはようございます。夜谷さん」
「あ、うん。おはよう」
部屋の端っこに置かれた机に向かいながら、横目で僕を見た夜谷さん。相変わらず髪がぼさぼさで、居酒屋スタッフとは思えないほど個性的な身なりだ。
「また締め切りに追われてるんですか」
「ま、まあね」
彼が今、必死になって取り組んでいるのは漫画の原稿。
というのも彼――
「自分の場合、締め切りに追われてない方が珍しいからね」
「大変なんですね、漫画家さんも」
夜谷影斗――ペンネーム『闇ノシャドウ』。某有名出版社にて『ミラード・インフィニティ』という少年漫画を連載している。
本来ならバイトなんてしなくとも生活できるくらいの売れっ子漫画家だけど、息抜きという理由だけで、居酒屋バイトを続けている少し変わった人だ。
「そう言えば間宮くん、一つ聞きたいんだけど」
「なんですか」
「いやぁさ。自分の勘違いだったら申し訳ないんだけどさ」
着替えに取り掛かった僕の背中で、夜谷さんは言った。
「相瀬さんと何かあった?」
「……っ」
それは想定していたよりも随分と早い指摘だった。
「どうしてです」
「いや、今日のあの人いくら何でも別人すぎるからさ」
そういえば……今日は梨乃と別れて初めてのシフト被りの日だった。
というのも僕と梨乃は、この店の同僚なのだ。別れたのをきっかけにここのバイトを辞めようかとも考えたけど、記憶喪失の件で一旦保留にすることにした。
「あんなに落ち着いた相瀬さん初めて見たよ。絶対何かあったでしょ」
夜谷さんが疑問に思うのも当然だろう。
だって今まで時間ギリギリに来るのが当たり前だったはずの人間が、早めに来てトイレ掃除をしているのだから。事情を知る僕だってそのギャップには驚かされた。
「もしかして別れたり……って、それはないか」
このまま隠すのも気が引ける。
どうせいつかはバレるだろうし、ここは正直に話してしまった方が楽だろう。
「別れましたよ」
「へっ⁉」
僕は着替えながらも淡々と真実を口にした。
その瞬間、夜谷さんのペンの音がピタリと止まる。
「じょ、冗談でしょ……?」
「冗談なんかじゃないですよ。僕たちはもう恋人じゃありません」
顔を見なくてもわかるくらいの驚きっぷりだった。
それもそのはず。
なんせ夜谷さんは、梨乃のメンヘラを一発で見抜いた人間観察の達人。それでいて僕と似たような性格だから、たまに愚痴や相談を聞いてもらったりもした。
「そ、その、大丈夫だったの……?」
「大丈夫とは」
「別れたら死ぬみたいなこと、言われてたんじゃないの……?」
「いや、さすがにそこまでは言われてないですけど」
それを匂わせるようなことは、何度か言われたことはあった。
「大丈夫ですよ。人間そう簡単に死ねませんから」
「そ、そうなんだけどさぁ……」
振り返ると、夜谷さんは椅子の上でそわそわしていた。
この感じ……今事実を話したのは失敗だったかもしれない。変に気を遣わせてしまったら申し訳ないし、せめて今日のバイトが終わった後にするべきだった。
「原稿、遅れますよ」
「え、あ、うん」
まあ、何がともあれ。バイトが終わったら全てを話そう。
それまで夜谷さんには、落ち着かない気持ちのまま居てもらうしかない。
◇
今日は水曜日ということもあり、お客さんの入りは週末に比べて少なかった。
普段なら軽い雑談を交えながらのんびり仕事をするところだけど、相瀬は変わらず真面目に仕事を。対しキッチンの夜谷さんは、明らかに僕らに気を遣っているようだった。
「バジル、乗せ忘れてますよ」
「え、あ、ほんとだ。ごめんごめん」
普段ならこんなミスはしないはずなのに。先ほどから定期的に相瀬の事を見ているからして、相当気になっているらしい。本当、申し訳ない。
「あのさ、間宮くん」
「はい」
「相瀬さん、ほんとにどうしちゃったの……?」
いよいよ我慢の限界らしい。
でも、仕事の合間に話せるほど単純な事情じゃない。それに、これを話せばもっと気を遣わせてしまう可能性だってある。
「あれはきっと、掃除したい気分なんだと思います」
「だからって働き過ぎじゃない……? 普段しないようなところまで掃除してるみたいだしさ。別れたショックで人格変わっちゃったんじゃないの……?」
大正解です、夜谷さん。
「僕的には率先して仕事してくれるから、同じホールとして助かってますけど」
「そ、それならいいんだけどさぁ」
こうして何事もないまま、時刻はラストオーダーを迎えた。
なるべく早く帰るため、お客さんがいない場所から順に閉め作業に入る。
相瀬が合間を縫ってフロアの掃除をしてくれていたおかげで、普段の何倍も作業の進みが早かった。
「どうして相瀬梨乃はあなたと同じ店でバイトをしているの?」
相瀬と二人、ノーゲスとなった座敷の掃除をしていたところ。
何の前振りもなく、彼女はそんな問いを口にした。
「僕との時間を増やすため。梨乃の愛はそれくらいに重かった」
テーブルを除菌しながら、僕はありのままを伝える。
「知ってると思うけど、梨乃はここ以外のバイトも掛け持ちしてる」
「コンビニよね。先日そのバイトにも行ってきたわ」
「ここと合わせたシフトは週五か週六だと思う。嫌なら早いうちに何とかした方がいい」
最低限学費は払ってくれているうちとは違い、梨乃の母親は一切の援助をしていない。
だからこそ梨乃は、高校時代からバイトをする毎日だった。早い段階から準備していたから、今でこそ問題なく大学生をやれているけど、僕とのデート代とか、奨学金とか、色んな方面のことを気にするあまり、多重バイトを辞められないでいる。
「僕との関係はもう終わってるし、その分のお金は生活費に回せるだろ」
バイトを一つに絞っても、やっていけるだけの貯金はあるはず。
だからこその忠告だったけど。
「心配してくれてありがとう。でも、相瀬梨乃の日常を変えるつもりはないわ」
迷う素振りすらみせず、相瀬はそう言い切った。
それから僕たちは、黙々と座敷の掃除を進めた。
いつもなら僕一人か、もしくは誰かと一緒でも雑談が先行してダラダラするから、ここまで手早く念入りな閉め作業は、初めてレベルの快挙だった。
普段ならスルーするところも掃除しているからか、台拭きが見たことないくらい黒ずんでいる。
「夜谷さん。かなり僕たちに気を遣ってる」
作業が終わり、ホールへと戻る際。
僕は例のことを相瀬に共有することにした。
「記憶喪失の事とか、まだ話してないんだろ?」
「そうね。夜谷さんにも店長さんにも話してないわ」
「なら君の方から事情を説明してあげてくれ」
僕から話すのもいいけど、それよりも本人から直接伝えた方が説得力も増すと思う。それくらい今回の事態は異常だ。信じてもらえるかすら怪しい。
「わかったわ。バイトが終わったら話すことにする」
「ああ、頼む」
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