被害者ぶるな

 俺は百合のもとで補佐として働くようになった。

 仕事が与えられれば、せっせと受け入れる。その毎日を過ごしていく中で、徐々に百合は笑顔を浮かべるようになった。

 たった二人しかいない生徒会室。

 改めて、百合の孤独を感じた。その孤独を、俺はよく知っていた。――ああ、わかる。わかるよ。だって、誰にも見られない、キャラクターみたいな生き方は御免だ。

 俺は百合の理解者になれる。


 罵詈雑言とも言える嵐の中、そっと支え合う二人。目の前にあった落書きがされたビラ。百合の顔を黒く塗り潰し、卑猥な言葉を書き連ねる。

 ここ最近はいじめが表面化していた。それこそ、周りの目から十分に明らかになるほどに。

 ビラを剥がすとぐしゃりと潰した。


「それ、意味あると思いますか?」


 不意に隣から声が掛かる。

 俺は声の方に振り向いた。そこに、小柄な少女――、生徒会長候補者がいた。名は、三条ゆえ。

「あんた、暇なの?」

「暇じゃありません。失敬な」

「失敬って。普通言わねえよ」

 三条ゆえは俺が潰した紙を見ていた。

「どれだけやっても、減りませんよ。むしろ、これからどんどん拡散していくでしょう」

「なら、止めろ。あんたならできるだろ?」

「止めませんよ。わたしが望んだ展開なんですから」

「……」

 俺はすっと身体が冷たくなっていくのを感じた。――なんだろうか。酷く苛立ちを覚えた。誰も彼もが、あのキャラクターを潰そうとする。そのキャラクターを、偶像を作ったのはお前たちのはずなのに。

「黒猫さん、わたしの仲間になりませんか?」

「……は? 冗談だろ?」

「冗談じゃありません。本気です」

「ふざけんなよ」

「ふざけてなんかいません」


 


「あの偶像に騙されないでください」

「お前たちが、その偶像を作ったんだろ?」

「ええ。一部ではそうかもしれない。けれど、彼女だって、橋口百合だって、そのキャラクターを望んだ。望んだ結果、自爆したんですよ」

 あの人は恐ろしいです。とても、とても。――震えるように三条ゆえは言った。

「全員が全員、彼女の偶像性を理解するとは限らないんですよ。は普遍的な人にとって、とても輝かしく敬えるように見えてしまう。――けれど、できない者達、見捨てられた人達、無能な者達にとっては、毒なんです」

 わたし達は毒に犯された。

 アレは、わたしたちを追放した。


「あなたは、普遍的な人であるから、わからないのです」

「ふざけんな。俺が普遍的なわけあるかッ」


 声が、震えた。

 俺自身が動揺し、怒り狂っていた。だが、三条ゆえは逃げない。逸らさない。強い人だった。

「――わたしは、できないと自覚する、無能の代表者です。黒猫さん、あなたもそうでしょう? あの女王に偶像を背負わされたままでいいんですか? わたしと一緒に、あの女王を蹴落としましょう」

 すぐに。

 口から拒絶の言葉が出るだろうと予感した。しかし、それは出なかった。すぐに出ない自分に驚いた。


 ――橋口百合もまた、俺を偶像視している。


 誰も、彼も、〈俺〉を見ない。

 その事実が重くのしかかる。

 何度も、何度も、何度も。

 だって。

 俺は――、一度死んだから。


  ♡


「――――――――――黒猫くん、」

 三条ゆえの姿は消えていた。俺が何を答えたのか、どんな反応を示したのか、それらの記憶がすっぽりと抜けてしまっている。

 いつの間にか、俺の前に森山和奏が立っていた。そこでちょうど、自分が百合のもとに帰ろうとしていたことに気付く。

 森山和奏は、俺の進路を阻むように立っていた。

「ねえ、黒猫くん。最近、全然一緒に帰ってくれないじゃん」

 彼女は機嫌が悪かった。

 そういえば、あの週末のデートも結局無下にしてしまった。

「……そうだな」

 ふいっと、視線を外す。

 その態度が気に食わなかったのか、森山和奏の声音に棘が生まれた。

「なにそれ。なにその反応? わたしを置いてけぼりにしてさ。あの女のもとばっかり通ってて。それでその態度?」

「今は忙しいんだよ」

「忙しい? あの女といちゃこらしてるだけでしょ?」

「……お前は、橋口先輩がどんな状況だか、知って言ってんのか?」

 森山和奏は一瞬声を詰まらせた。引き攣りかけた表情を、彼女は無理やり笑みを作らせる。

「ああ、あの女、なんか色々と言われてるらしいね。でも、知ったこっちゃない。今大切なのって、わたしと黒猫くんのことでしょう?」

「全然、全く、これっぽちも大切じゃねえよ」

「……は、はぁっ?」

 森山和奏は顔を真っ赤にさせた。

 感情を自分でコントロールできていない。まるで子供だ。子供以下だ。

 そして、俺も子供だった。


 俺は我慢した。

 何度もしていた。この『ヤンデレラ』にも、失望し、それでも森山和奏をどうにかしようとした。その結果が今だ。どうして、こんな女の為に命を張らなきゃいけない。どうして、俺はこんな目に遭っている。


 ――わたしたちの未来のことだよ。わたしたちの幸福こそが、正しさだよ


 ……なワケあるか。

 お前の未来の為に、なんで他の誰かが傷つかなきゃいけないんだ。

 そもそも、お前はいうほど傷ついているのか。陽菜乃の気持ちも、百合の状況も、〈俺〉のことだって。お前は、何も知らないだろう。

「俺は、お前が、

 我儘をいうお前が嫌いだ。

 爆発するお前が嫌いだ。

 ヤンデレなお前が嫌いだ。

 何もかもを、そうやって。


「――被害者ぶるなよ、森山」


 森山和奏の表情は青褪めていた。

 それは怒りを通り越して、酷く、本当に深く傷ついた顔だった。そこで俺は初めて気付いた。自分のしでかしたことを。


「黒猫くん。わたしは……、わたしは、そんなつもりで――」


「おい、森山――」

「そんな、つもりじゃなくて。でも、、いつだって。わたしは駄目で。けど、あなたなら――、そうだって。知っているから――、なのに。なのにッ!」

 彼女の身体が光り出す。もうここまで来たら止めることはできない。俺は固まっていた。彼女は俺を、俺を通した何かを見ていた。


「嘘つきッ! 嘘つき嘘つき嘘つきッ! ――なんで、ここはッ!」


 視界が白く――

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