奇策

 さて、ここに三者が集う。

 とても不可思議な顔が揃っていた。俺、森山和奏、才原音子である。


「いじめはもう――、起きてるね」


 才原音子は最初にそう言った。

 いじめの主犯は、三条ゆえだ。同じく生徒会長に立候補している女。彼女は影でいじめを扇動し、助長し、嗤っている。


「告発して終わりにできるんじゃないの?」


 森山和奏がなんてことのない調子でいう。


「それができたら苦労しない点があるんだよ、森山さん」


 才原音子は続けて返す。俺は、二人が会話をしているという状況を少しばかり奇妙に感じながら見ていた。


「つまりさ、ようは女王の絶対王政なんだよ、この学校は。構図としては、庶民が反旗を翻しているって感じ。女王様的にはそれが許せない。弾圧しようにも味方がいない。ついでにいえば、誰かに頼る、ということも女王様の中にはないんだよ。そういう在り方ゆえに、頼ることができない」


 事は既に起きてしまっている。

 俺たちはいじめを本質的な意味で止めることはできない。ならば、別の策を取る必要がある。


「問題は、それをどうするかってこと?」

「そういうこと」


 森山和奏の言葉に、才原音子は頷いている。彼女らが普通に会話できている事実。俺は少しだけ、二人は相性が良いのではないか、と感じた。理由はわからない。


「正当なやり方じゃあ、駄目でしょうね」

「いっそのこと、暴露すれば?」


 森山さん、あんたはなんでもかんでも直球過ぎやしませんかね……。

 もちろん、その手もある。学校側もおそらく、認知はしている。暴露すれば、対応は否が応でも始まるはず。――だが、それでは解決にはならない。


「女王様の機嫌を損ねてしまっては意味がないよ」


 才原音子は笑う。プライドが高い、橋口百合の面倒臭さに苦笑している。確かに、面倒臭い。


「それだけだと、橋口先輩は救えないわけだ」


 俺は呟く。

 ふと、視線を感じた。森山和奏がじっと俺を見ていた。なんだろうか、不貞腐れたような顔をしている。


「……相変わらず、橋口先輩優しいんだね。黒猫くんは」

「あー、……はいはい。俺は人類みなに優しいですよ」

「うわっ、きもぉっ」


 才原、お前は黙ってろ。

 ふんっ、と森山和奏は視線を逸らしている。機嫌は悪い――とは、また違う気がする。既に俺が〈黒猫〉ではないことを告白してから三日が経っている。正直、俺たちの関係性は非常に不安定なものになっていた。


「……まあ、いま求められてるのは女王様の機嫌を損ねずに、かつ、いじめを終わらせるような、そんな素敵な策なわけだ」


 才原音子の言い方には棘がある。

 そんな方法、存在するはずがないと。俺に訴えているようでもあった。だから、今さら橋口百合を救おうなどと考えるな。そう言っているような……。


 だが、そんな素敵な策――とは言わずとも、奇をてらった策ならあった。

 それは一人では到底成し遂げることができない、奇策中の奇策だ。


「一つだけ、方法がある」


 俺は、その話を始めた。

 森山和奏と才原音子はその策を聞いて、目を丸くした。――嘘でしょう? そう言うように。……こいつら、似た者同士だな、と何故か思った。


  ♡


 とある放課後。

 それは生徒会選挙、一週間前のことである。さらに正確にいえば、俺たちがある奇策を投下してから、一週間が経過した頃だった。菜穂が授業後に俺を職員室に呼び出した。森山和奏と才原音子の視線が俺に集まるのを感じた。どこか不安と期待がないまぜになったものだ。俺は彼女らの視線に応えつつ、職員室へ向かった。

 菜穂とは、あの邂逅があって以降、普段の関係性を保っている。あくまでも生徒と教師――、それが実に座りがよくて、心地よいと感じてすらいる。

 菜穂は職員室で俺を待っていた。俺の姿を確認すると、隣りにある別室に移動する。その背中を付いていった。

 菜穂と俺が向き合うように腰を下ろす。そして、何の前置きもなく、彼女は言う。



「――あなた、何をしたの?」



 その瞬間、俺は策が決まったことを理解した。


「何のことですか?」

「何のことって……、やっぱり。あなたがしたのね」

「つまり、先生方は認知したんですね。いじめを」

「……ええ、したわ。


 いじめが起きた事実は変わらない。

 ならば、いじめの矛先を変えるのだ。いじめられているのは橋口百合ではない。三条ゆえであると。


「いじめが発覚したのは三日前よ。特に、ネット掲示板と生徒会立候補のチラシね。たくさんの量の誹謗中傷があった」


 もともと、それらは矛先がなかった。

 例えば、悪口にしても『くたばれ アバズレ女』というチラシであっても、その『女』は具体的な名前が書かれていない。あくまでも橋口百合のチラシに書くことによってそう認識できるようになっている。他でもそうだ。確定はしない。勝手に人々が認知するのだ。

 だから、俺たちは確定した。


「チラシは橋口百合さんのポスターを裏紙に使って、三条ゆえさんの悪口が多く書かれていた。他にも、ネット掲示板なんかだと明らかに『三条ゆえさん』だとわかるものがあった」

「……やっぱり、先生の調査能力ってすごいんですね。となると、これも俺への事実確認になるんですか?」


 この奇策には一つデメリットがある。

 俺たちは矛先を変えて、確定させた。行ったのはそれだけだ。しかし、結果的には三条ゆえがいじめられていることになる。俺たちはいじめの主犯と成り得る。


「……ええ、そうよ」


 菜穂は頷いた。


「三条さんは、深く傷ついている」


 深く、傷ついている、ね……。

 それが本当かどうかは、わからない。元はといえば、そのいじめを作ったのは自分だ。自分の作ったもので、自爆している。


「黒猫君」


 菜穂は言う。ここで初めて名を呼ばれた。


「これが、あなたの選んだ方法なのね?」


 俺は肯定する代わりに、笑う。


「先生、本当に三条ゆえはいじめられているんですかね?」

「……」

「よく考えてみてください。このいじめは空気みたいなもので、誰を指しているのかわからなかった。それに加えて、突然、三条ゆえがいじめられていることになった。……正直に言いましょう。誹謗中傷なんて、ありふれている。そこにある。そこにあるものが偶然広がった……。そうは考えられませんか?」

「……そう、そういう流れでいくのね?」


 俺はもう喋らなかった。

 だが、菜穂は理解したはずだ。このいじめの矛先は三条ゆえであり、いじめられているのは三条ゆえであると確定している。だが、そのいじめは? いじめとなる種は絶対に認知できない。なぜなら、元のいじめは橋口百合だから。けれど、その種が明らかになることもない。それを知られるということは、三条ゆえが事実を認めることになるからだ。

 どちらにせよ、いじめは有耶無耶となる。

 これが奇策のゴールだ。


「……はぁ」


 菜穂は小さく息を吐いた。


「黒猫君。一つだけ言うわ」

「はい」

「先生っていうのはね、調べようと思えばいくらでも調べられるし、生徒が思っている以上に、何でも知っているのよ」

「はい。それは……、多分わかってます」

「こういう手は、一度切りよ」


 つまり、見逃されたのだ。

 俺は息を吐く。安堵のものだった。


「……生徒会選挙は、どうなりますかね?」

「三条ゆえさんは途中で外れる。それと……、橋口さんも。まったく別の人がなるでしょうね」

「……まあ、そうなりますよね」


 菜穂は首を振る。


「上出来よ。きっと、もっと良い案もあったかもしれない。けれど、結果論で見れば、これでいいの」


 よく頑張ったね。

 菜穂の言葉に俺は視線を逸らした。


  ♡


 生徒会選挙は無事終了した。

 その相手は俺の知らない男子だった。橋口百合と三条ゆえは参加していない。ちゃっかり、俺は三条ゆえが出席しているのを見た。いじめは不問とされた。というより、有耶無耶になった。元々、この奇策がそれを狙っていたはずだったのに、どことなく居心地が悪い。

 生徒会が決まったことで、橋口百合の女王時代は終わりを迎えることになる。


 そして。


『――黒猫クン、生徒会室に呼び出しがかかっております。至急、生徒会室まで来てください』

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