キャラクター

 現生徒会長・橋口百合の仕事ぶりは鬼神のようであった――と、表現する。

 俺は殆ど彼女の仕事を眺めているだけだ。その間、この生徒会室を掃除するだけ。

 彼女は完璧だった。持つべき理想と、そのために備えた実力があった。俺は少し退いた。彼女の凄さは、常人では計り知れないものがある。

 もしかすると、こういった点が『ヤンデレラ』のゲームとしての性質を残している部分なのかもしれない。

 ただ、やはり気になる点も残されている。

 橋口百合は未だに一人だった。

「――ねえ、黒猫クン」

「はい?」

「このプリントをそれぞれの掲示板に貼りに行ってもらってもいいかしら?」

「あ、了解です」

 ようやく俺にも仕事が回ってきた。

 渡されたプリントは交通安全を促すものだった。二十枚ほどありそうだ。俺は生徒会室を出て、手早く廊下に張り出していく。

「――お、オトくん。ご苦労様〜」

 才原音子がいつの間にか俺の横にちょこんと立っていた。俺は張り紙に視線を向けたまま答えた。

「お前はいつでもどこでも現れるな」

「そんな、照れるよ」

「褒めてねえ」

「ツれないな、オトくんは」

 一枚、また一枚と貼っていき、学校中を歩き回る。そんな中、才原音子は俺の隣を付いてきた。

「なに、付いてくんの? 友達いないの?」

「■■くんと一緒にすんなよー」

「いや、違うわ。友達ぐらいいたわ。つうか、怖い。なんで知ってんの?」

「なんででしょうねー」

 そう言いつつも、俺は才原音子に拒絶感のようなものを抱いていなかった。最初のイメージとはガラリと変わっていると言っていい。

 それは、多分。

 才原音子は少なくとも〈俺〉を見ているからだ。〈黒猫〉としての俺ではなく、確かな〈俺〉を知っており、見据えているから。

「そうそう、森山さんのことなんだけど」

「……ああ」

 やや声が低くなる。

 あまり考えたくないことだ。

 いくつかの古い掲示物を剥がし、代わりに新しいプリントを貼り付けていく。その中には生徒会選挙を巡る資料も含まれている。

「そろそろ、爆発しちゃうよ?」

「……そんなことまで知ってるわけか」

 動揺は手を伝い、掲示物の一つが落ちた。

 足元にするりと着地する。

「それはもちのろん。ねえ、どうして森山さんを放置しているの? 放置プレイのつもり? ならやめたほうが良いよ?」

「違うわ」

「森山さんに優しくしないと駄目だよ」

「……なんで、お前が森山を気にするんだ?」

「それは質問と捉えていいんだよね?」

 俺と才原音子は互いに視線を合わし、逸らそうとしない。ここで逸らしたら負けだ。何に負けるのか、それ自体は理解できずとも、本能は訴えている。

 才原音子は笑う。

「この世界は、彼女の世界だからだよ。オトくん。あなたの世界じゃない」

 この世界――つまり、『ヤンデレラ』。

 ここは、ヤンデレラが幸せになるための物語だ。才原音子は見抜いているのかもしれない。俺がこの世界を拒絶しようとしていることを。

「じゃあ、次の質問はわたし」

 ずばりッ、と彼女は俺に指差しをした。俺の鼻の先端に突きつける。


「オトくん。あなたは、森山さんのことが好き?」


「――好きじゃない」

 ふぅん、と才原音子は呟く。

「嫌い、とは答えないんだね」

「そう答えてほしかったのか?」

「ううん。良い傾向だな、って思っただけ。――わたしは、オトくんと森山さんに付き合ってもらいたいからね」

「……あっそ」

 俺は足元に目を落とした。

 剥がれていた掲示物。――清き一票を! 橋口百合を生徒会長に。そんな言葉が盛大に書かれたもの。 


 ――くたばれ、アバズレ女


『……』

 俺たちの間で、沈黙が走る。

「……そういえば、現生徒会長、良い噂、きかないね」

「現生徒会長って……、橋口百合が?」

「そうだよ」


 ああ、そうか。しているんだっけ。

 ぽつり、と。零す。


「――勘違い? 何が?」

「森山和奏はメインヒロイン、その他はサブヒロイン。なんか、そういう風に格付けしてない? オトくんは」

「……それは、」

「その考え、やめたほうが良いよ。痛い目見ることになるから。――この世界はどうしようもない、現実の一つだよ。そこにいる人も、彼らもまた、生きた人間なんだ。キャラクターなんかじゃないんだよ」

 俺はくしゃりと、紙を潰している。


「――誰も彼もが、あなたのことを好きでいるとは限らない」


  ♡


 掲示物を貼り終えて、生徒会室に戻る。

 才原音子はいつの間にかいなくなっている。まるで台風みたいな奴だ。言いたいことだけ言って、謎だけを残して去っていく。

 俺は舌打ちをした。無意識の内に出ていた。気持ちが荒れている。

 生徒会室の扉を開ける寸前、声が響いた。


『もうすぐで貴女も終わりですッ!』


 ビクリと肩を揺らす。

 遅れて、扉が開いた。中から小柄な少女が出てくる。兎みたいな、可愛らしい少女。その表情はピンと張り詰めている。

 俺ともろに鉢合わせすることになる。少女は目を見開いた。

「貴方は――」

「……ども」

「……クロネコさん、ですね?」

「はぁ、そうですが」

 少女は不敵に笑う。何だか、必死に背伸びをした子供みたいだ。

「わたくし、三条ゆえと申します。貴方と同じ、二年生です。クラスは違いますが」

「ああ、そうなの?」

「貴方のことは、よく存じております。――女王のお気に入りだとか」

 含みのある言い回しに眉をひそめた。俺は何かを口にしようとした。だが、それよりも早く、三条ゆえは言った。

「クロネコさん。一つ忠告します。貴方、橋口百合から手を引きなさい。利用されてますよ?」

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