#5 ほんとうのこと

 開いたドアに頭を下げた。

「すみません、何度も」

「いいんですよ。何か忘れ物しました?」

 由美子さんは頭を上げた私を見て驚いたように一瞬止まった。流れたアイメイクをやり直す暇もなくて、とりあえず拭き取っただけで来たからって別人とまではいかないはずだけど。


 市川の部屋に入ってからもう一度深々と頭を下げた。

「すみません、私噓をつきました。まだ記念文集の企画は立ち上がっていません。で、でも私が必ず実現します。それまであの資料お預かりしててもいいでしょうか」

「それは構わないけど、どうしてそんな嘘を?」

「信じては頂けないかも知れませんが、少し前に市川君の霊が私のところに現れたんです」

「えっ、陽介が! どこにいるの? どうして私のところに来ないの? ねえ、今ここにいるの? どうしたら見えるの?」

 話が本当かどうかを疑われると思っていたら、そんな事は軽々と飛び越えて由美子さんはすごい勢いで私に迫ってきた。

「ここにいます。彼には話も聞こえています。でも、多分一番近いお母さんには見えないと思います。もし一番近しい人同士が見えたり話せたりしたらどちらの未練も断ち切れず、次に進めないから。と祖母に聞いた事があります」

「そんなあ」 脱力したように由美子さんはベッドに座ってしまった。

 私はこれまでの経緯を説明した。今までの市川の発言も全部。今の彼を叱って前を向かせられるのは由美子さんしかいないと思ったから。


「陽介! あんたバカじゃないのっ! くだらない事ぐじぐじ言ってんじゃないわよっ!」

 私の想像を軽く超え、由美子さんは今までとは別人のように〝お母さん〟になった。

「何が生まれてこなければよかったよ。父さんが最後まで治療に取り組んで頑張れたのはあんたがいたからじゃない。一週間でも一日でも、あんたの成長する姿を見たい。そう思ってなかったらあんなに頑張れたはずがないでしょ! 私だってそう、父さんのお通夜の夜、泣いてる私の背中をずっとさすってくれたあんたの小さな手がなかったら、きっとずっと笑顔には戻れなかった。おばあちゃんだってあんたがいたから、あんたが優しかったから最後まで幸せだったのよ。あんたがいなければたった一人で旅立つところだったのは、分かってるんでしょ!」

 そうだよ市川、人は幼くても、短い間でも、存在するそれだけで人を支えられるんだ。沁みるよな市川。と思ってたら突然

「うっせぇ! くそばばあ」

と言うのが聞こえた。びっくりして市川が腰かけてる学習机の方を見たらあいつ、泣いてやがった。

私の動きに由美子さんが反応した。私の両肩を掴んで揺すりながら

「今、なんかしゃべったのね。なんて言ったの? 陽介はそんなに長くいられないんでしょ、お願い、ここにいる間の陽介の言ったこと、したこと全部、ひとつ残らず私に教えて! お願い!」

 迫力に押されて「あの〝うっせぇ! くそばばあ〟って」と言ってしまった。すると由美子さんが笑い始めた。

「ほんとだ、ほんとなんだ。ごめんね、陽介がここにきているって、私が信じたいから信じてたけど でも少しだけ本当かしら? って気持ちも…… でも陽介だ、間違いなく本物の陽介だ」

 由美子さんはケラケラ笑いながら涙を流した。

「おばあちゃんがいた時はまだよかったのよ、私が叱ってもおばあちゃんがなだめてね。反抗期真っ盛りでも、陽介もおばあちゃんにはずっと優しかったから、私が陽介のおばあちゃんになりたかった位よ。そのおばあちゃんが亡くなってからはそりゃあ大変だった。くそばばあなんてしょちゅう言われてたわよ。あなたがそんな言葉、作って言うはずがないものね。だから、陽介は本当にここにいるのよね。ありがとう」

 私の手を握り、由美子さんは私の顔をまじまじと見つめた。そして、「陽介」と呼び掛けて部屋のあちこちを見回したので、私は黙って学習机を指さした。


「見たと思うけど、私は今は幸せに暮らしている。心配しなくても大丈夫だよ。でもね、あんたがいたら幸せになってないというのは違うよ。全然違うよ。だって生きてたらあんたが私を幸せにしてくれたんでしょ。もしもあんたが今も生きててくれたら、三十三かな、しっかりしてて優しくて人の為に一生懸命になれるそんなお嫁さんと一緒になって、今頃は孫もいて…… 私、幸せだったと思うよ」

 由美子さんは机の下から缶を出してくると私の前で開いた。市川が悲鳴のような声を出したので、エロ本かと思ったら折りたたんだ写真が入ってた。

「これ、あなたよね」

 見ると、体育祭の時の5~6人で写っている写真が、私だけが残るように折りたたまれていた。

「最初にお会いした時は、すっかり大人の女性になられてお化粧もされてたから、なんか見覚えのある気がしただけだったの。でも、さっきお化粧を取って訪ねてこられた時に分かったの、この写真の女の子だって」

 いや、お化粧を取ったわけじゃないけど。

なんだかひどく動揺してしまって、言葉もでない。

「あなたのところに現れたのは偶然ではないと思うわ。ありがとう、ご迷惑かもしれないけど、私はあの子が恋も知らずに逝ってしまっ 」

「うっせぇ! だまれっ!」市川の大声にビクッとした。

「あの子、照れて怒ってるのね。じゃあやめてあげる」

 由美子さんは机に向かって座りなおした。

「それを聞いたら、おしまいになるのよね。でも、それが言えなかったら、永遠にさまよってしまうんでしょ」

 と由美子さんが私をみたので、黙ってうなづいた。

「だから、聞いてあげる。言って、そして生まれ変わって、今度こそ長生きするのよ」

 あの「ごめん」って言ってます。私は伝えた。

「違うでしょ! いつまでも子供なんだから! 〝ごめんなさい〟とおっしゃい」

 お母さんだった。

「ごめんなさいと言ってますよ。少し輪郭が消えてきました。微笑んでます。薄くなりました」

 それは、由美子さんにはつらい事かなと思ったけど、何か話し続けなくては私が耐えられなくて、止められなかった。


 どうやって家に戻ったか分からない。一日に沢山の事が起こったけど今はただ、市川が永遠に消えてしまった寂しさが全身を重くしていた。部屋を明るくする気にはならず、カーテンを開けると向かいのマンションの窓に明かりがついていた。あの数だけ、いやその何倍もの命があそこにある。明日が来ると疑いもせずに暮らしてる。

 あの時…… 校舎の窓から見送ってくれるみんなに何度も振り返って手を振った私の眼は一人だけを探していた。でも見つけられなかった。どこにもいなかった。校門を出て車に乗る時、沢山の声を突き抜けて、たった一人の声が聞こえた。市川の声だとすぐわかった。わかった自分が恥ずかしくて振り返れなかった。


 あの時、振り返っていたら。市川は給水塔には登らなかった。

「ごめん… ごめんなさい… 私ずっと何も知らなくて」

 思いが胸に詰まって息が苦しくて涙も出ない。

 不意に背中が暖かくなって、そのあたたかい空気が後ろから私を抱きしめるように包み込んだ。

「市川!」

 許されたと思った。やっと一筋涙が流れて胸の中に暖かいものが満ちてきた。見回したけどやはり姿は見えない。

全身を包んでいたあたたかさがすうっと引き始めた。本当の終わりだと感じた

慌てて「市川! 今度は私の子供に生まれ変わらないか」と言ったら、あいつ

「や~だよっ!」って微かに言って、消えた。

 ひどいよ、それが最後の言葉なんて。

 きっとあいつは妹の優菜ちゃんの子供に生まれ変わって、由美子さんの孫になるつもりだな、と思った。

そう上手く出来るのかどうか、それは誰にも分からないけどそうなったらいいね。


 さあ、また明日がやってくる。代り映えのしない着古したような明日だけど大切に生きないと、市川にはそれも出来なかったんだから、まずは私が休んだ今日一日で杏奈が何をやらかしたかのチェックからだな。


                          了

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そうだったのか! 真留女 @matome_05

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