Ⅱ-ⅰ

 目当ての男を見失った。

 ここはうんざりするほど灰だらけの街だ。

 空を閉ざす黒雲。鉄と錆の色をした奇妙な街々。

 もはや蒸気がすべてであった。

 林立する巨大な蒸溜釜は軒に絡む配管パイプ へと伝い、やがて鼻を突く臭気と共に煙突から空を汚していく。

 工業区、錆びた柵が囲う停車場を横目に思い出す。ここ穢土への往路奥州街道は千住宿から見た、景色を横切る蒸気機関車。

 はじまりは東、常磐炭田。その石炭層の下から見つかった存在しないはずの固体の蒸気だ。それは誰しもの想像の埒外である。既存の燃料をはるかに超える高効率で動力エネルギー源として活用できるその物質は、常識はおろか産業構造さえ覆してみせる。

 極東の貧国の、それも一度は更地と化した新興都市に過ぎない穢土は、その代償が如何なるものであれ、事実世界で有数の生産力を誇る巨大工業都市として名を馳せている。

 固体の蒸気、蒸気塊はここ穢土近郊以外での産出は確認されていない。それ故に諸外列強国の勢力争いの間隙、どの勢力にも属さない空白として成立していた大戦の跡地は熾烈な陣取り競争の舞台と化し、それを制したのが、廃刀令に逆らう剣客集団、汽兵隊である。

 彼らは洋式の装備に身を包んだ伴天連や毛唐商人、果ては大挙して押し寄せた新政府軍をも幾度にも渡って退け、ついには事実上の支配権を確立してみせた。

 ともあれ街に支配者として君臨する汽兵隊であるが、彼らはあくまでも剣士に過ぎず、住人からは為政者としてではなく厄介者として見られているようである。

 そのせいかはわからないが、街の景色は、花の想像した大都市の風景とはひどく食い違って見える。

 この街には昼がない。

 不昼城とでも言うか、昼なお暗いこの街には蒸気ネオンに照らされたどこか不健康な活気こそあれど、露店もなければ市も立たず、人はみな大路の中心を避け、建物に沿うように窮屈な軒下を肩を擦り合わせて歩く。

 道が二つに分かれている。

 さて、リボンの男はどちらへ行ったか。

 こちらが急に立ち止まったせいか、背後から腰ほどの高さの何かがぶつかってきた。

 衝撃にふらついて足を踏みしめると、降り積もった真っ黒な煤塵が舞い上がり裾を汚した。呼気にまで己の巻き上げた煤が混ざる。

 軽く咳込みながら振り返ると、ぶつかってきたものの正体が知れる。子供だ。歳の頃七つか八つといった少年が頭を振って煤を散らしている。

「ええと、平気?」

「うん。おいら助六ってんだ」

 何故かはともかく助六と名乗った少年は、転びもしなければ怪我した様子もない。

「なら良かった。急いでるから、行かなきゃ。ごめんね」

 ひとまず安心し、勘で選んで道を進もうとする。

 その背中に、得意げな声が掛かった。

「リボンの兄ちゃんならそっちじゃないぜ」

 リボンの存在を出されて、花は思わず呼び止められる。振り向いた顔に浮かんだ疑問に助六少年が聞かれる前にさっさと答えた。

「おいら見たんだ。酒場から汽兵隊が逃げ出すのと、その後からあのリボンの兄ちゃんが出てくるのと。なあ、やっぱあの兄ちゃんが汽兵隊をやったのか?」

「ええ、三人まとめて、あっという間に。それより、こっちの道じゃないって?」

 的を射たりと、得意な色が助六の顔に浮かぶ。

「兄ちゃんも姉ちゃんもヨソから来たんだろ? 足袋が白い人はヨソ者だって父ちゃんが言ってた。この街じゃ道路の真ん中を歩くのはヨソから来た奴だけだ」

 言われてみれば、往来の中心には自分の足跡と、それを追う助六の足跡。それとは別に、もう一つ真新しい足跡が残されている。足跡は、花が選んだ道とは逆の分岐を選んで先へ進んでいた。

 踵を返して、今度は正しく足跡を追いかける。それをさらに追いかけて、後ろから助六が声を掛けた。

「おいらが案内してやろうか。目端が利くってんで評判なんだぜ」

「教えてくれたのは助かったけど、ついて来ちゃ危ないわ。遊びじゃないのよ」

「遊びじゃないくらい知ってらあ。おいらだって仕事さ」

「仕事?」

 助六は得意げな表情で頷く。

「心配しなくても何も金を取ろうなんて思っちゃいないぜ。ただちょっと、おいらの紹介する宿で姉ちゃん達の面倒をみさせて欲しいだけさ」

「どういうこと?」

 助六は答えない。ただ、ついて来なとばかりに花の袖を引きぐいぐいと先を行くので結局、大人しく花はそのまま助六に引かれることにした。

 それはそれとして、足跡を見てふと思いつくことがある。

 ――この足跡、ひょっとして蒸気馬車の轍を追ってる?

 だとしたら、とんでもない向こう見ずだ。この轍の先から、さっき追い返した連中が、仲間を連れて戻ってきているかも知れないのだ。けれどそもそも起こした騒ぎそれ自体が、蒸気馬車の帰って行った先、つまりは汽兵隊の屯所の場所を知るためだったとしたら――

 背が見えた。

 揺れるリボンの男。間違いない。花は助六を振り切って前に出ると、リボンのすぐ後ろまで距離を詰める。

「ねえ!」

 それが自分に向けた言葉と気づかなったのだろうか。立ち止まるそぶりも見せず、男は粛々と足を進める。

「ねえったらねえ! 聞こえてるんでしょ!?」

 男は振り向かない。

 子供ならともかく、誰かの後ろを歩くとその蹴上げる灰を吸い込むことになる。花は歩みを速めて、男と並んだ。自分より歩幅の広い男に合わせて、早足に頭を揺らしながら追いかける。

「さっきの連中、もっと強いの連れて帰ってくるって」

 男は振り向かない。

「轍に沿って歩いてたら、そいつに出くわすんじゃない?」

 やはり男は振り向かない。

「道を変えないの? 道に迷ったっていうのは嘘? それとも、轍の先が目的地? だとしたら目的は私と同じってことよね」

 ますます早くなった男の歩きに語気と歩調を強めてまくしたてる。

 行く手の川を渡す大きな橋に差し掛かったあたりで、男が唐突に足を止めた。花は勢い余ってつんのめるように振り返りながら、男の行く先を遮るように仁王立つ。足元で煤が盛大に跳ね上がる。もう裾が汚れるのも開き直って花は大股開きに腕組んだ。

 橋の幅は両手を広げた二人分もない。橋としては広いが道としては狭い。先を遮られた男は仕方なしにか口を開く。

「巻き込まれたくなかったら、別の道を行った方がいい」

「馬鹿言わないでよ、私があなたを巻き込みたいからこうして追いかけてきたの。ねえ、あなた汽兵隊と一戦やらかす気なんでしょう? だったら私も一緒に連れてってよ」

 男は一瞬だけ考える素振りを見せて、

「言ったはずだ。誰かに手を貸すつもりはない。その理由がないし、義理がない。金も必要ない」

 あんまりな言い草だ。

 取り付く島もない言葉に花は少し腹を立てる。

「悪かったわね。金も義理も理由も、手を借りるつもりもないわよ! そうじゃなくて、」

 ええと、つまり。こういうときに限って口の回らない自分の性分が憎らしくなる。

 リボンはうっとうしそうに花を避けて歩こうとする。


 そこに、蒸気馬車のいななきが割って入った。

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