リベンジマッチ

 俺の足は学校の屋上へ向かっている。

 何故、その場所に動いていたのか。自分でもよくわかっていない。ただ、そこに行けば会えるという根拠もない直感があった。

 実際、彼女はいた。


 才原音子。謎の少女。


 才原音子は俺の姿を目にとどめて、小さく目を見開いた。そして、変わらない笑みを作る。そうすることで動揺を押し殺しているように見えた。

 ……いや、そもそも、この少女は謎であるが、俺たちと変わらない。謎の少女というレッテルを張り、俺が彼女をよく見ていなかった。


「――よぉ、才原」

「不登校児がなぁに?」

 

 才原音子の言葉に笑う。不登校は三十日間以上の欠席から不登校と呼ばれるのだ、とは言わない。〈俺〉はそれを知っている。けれど、それをここで言うのは間違っている。

「色々と心配をかけたようで」

「心配はしてないよ。ただ、こっちはワケが分からないことだらけで説明を要求したいだけ」

「説明してやりたいのは山々なんだが、こっちも後一回しかチャンスが無くてな。困ってるんだ」

「……はい?」

 才原音子は固まり。


「はぁっ!?」


 爆発したように(という比喩表現を使うのは少々アレだが)驚いた。

「は、はぁ? あと一回? 嘘でしょ?」

「大マジ。ヤバいよな」

 ヤバいのはわかりきっている。ただ、それをプレッシャーのようには感じていない。ここまでの落ち度は自分のものだ。〈俺〉のものだ。泥臭くて、卑怯で、心が狭くて、腐った自分が作り出した積み重ねに過ぎない。

「この回でケリをつけたいんだ。橋口百合と、森山和奏の物語を。そのためには、お前の協力が必要だ。才原」

「ちょ、ちょっと待って……、えっと。ん? わたし? ここで? 今さら」

 そう、今さらだ。


「――俺は全員救いたいから。ひとまず、橋口百合の物語を終わらせたい。協力してくれ」


 才原音子は茫然としている様子だった。

 いや、いやいやいや――、首を振るい、それでも考え込むような顔をした。

「本気?」

「本気だよ。今度こそは」

「今さらでしょ」

「そう、今さらだ」

「全員なんて無理だよ。この世界はそんなじゃない」

「んなのわかってる。わかりきっている」

 ここは多分、俺の世界じゃない。もちろん、〈俺〉のための世界でも。


 ここが『ヤンデレラ』というヤンデレゲーの世界である限り、世界の中心には森山和奏がいる。彼女のために世界は存在している。けれど、この世界に生きている人間もまた、確かなものなのだ。NPCでもない。感情をもった、確か。

「舞台を整えたい。だけど、俺一人じゃ無理だ」

「わたしを追加したところで、だとは思うけど」

「ああ、だから、もう一人ほしい」

「誰にするつもりなの?」

「それはもう、決めている。そいつは――」

 彼女の名をいう。今度こそ、才原音子は言葉を失っていた。


  ♡


 インターホンを押す。

 ここが最初の関門だった。あるいは、この時点で挫けることも考えられた。プツ、という音が響く。ああ、繋がった。そう思えた自分に安心した。

「黒猫だけど」

『……』

 彼女はすぐに応えない。警戒しているのか。もしくは既に愛想を尽かしているのか。わからない。この回で、俺はまだ彼女と一度も話していない。

「話があってきた。大事な話だ」

『……』

 プツリ。扉の鍵が開かれる。だが、開いた本人の気配は遠ざかっていく。俺は家に踏み出した。その扉を開いたのだ。

 冷たい空気が漂っていた。それが俺を拒んでいるように見えた。察してくれ。この空気から立ち去ってくれ。そう叫ぶように。

 彼女は、部屋だろうか……。


「森山。聞いてくれ」


 俺はその部屋を目指す。

はごめん」

 ごめんで済む問題ではない。そんなことわかりきっている。俺がしたことは最低だった。俺は彼女に爆発を強制させたのだから。

「独り善がりの感情をぶつけて、ごめん。自分のことばっかり考えてた。〈俺〉のことだけ、考えてた」

 部屋の扉が見えた。

 そこは固く閉ざされている。


「森山。これから突拍子もない話をする。けど、俺の本音だ」


 俺は話す。

 俺が転生した存在であるということを。

 それを森山和奏に話す意味。それはもしかすると破滅へ導くためのものなのかもしれない。わからない。わからないが、俺は〈黒猫〉じゃない。〈俺〉は〈俺〉だった。そして、これまで森山和奏が接してきたのもまた、〈俺〉であった。この世界の森山和奏にとって〈俺〉=〈黒猫〉だった。

 正体も知らないまま、彼女と向き合えない。



「お前は、何言ってんだこいつと思うかもしれない。転生したなんて、お前にとっちゃファンタジーそのものだから。でも、俺は、お前と本気で向き合いたい。向き合わなきゃいけない。俺は、俺として、この世界に向き合いたいって思った」



 俺は今、橋口百合の物語に触れている。

 彼女の一面を知り、キャラクターでしかなかった彼女の、を垣間見た。俺は救いたかった。自分は主人公じゃないかもしれないけど。〈黒猫〉のように上手く立ち回れるかなんてわからないけれど。俺は、この物語を生きたいと望んだ。


「俺を助けてくれ、森山」


 頭を下げる。


「どうしようもない俺を助けてくれ。お前の力が必要なんだ」


 暫くの無言。

 鼓動の音があった。俺のものか。森山和奏のものか。混ざり合う音。そこに入る、彼女の声。


『じゃあ、わたしは誰を愛せばいいの?』


 扉先から聞こえた声はとても弱々しく、今にも消えてしまいそうに思えた。絶望し切った人間の声。


「……わからない」


 根拠もない共感。

 意味のない肯定。

 俺はそんなことをしたくなかった。

 彼女と向き合えていないように思えたから。


『わたしが好きなのは、今目の前にいるあなたかもしれないのに?』

「わからない」

『……最低』

「わかってる」

『最低だよ』


 やがて、沈黙。

 最低。俺は最低だ。


 ――無理に決まってる


 才原音子はそう言った。

 協力者の一人に森山和奏を入れるのは絶望的すぎる、と。俺もそう思う。戦略的に考えても間違っている。だが、ここは乗り越えなければならない場所だった。たとえ橋口百合を救えたとしても、森山和奏は救われない。全員を救うためには、ヤンデレラのハッピーエンドには足りない。

 だから。


 扉は、開かれる。


 彼女は、――森山和奏はいた。


「いいよ、共闘しよう」


 森山和奏は俺を見ていた。

 確かな〈俺〉を見据えているようでもあった。

 けど、と。彼女は続ける。


「ちゃんと向き合って。今度から、わたしをちゃんと見て」


 俺は頷く。


「ああ、もちろん」

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