√07

少女もまた、覗いているのだ

「――あなた、?」


 意識は急速に戻り、俺はその場所に帰ってきた。重力が俺の身体にのしかかり、自分の立った位置が変化していることに気付く。

 身体に吹き抜けるは風。――ここは屋上だ、と気付く。何よりも目の前の少女がそれを証明していた。

 才原音子。不思議で、不可解で、不可思議な少女。

 才原音子からの問いに俺は答えることができなかった。ずきり、と頭が痛む。

「俺は――……」「え、マジ?」

 俺と才原音子の台詞はほぼ同時だった。

 才原音子は驚いた顔で俺を見ている。


「――?」


 俺は頷かない。才原音子から視線を外した。これから始まること。俺はそれを知っている。今回は長い期間で戻ってきた。

「……後、二回だ」

「は?」

 才原音子にしては珍しい反応だ。

 俺は自嘲するような言った。


「俺の命は、後二回の爆発で終わる」


  ♡


 流れはこれまでと同じだ。

 ただ事前知識がある分、立ち回りを変えることができる――はずだ。前回の俺は森山和奏との対応に失敗した。感情を爆発させてしまった。だが、今はそうではない。俺ならできる。俺なら乗り越えられる。

 だって俺は〈黒猫〉だから。

 俺は菜穂に呼び出された。前回と同様、友人たちのからかいに見送られながら、俺は菜穂のもとに急ぐ。

 今回は既に百合のいじめについて理解している。このいじめを解決することが重要だ。森山和奏の対応はその後だ。

「――ねえ、貴方。何かあったの?」

 菜穂は俺の前に顔を見せると、そんなことを言い出した。俺は首を振り、困惑の表情を作った。

「なにが、ですか?」

「とても、怖い顔をしている」

 怖い顔。反射的に自分の頬に触れていた。冷たかった。引き攣っていた。俺はこんな顔をしていただろうか。

 俺は、どんな風に振る舞っていたのか。

「何でもないですって」

「……そう」

 菜穂は暫くの間、話をすることなく俺を見据えていた。

 奥底まで――〈俺〉という存在まで見透かされているような気がした。視線を逸らしたのは俺の方だ。菜穂は小さく息を吐くと本題を口にした。

 それは応援演説者の依頼だ。

「――どうして、俺が橋口先輩の応援演説に?」

「それは……、貴方が橋口先輩と比較的に仲が良いと判断したからよ」

「違いますよね?」

 俺の言葉に菜穂は一瞬、息を呑んだ。疑うような視線が僅かに含まれていた。

「そう……、貴方は、知っているのね」

「はい。だから、俺が応援演説者を引き受ける代わりに、橋口先輩の対応をすぐにでもしてほしいんです」

「それは難しいわ」

「橋口先輩が認めないからですか?」

 あの人が、偶像だからですか?

 ――違うわ、と菜穂は断言した。思いの外強い言葉に俺は口を噤んだ。

「……あの子はきっと」

 菜穂の声が弱まり、躊躇いが生まれた。そこには真実の匂いがあった。ときに真実は人を傷つける。それゆえに躊躇う気配。

 だが、彼女は言った。


「――弱いのよ、あの子は」


 誰よりも、幼い女の子のように。


  ♡


 橋口百合との時間を過ごす。

 俺の目的は定まった。彼女を支えること。今はそれを行う必要がある。

「黒猫クン、随分と積極的よね。誰かに何かを入れ知恵された?」

 不意に、百合がそんなことを尋ねたことがあった。

「はぁ、何がですか?」

「黒猫クンって、普段。やる気を見せないわよね? というより、やる気という概念があるの?」

「え、俺、貶されます?」

「半分」

「半分!?」

 くすくすと百合は笑った。

 俺が見ている限り、彼女は橋口百合としてのキャラクターを崩していない。俺はそれが気に食わない。百合はもうキャラクターに依存してしまっているのではないか。そう思えてならない。

「ねえ、黒猫クン」

「はい?」


「――誰かに頼まれているわけじゃないわよね?」


 ゾッとした。

 俺は百合を見ていた。しかし、彼女も俺を視ている。その視線が驚くほど棘があるように思えたのだ。一瞬、退いてしまうほどに。

「そんなわけないですよ」

「……そう」

 百合はすぐに仕事に戻った。

 俺はそこに、偶像の歪みを見た。

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