第4話

 彼女に梨乃を教えるためにはどうしたらいいか。僕なりに考えたその結果、一番有効だと思った手段が『梨乃が好きだった物に触れる』だった。


 食べ物、洋服、その他もろもろの趣味。僕が持ちうる知識をより効率的に伝えるためには、複数のカテゴリーが密集した場所に一緒に出掛けるのが手っ取り早い。


 ということで僕たちは今、千葉は船橋にある大型ショッピングモールに来ていた。付き合っていた当時、突発的なデートでよく利用した場所だ。


「凄い人ね」


「まあ、今日は休日だからな」


 土曜ということもあり、館内は家族連れやカップルで溢れかえっている。僕たちもその一部だと思うと、何だか前に進む足が重く感じられた。


「それより君、その髪どうしたの」


「ああ、これね」


 僕は隣を歩く彼女を横目で見ながら尋ねる。


「染めたのよ。こうすれば少しは間宮くんの印象も変わるかと思って」


 彼女がかき上げたその髪は、日本人らしい黒に染まっていた。元の梨乃の髪色は茶髪。あまりにも極端なその変化は、彼女の狙い通り僕の意識に確かな変化をもたらしていた。


「相瀬梨乃には悪いけど、ワタシは今の方が落ち着くわ」


「僕もこっちの方が助かる。前の髪色は、君の雰囲気に合っていなかったからな」


 こうして梨乃の黒髪を見たのはいつ以来だろう。

 高校卒業してすぐにあいつは髪を染めたから、大体一年半ぶりぐらいか。


「それで、今日はどうしてここに?」


「梨乃が好きだった物を片っ端から巡る。そういう意味でこの場所は、色々な物が密集していて効率がいい」


「なるほど。つまりは今日のデートで、ワタシからのお願いを大方クリアしてしまおうという算段ね」


 どうやら僕の狡い考えはお見通しらしい。

 人格が変わったとて、勘の鋭さはそのままということか。


「安心してくれ。適当に済ますつもりはないから」


 それから僕たちは、記憶を頼りにそれらしい店を幾つか巡った。

 元の梨乃は、流行というものに非常に敏感なタイプだった。常日頃からファッション雑誌を熟読し、流行っている物があればすぐさま取り入れようとする。


 服や寝間着、そして下着や日用品までも。お目当ての物を探しにここへ来ては、館内の洋食屋でデミグラスソースのかかったオムライスを食べる。


 その後は適当に館内をぶらつき、喉が渇けば休憩がてらにス〇バへ。期間限定のドリンクを購入後は、飼う予定のない犬や猫を見るためペットショップへと行く。日によって多少の違いはあれど、これが大まかな僕らのルートだった。


「間宮くんが行きたい店には行かないのね」


 元気に飛び跳ねているトイプードルをガラス越しに眺めながら、彼女は言った。


「いつも彼女に行き場所を任せていたの?」


「まあ、僕は別に行きたい店とか無いからね」


 僕は隣でぐっすり眠るブルドックを見ながら続ける。


「梨乃に誘われなかったら、わざわざこんな場所に来ようとすら思わない」


 今となっては信じられないが、梨乃はもともと、僕と同じインドアな人間だった。

 しかし高校デビューをきっかけに、彼女の性格は一変。すっかりアウトドアに染まった梨乃に合わせて、付き合ってからの僕は、休日を家で過ごすことがなくなった。


「別に外出が嫌なわけじゃない。でも、時々思った。僕は何をやってるんだろうって」


 全てを梨乃の好きな物、求めている物に置き換えた。

 そこに僕の意志はない。

 まるで中身のないペットボトルのように、付き合っていた当時の僕は空っぽだった。仮に中身があるとしても、それは梨乃が入れたものばかり。こうして記憶を振り返ったことで、初めて自分を客観視できた。そんな気がする。


「これで気が済んだだろ」


 僕はため息に近いくたびれた声で言った。


「これが相瀬梨乃の求めていた物なの?」


「ああ。この場所でのデートはいつもこれだったよ」


 この後はどこかで適当に夕飯を食べて解散……のはずが、「もうちょっとだけ一緒にいたい」と言われ、結局梨乃は僕の家で一泊する。

 これが僕らのテンプレだった。


 でも、今の僕らは恋人じゃない。

 それに彼女は梨乃じゃない。


「今日はもう帰ろう」


 僕はそう言って、一足先にペットショップを出ようとした。


「待って」


 その時、後ろから腕を掴まれる。


「まだ、何かあるんじゃないの」


 引き留めたのはもちろん彼女。僕は仕方なく振り返った。


「確かにこのデートは素敵ね。まるでリア充の教科書に載っていそうなプランだわ」


 皮肉混じりにそんなことを言った彼女は、やがてその瞳を疑念に染める。


「でも、何かが違う気がする」


 言葉となったその疑念は、僕に同じくらいの戸惑いを与えた。

 何かが違うとは、一体どういう意味だろう。


「僕は出来る限り、梨乃とのデートに寄せたつもりだけど」


「ええ。あなたのせいではないわ、間宮くん」


 そう言うと彼女は、自らの胸元に手を置いた。


「おそらくこれはワタシ側の問題」


 続けて何かを悟ったような面持ちで、


「心に響かなかったのよ。今日触れたもの全てが」


 歯に衣を着せないそんな言葉を吐いた。


「それはつまり、今日のプランはつまらなかったってことかよ」


「ええ」


 躊躇いなく頷いた彼女は、平然と続ける。


「例え人格が変わっても、ワタシの身体は相瀬梨乃よ。同じ脳、同じ心臓で生きている身として、彼女がこれを心から求めていたとは思えないの」


 言うなればそれは、彼女の感覚に基づいた疑念だと思った。

 今日僕は、確かに記憶通りのルートを辿った。事実として梨乃は、自ら好んでこのルートを選択していたわけで、それが梨乃の意志であることは確かなのだ。


 でも、彼女は言った。

 梨乃がこれを心から求めていたとは思えないと。


「些細なことでも構わない。間宮くん、何か心当たりはないかしら」


 今日触れた物以外で梨乃が求めているはずの何か。

 この世にそんな物が存在するのだとしたら、おそらくは……


「……はぁ」


 それを容易に思いついてしまう僕は、やっぱり梨乃の幼馴染なんだなと思う。


「ついて来て」


 ここまで勘付いている彼女に、伝えない選択肢は多分ない。僕たちの始まりとも呼べるそれを求め、僕は案内板を頼りにとある店まで彼女を連れて行った。


 入口付近のペットショップからだと、相当な距離がある。来た道を引き返すようにしてやって来たのは、物語の海。紙の優しい匂いが漂う書店だ。


「ここに相瀬梨乃を知る手がかりがあるの?」


「ああ」


 大型ショッピングモールなだけあって、その規模はかなりのものだった。


「まあ、用があるのはそのごく一部だけど」


 僕は早速、書店の中へ。

 ずらりと並べられた本たちを横目に向かったのは、エリアの奥の方に設けられたコミックコーナー。そこはたくさんの漫画、そして刺激を求めるたくさんの若者で溢れている、僕と梨乃の居場所だった。


「相瀬梨乃の好きだった物って」


「漫画だよ。僕たちはもともと、二人で漫画家を目指してたんだ」


 それは既に失われた子供の頃の夢だった。


「僕の祖父が漫画家でね。僕と梨乃は祖父の作品をきっかけに漫画を描き始めた」


 二人で漫画家に――そんな約束を交わしてから、僕は絵に、梨乃は物語に熱中した。子供の頃の遊びも全て漫画。それくらい僕たちは漫画という物を愛していた。


「その祖父の漫画というのは?」


「『ガムテーマン』……って言っても知らないでしょ、君」


 もう何十年も昔の漫画だ。

 それに特別ヒットしたわけでもない、言ってしまえば駄作。それでも僕は祖父の漫画が好きだったし、それは梨乃も同じだった。


「ああ。あのガムテープのヒーローが、人間を救うために悪魔怪人と戦うやつね」


「知ってるのかよ……」


「この間、あなたの部屋で読ませてもらったから」


 味噌汁を作るだけでなく、漫画まで読んでいたとは。


「確かにあの漫画は来るものがあったわ。特にヒロインのマミ子を救うシーンとか」


「そう! あそこのガムテーマンが凄くカッコよくて――」


 ――って、何を熱くなってるんだ僕は。


「と、とにかく。僕が思いつくのはこれくらいだ」


 誤魔化すように頬を掻く。

 チラリと隣の彼女を見れば、食い入るように目の前の漫画たちを眺めていた。その真剣さときたら……あの頃の梨乃そのままだ。


「ちなみに間宮くんのおすすめの漫画はどれかしら」


「そうだな。無難にこの辺とかじゃないか」


「『SPM×FAMILY』。スパムと人間の共同生活……なかなかに斬新な設定ね」


「あとは『シバカリマン』とか、最近アニメ化して話題だけど」


 他にもおすすめの漫画はたくさんある。

 でも、漫画の入りとして間違いないのはこの二つだろう。


「もし買うつもりなら、僕が持ってる単行本貸してあげるけど」


「いいの?」


「ああ。作家先生には悪いけど、余計に出費する必要もないだろ」


 作家先生には悪いけど。


「それならありがたくお借りするわ」


「今度大学に持ってく」

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