〈黒猫〉
俺と才原音子は対峙する。
たった今、才原音子から放たれた言葉に衝撃を受けているところだった。信じられない。――いや、あり得ないと言っていい。この世界でその名を知っている人間はいない。そもそも、その名はこの世の名前ではないはずだから。
それなのに、彼女は知っている。
「……何のことだ?」
「嘘が下手だね、■■くんは。顔に出てるよ」
「……」
俺は殆ど睨みつけていた。彼女はまるで気にする素振りを見せず、くるりとターンした。やがて、俺に視線を合わせると、にっこりと微笑んだ。
「ねえ、■■くん。話をしようよ」
「……ああ、してもいいぜ。けど」
この女の手口は……、すぐにわかった。
俺の動揺を誘っている。そうすることで俺が取り乱すと思っているのか。ただ半分は成功した。だが、もう半分は失敗している。
才原音子が怪しい存在であることは事前に承知していた。ただその存在が想像を超えていた。――ただ、それだけとも言える。動揺さえ殺せば、先に話は進める。
「その名で、俺を呼ぶな」
「うーん、それはどうして? あなたの真の名じゃないけれど?」
「今の俺は、〈黒猫〉なんだよ」
「黒猫ねぇ……」
くすくすと才原音子は笑う。
「でも、その名前で呼ぶのはわたし的には抵抗があるんだよね。知っている者だからこその葛藤っていえばいいのかな?」
「んなこと知るか」
「じゃあ、こうしよう。オトくんと呼ばせてよ。あなたの本当の名前からもじった感じで」
「……ちっ」
俺は返答しなかった。が、才原音子にとってはそれで十分な肯定と受け取れるようだった。
「それじなあ、オトくん。話をしよう」
「お前は誰だ?」
「ノンノンノン。ナンセンスだよ、オトくん」
早速、才原音子から突っ込みが入る。
「せっかくの話し合いだよ? そんなんじゃあ、質問攻めで終わる。だから、一問一答で応えようよ。お互いの親睦を深めて、さ」
「……」
「最初ぐらい、オトくんに花を持たせよう。――わたしの名前は才原音子だよ。はい、じゃあ、わたしの番だけど」
「は、おい。待てよ」
「わたしは――、んー、なによぉ?」
「なにもクソもあるか」
完全に才原音子のペースに乗せられている。こんな小娘相手に――……、と悔しい感情が湧き立つ。
だが、揺るぎも見せない才原音子はまったく悪びれもせず言う。
「オトくんの最初の質問はわたしが誰か、でしょう? だから、わたしの名前を答えたんだけど? 文句あります?」
ああ……、確かに文句は言えない。ただ、やり方が随分と小狡い。
証明終了、と言わんばかりに才原音子はわたしの質問は――……、ともったいつけた間を作る。
「それじゃあ、本命は誰?」
「……はい?」
「ほら、今いる女の子達だよ。春川陽菜乃――は、もういないか。橋口百合、宇佐見美夕、霧峰菜穂、森山和奏。さぁて、誰?」
「おま、急に。なにを――」
「え、オトくん。嘘でしょ? もしかして、わ・た・し――?」
「……」
退いた。マジで退いた。
この女だけはない。本能的に理解している。……なぜ?
「まあ、オトくんの好み的には宇佐見美夕かな」
「おい」
なんで俺の好みを――、ではなく。
俺は口を開きかけた。が、途中でやめる。才原音子は挑発するように俺を見ていたからだ。ほら、次はあなたの質問の番だよ。そう、誘われている。
「お前は……なんの目的をもって俺をここに呼び出した?」
「話がしたかったから」
「抽象的だ。意図を聞いてるんだ」
「なら、そう言ってくれないと」
才原音子は笑う。流石にフェアではないと感じたのか、ひとしきり笑い終えると続けた。
「あなたが、わたしと同じ立場の人間だから」
……つまり。
才原音子は、〈俺〉と同じなのか。完全に解釈しきれない。だが、才原音子は〈俺〉のように、この世界の人間ではないのだ。
「じゃあ、次はわたしね。ねえ、オトくん」
たっぷりと時間をかけて口にした彼女は、問う。
「――あなた、
♡
……そこまで、知っているのか。
俺は驚きを通り越していっそ清々しさを感じていた。だからだろうか、素直に答えることができていた。
「――六回目だ」
「え、まじ?」
才原音子は目を見開いた。初めて彼女の感情を見た気がする。
「やばいよ、それ。■■くん」
動揺しているためか、オトくんという名を使わなくなっている。
「は?」
「あのね、……■、じゃなくて、オトくんさ。その力、何の代償もなく使えてると思っているの?」
「――――――――――――――は?」
一瞬の空白。
それと同時にやって来たのは恐怖だ。今から、才原音子はとんでもないことを口にしようとしている。
「ねえ、こんな話、聞いたこと無い?」
語るように、紡ぐように、彼女の口から零れる――、俺を揺るがす言葉。
「猫の魂は九つある――って」
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