黒
――他者の愛を望んでばかりの……、私と同じ。
けれど、真理だった。
俺は〈黒猫〉を妬んでいた。あの瞬間、春川陽菜乃という人間を通して思い知った。自分はどこまでも〈俺〉に過ぎず、〈黒猫〉にはなれない。
〈黒猫〉だからこそできたことが、俺にはできるはずがない。
この世界は地獄だ。
ただ俺の力不足を、無力さを突きつけられるためだけの場所だ。俺は何の為に転生した? どうして〈黒猫〉にならなければならなかった?
百合に拒絶されたことで俺の役目はほとんど終わりを迎えた。……というより、もはやゲームオーバーなのだ。俺は後日談を生きている。
才原音子はよく俺に話しかけてきた。その一途さには違和感を覚えた。どうしてこれほど才原音子は俺に構うのだろう。森山和奏に会いに行けというのだろうか。
彼女の中にあった切実な想いに感化された――とは言いにくい。ただ、俺は久方ぶりに森山和奏に会いに行くことを思い立った。
ただ、俺は森山和奏の家を知らなかった。
これについて、新しい情報もある。
誰かに尋ねても、森山和奏の家を知っている者はいないのだ。
――森山さんって、一人よね
そういえば。
陽菜乃がいつだったか。そんなことを言っていた。あれは事実だった。今の森山和奏の状況がそれを示唆している。
あんなふうに孤独であることに、意図はあるのだろうか――?
結局、俺が頼ったのは才原音子だった。
「うん、知ってるよー」
期待通りの答えと言える。
「ようやく顔を見せに行くんだ」
「まあな」
「……ふぅん?」
才原音子は俺の顔を覗き込んでいた。俺の内心を疑うように。俺は引き攣った笑みを作った。
「なんか、唐突な感じがするけど」
「いいだろ。別に」
「……まあ、それもそうか」
才原音子は森山和奏の住所を教えてくれた。何故、彼女の住所を知っているのか。そこまでは踏み込まなかった。
俺は才原音子に礼をいい、離れようとする。その寸前、名前を呼ばれた。それは奇妙なあだ名でも、黒猫でもない。俺自身の名だった。
「森山さんのこと、任せたよ」
「……ああ」
森山和奏の家は何の変哲もない一軒家だった。表札にあった森山を眺めていた。
インターホンを押した。押した俺の方からは音が聞こえない。暫くの間、俺は家の前で突っ立っていた。
遅れて、プツッ、と繫がる。
『……はい』
その声だけで誰のものかわかった。
「俺だよ」
『……え?』
「黒猫。会いに来た」
『え、あ、う、え、ああ、あの。え』
バグり始めた。ひゅう、と大きな呼吸音が聞こえた。どうやら深呼吸をしているようだった。
『……今、開ける』
扉が、かちゃりと開く。
♡
会っていない時期はどれほどだったか。見ないうちに森山和奏は痩せていた。
森山和奏は恥ずかしそうに部屋まで案内した。家族の姿は見えなかった。家は森山和奏一人らしい。
部屋は簡素だった。質素と言えた。
その部屋に、俺は激しい違和感を覚えた。こんな、部屋だっただろうか。森山和奏を表す部屋にしては、何も無い気がした。あまりにも、物が無さすぎる。
「黒猫くんがここに来るの、初めてだね……」
「ああ」
森山和奏は笑みを浮かべていた。
てっきり、怒っているものかと思っていた。しかし、見る限りその様子はない。
……ああ、そうか。
少し勘違いをしていた。森山和奏はループした記憶を持っている。が、その事実を俺が知っていることに気付いていない。意図的に、森山和奏は隠していたのだ。その理由は? どうして?
さあ、別に、どうでもいい。
「最近、休んでるな」
「うん。ちょっとね」
「そうか……」
「うん」
空気が何かに蝕まれていた。
そう、実感した。
「それで、学校には来れそうか?」
「うーん。ちょっとね」
森山和奏の答えは曖昧だった。今すぐにも話を終わらせたい。けれど、時間は長く引き伸ばしたい。そんな矛盾がせめぎ合っている。
「それより、黒猫くんはどうしてウチに?」「ああ、それな」
俺は一瞬、本当の笑みを作った。
卑しい、〈俺〉の笑顔。
「――俺を、殺してくれないか?」
「…………は?」
「お前、記憶があるらしいな。前回の。いや、これまでの」
森山和奏の目がカッと見開かれた。
どうして。なんで。そう、口が動いた。
「もううんざりなんだ。この回も、これからも。この世界にも。だから、俺は死にたい。もういいだろ? お前、爆発してくれよ」
「……な、んで、」
森山和奏は首を横に振る。
「俺はもう、無理だ」
「なによ、それ……」
「だから、森山」
「どうして、そうなるのッ!」
光は膨張する。
俺は森山和奏を見ていた。彼女の起爆剤となるのは感情の振れ幅だ。今、森山和奏は爆発しようとしている。それはもう、彼女自身にも止めることはできない。
「ひどい……、黒猫くん、ひどいよ……」
「俺は……、〈黒猫〉じゃない」
何者にもなれない。
「俺は、俺にしかなれない。無能者だよ」
くしゃりと森山和奏の表情が歪む。
「――それでも。わたしにとって。あなたはたった一人の人なのに?」
――それは。
答えるよりも先に。
光は弾け、視界は真っ黒になった。
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