第30話

「ああ、気持ち良い」


 皿を洗ってやると、アムロがうっとりと声をあげた。


 なまめかしい声だ。……健太はAVあだるとびでおを思い出した。時折、アメリカのサイトの無料動画を見ていた。それもアムロが住みこむようになってからは遠ざかっている。


「今までは、そこにあるシャンプーを使っていたけれど、食器用のほうが皿には良い感じだ」


 アムロは満足そうだった。


「うん、良く輝いているよ。鏡みたいだ」


 皿に自分の顔が映っている。少し歪んでいるけれど……。アムロの中に自分がいるような、不思議な気持ちだった。アムロが女性だったら……。つい、AVにあるような卑猥ひわいな想像をして自己嫌悪を覚えた。


「健太、念のために注意しておきます」


 アムロが改まった言い方をした。


「エッ、何のことかな?」


 ジョージや珍のことがあって、暴力や機密に関わる心構えを言われるものと思った。


「どんなに皿が綺麗でもカッパの皿をめてはいけないよ」


「毒でもあるのかい?」


「そうしたものはないけど……」


「舐められたら、力が出なくなるとか?」


 頭が濡れると力が出なくなるアニメキャラを思い出していた。


「まあ、そんなところかな。とにかく、舐めちゃいけないよ」


 ――カッパを舐めるな!――


 そう叫んで珍を撃退した様子を思い出した。


 舐める、の意味は違うけど、自分の弱点を隠すことをしないなんて、アムロはどこまで人が、いや、カッパが良いのだろう。


「アムロはすごいな。尊敬するよ」


「ン?」


 アムロが首を傾げた。


 その皿はみがけば磨くほどピカピカに輝く。……この皿は何のためにあるのだろう? 食事を乗せるためのものであるはずがない。もしかしたら太陽光発電の装置なのか? 暗闇を照らすためのものなのか?……その皿を見ているとアムロに背負われてカッパの国へと向かった時のことを思い出した。とても不安だったあのような瞬間があったことが今は信じられない。


 舐められると本当に力が出なくなるのだろうか?……悪戯心がうずく。止めろ、と言われればやりたくなり、やれと言われたらやりたくなくなる。それは当たり前の感情だろう?……自問した。


 好奇心に逆らえず、皿に顔を近づける。そしてついに、ペロっと舐めた。


「ああ……」


 再びアムロの艶めかしい吐息が漏れた。エクスタシー、AVのそんな場面を思い出す。


「エッ……」アムロの反応の激しさに驚いた。


 ――ハァハァハァ――


 アムロが苦しそうにあえいでいる。


「ゴメン、ちょっとふざけただけなんだ。大丈夫?」


 とんでもないことをしてしまったのかもしれない。……心から謝罪した。


 ――ハァハァハァ――


 アムロの荒い息遣いはなかなか収まらなかった。


 たったひと舐めしただけなのに。……健太は困惑した。


「……な、なんてことを」


 アムロが健太を見つめる。その大きな黒い眼には涙があふれている。


「力が出なくなった?」


「そんなことはない、……けれど……」


 アムロの呼吸が整ってくる。


「ごめん。悪かった」


「いいえ、気にしないでください。こうなる運命だったのかもしれない」


「運命?」


 科学的な思考をするアムロがそんな言葉を使うのが不思議だった。同時に、何か大きな責任を負ったような気持ち悪さを覚えた。


 皿を洗うのをやめて、甲羅を洗う。カメのそれとは異なり、わずかに柔軟性があった。背中は手の届かないところが多いのだろう。あちこちに汚れが固まっている。スポンジを使って、それを丁寧に洗い流した。そうして、アムロが自分と異なる生物であることを、改めて実感した。


 バスルームを出ると、アムロが不思議なことを言った。


「大丈夫。……ボクは健太のことを気に入っていますから……」


 独り言のように聞こえたので、返事はしなかったが、それが皿を舐めたことに対する抗議の言葉なのだと理解した。


 アムロとの関係の、何かが壊れたような不安を感じた。それを、あえて口にする勇気も、危機感もなかった。

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