Ⅱ-ⅱ

 橋を隔てた川向こうに蒸気馬車が停まる。

 馬車から降りたのは、蒸気茶屋で騒ぎを起こした三人、剃り込みに関西弁、三人目の三枚目。それから一目でそれと知れる、「もっと強い奴」だった。

 まず、がちがう。そこらの人間を縦にも横にも引き延ばして、つら付きを険しくし、最後に熊でも捻じり殺せそうな筋肉で鎧った大男。それほどの大男が差してなお普通のサムライソードに見えない腰の得物は、つまりはきっと大刀おおがたなの類にしても大きすぎるに違いなかった。

「よお兄ちゃん、先刻さっきは世話んなったなァ!」

 ひとり先行して半ば橋を渡った剃り込みが、周囲に喧伝するように声を張り上げる。

「聞いて驚け! こちらはなんと剛剣のジョーの兄貴だ! あれだぞ! 盛者必衰ジョーシャヒッスイだ! 貴様の命も蒸気の前の塵に同じって奴だ。わかるか、吹けば飛ぶって意味だぞ!!」

 しゃかん、と。どこか間の抜けたような金属音がした。

 血がほとばしる。長物とは思えない速度で抜き打たれた大刀に、三枚目が耳から耳へと喉元を切り開かれていた。傷口からほとばしる鮮血を押し留めようと両の手で覆う無駄なあがきの末、三枚目はやがて指の間から零れ落ちる血液と共に膝から崩れ落ちる。

 剛剣の丈が刀から血を払う。振り飛ばされた血液が一部は橋の欄干に、残りは遠い川面へ紅い花を咲かせ、関西弁と剃り込みはあっけにとられる。

「あ、兄貴、なんでや、話がちゃう……!」

 いわおのような低く静かな声を、剛剣の丈が発していわく、

「違わん。まずお前らを殺す。その次に奴を殺す。俺は仇を取りに来たのではない。恥を雪ぎに来たのだ」

 剃り込みがごくりと喉を鳴らす。

 こちらに無警戒な背を向けさえして、剃り込みは関西弁と目くばせる。

 それは追い詰められた連中の見せた、一廉ひとかどの武人としてのある種の矜持だったのだろう。僅か一息、無言の内に以心伝心、腹を括る。

 同時。剃り込みと関西弁の機械鞘の掛け金が落ちた。

 『蒸気抜刀ジョーキバットー!!』

 鞘の表面を飾る歯車機構が唸りを上げ、ふたり分の発声が重なって響く。


 蒸気抜刀。

 話には聞いたことがあった。

 機械鞘の機構を用い、達人の域に達した蒸気刀の一撃は、大木さえなで斬り捨てるという。眉唾と断じた又聞きの噂話はしかし、ふたりの斬撃の引き起こした破壊の様によりはっきりと真実と知れた。

 こちらの岸と対岸と、洋式架橋で二本きりの橋脚が、橋桁もろともに斬り落とされた。

 しかしその絶技も完璧ではない。やにわの連携に、寸分の狂いがあった。

 狂いは橋に首の皮一枚の繋がりを与え、落下する橋桁の傾きとなって表に現れる。 斬り落とされた橋桁は、あたかも対岸へ延びる坂道の様相を呈した。

 剛剣の丈は、ふたりの叫びと同時に、身を翻し坂道を駆け上がっている。

 刹那に閃いた大刀のひと振りに、対岸の関西弁が首を飛ばされた。

 視界の端、相方を失った剃り込みの顔にはしかし、安堵の表情が浮かんでいた。理解する。これは初めからどちらかひとりが逃げ切ることを目的とした苦肉の業に違いなかった。

 同時に、結果を見れば浅はかな策であったと言わねばなるまい。

 にわかに浮足立った剃り込みと対照を成すように、落ち着き払った丈の呟きは橋の崩落する轟音の中、不思議とこちらの耳まではっきりと届く。

「……蒸気抜刀ジョーキバットー

 巨体が空を飛んだ。

 機械鞘が吐き出す膨大な蒸気で踵を返し、宙で半分身を捩りながら剛剣の丈は川幅に届く長大な跳躍をしてのける。

 とっさに身をかわした剃り込みの脇から腹を、信じ難いほど広い大刀の刃域が苦もなく捉え、はらわたを晒け出させる。言葉さえ発せず血泡を吹いて、剃り込みが倒れ込んだ。

 いっそ馬鹿げた運動量を受け止めた剛剣の着地は、辺りに堆積した分厚いひとたまりもなく吹き飛ばし、露わになった地表をなぞってようやく削ぎ止まる。

 混じり合った白煙と黒煤が盛大に巻き上がる。

 足を肩幅に滑らせ、刀の鍔に指先を添え、リボンの男はまばたきもしない。

「待ち侘びたか。お前の番だ」

 左のかいなを振るい、宙舞う灰を掻き分け、剛剣の丈がのそりと姿を現す。

 ふたりの間を走る殺意の線を嗅ぎ取って、花は急いで袖口で口を覆い、そのままなんとか大きく息を吸う。

 叫ぶ。

「ちょい待ったっ!」

 せめてどちらかは振り向いてほしかった。

 二人はこちらの叫びに合わせて牽制するように、互いに一段構えを深くする。

 引っ込みがつかない。聞こえているには違いない、と勝手に言葉を続けることにする。

「……順番ってなら! 私だと思うんだけど。その人より先に」

 剛剣の丈が相手にならん、とばかり一瞥してリボンへと向き直る。その無闇にでかい背中に軽く嘲りを投げつけた。

「殺しゃしないから安心しなさいよ。拳骨据えてやるだけだから。怖い? そうならそうと紛らわしいから背中に描いておけばいいじゃない。場所はあるでしょ? 手は届く? だってそうでしょ、無手の小娘に挑まれて応じもしない。恥を雪ぎに来たくせに、上塗って逃げ帰るってわけだもの」

 ぴくりと、剛剣の丈の左眉が引き攣って、右手の刀をむずがゆそうに握り直す。

 あと一押し。

「そのでかい図体、恥晒しに随分役立つのね」

 

 蒸気刀が翻った。

 その刺突は身構えた花のところに届きはしない。そもそも、向けられてすらいない。

 振りかぶられた蒸気刀は、まだ息のあった剃り込みの喉元に突き立てられる。

 剛剣が刀を捻じり今度こそ確実に止めを刺す。

「殺し合いは虚しいな。つまらん意地や虚栄で命を落とす。割に合わんとお前も思うか」

 唐突に向けられた問いに僅かに困惑の色を見せ、一拍の後リボンが返答する。すでにその顔に戸惑いの表情はない。

 思わないな、とばかりにリボンが首を横に振る。鮮やかな赤がゆらりと揺れる。

 孫に向けるような鷹揚とした笑みが剛剣の顔に浮かぶ。言い聞かせるように優しい声音で、落ち着いた声が続く。

「俺も思わん。勝てばいい。俺は強い。そうだ、極限まで優位オッズを傾け、撓ませろ。割に合わんのは弱いからだ。お前は強いか。呉れてやる。貰ってやる。手前てめぇの首を賭けろ。さあ、返答はどうする」

 リボンが笑み返す。返事は抜刀だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る