臆病者

 手紙を手で遊びながら、俺は図書室に向かっていく。この手紙の内容――、才原音子について考えた。

 しかし、なかなか想像ができない。

 あの者が誰なのか。その正体に薄気味悪さを覚える。

 図書室に足を踏み入れると、いつも通り美夕が本を読んでいた。俺に視線を向けたが、それは一瞬のこと。すぐに目を逸らされてしまう。俺はそれに応えず、彼女の隣に座った。座った後に、ぎぃ、と椅子を僅かに離す。

「よぉ」

「……は、はい」

 俺たちはぎこちない挨拶をした。

 こんな風に俺たちの関係が風前の灯火のように揺らぎ始めたのはある会話、あるきっかけのせいだった。

 ――黒猫くんの側に、わたしはいますから

 ――……な、なんか。告白みたいだな

 俺は美夕をちらりと横目で窺う。


 ――告白と、受け取ってもいいです


 あの言葉の真意。

 そこに何が込められているのか。俺は容易に読み取ることができた。そのうえで、俺は否定しなければならない。そんな想いを、〈俺〉に向けるな。

 俺は〈黒猫〉じゃない。

 俺はそんなんじゃない。

 だから、見ないでくれ。

 そんな目で。

 俺を。

「黒猫くん?」

「――ん、ああ?」

 俺は咄嗟に笑みを作った。それでも美夕は怪訝そうに俺を見ていた。気取られてしまったのではないかと危うんだ。だが、彼女は何も言わなかった。

「最近、黒猫くんのクラスに転校生が来たらしいですね」

「ん、そうそう」

「女の子なんですよね。可愛かったですか?」

「最初に聞くのがそれかよ」

「でも、気になりますから」

「あー、可愛いかと言われるとなぁ。愛嬌がある感じで、……そう猫っぽい」

 名前も音子。見た目も猫っぽい。偶然かはさておき、名は証明している気がする。

 俺はすっと視線を外した。図書館の掲示板に見覚えのある紙が貼られていた。生徒会選挙についてだった。

「あれ、生徒会選挙……」

「はい、来月ですよね」

「そんなイベントもあったな――……」

 思い浮かんだのは百合のことだった。百合も参加するのだろうか。三年生最後の大舞台とも言える。


 ――しね、クソビッチ


 ちらつく残酷な言葉に顔を顰めた。

 先程からわからないことが多すぎる。俺は無理やり話を変えることにした。逃げてばかりだ。

「うちの高校はイベントごとが多いよな」

「はい。生徒会選挙の次は文化祭ですもんね」

「文化祭か……」

 時間は何気なく過ぎていく。

 それでも俺は決して、踏み込もうとはしなかった。美夕を見ているようで見ていなかった。それは向こうも同じだ。彼女は俺を見ているようで、〈俺〉を見てはいないのだから。


  ♡


 さて、放課後である。

 俺は手紙を持ち、屋上へ向かおうとした。その寸前、森山和奏に止められる。

「ねえ、一緒に帰ろう?」

「いや、やることあるから。今日は先に帰ってくれ」

「やること? ――黒猫くんの予定、今日は何もなかったよね?」

「なんでお前が俺の予定を把握しているんだよ」

「それはもう黒猫くんのことならなんでも」

「やめてくれ。冗談に聞こえない」

「あははっ、冗談って。そんなことないでしょう?」

 だからそれが怖えんだよ。

 俺はどうにか本当のことを誤魔化しながら森山和奏を撒いた。森山和奏は苛立ちを隠さなかった。最近、爆発は起きていないが沸々とフラストレーションを溜めている気がする。どこかで解放しなければマズイかもしれない。だが、そうして交流を積み重ねるたびに、俺は森山和奏に呑まれているようにも思えてしまう。それは酷く怖いことだ。

 俺もまた『ヤンデレラ』のキャラクターに過ぎないことを再認識しなければならなくなるからだ。

 屋上へ足早に向かう。

 森山和奏との話で時間を取られた。才原音子は既に待っているだろう。

 階段を駆け上がり、屋上の扉を開いた。

 風が身体を吹き抜けた。

「――どうも」

 才原音子は待ち構えていた。

「よぉ」

「来てくれないかと心配したよ」

「いやいや。俺も話したいと思ってたんだ。ちょっと遅れて悪かった」

 才原音子は俺の言葉に目を丸くした。

「……ふぅん。なんか、違うね」

「何が?」

「ほら。この好条件を見てよ。屋上、男女二人、手紙の呼び出し。――ドキドキの告白が始まると思わない?」

「思わない」

「つまんなーい」

 じゃれつくように言う。今度こそ猫みたいな奴だと思う。

 才原音子は本題に入るつもりがないのだろうか。しかし、次の瞬間、肩を落とした。

「まあ、そうは思わないか」

「思わねえよ。つうか――」

 俺から、先手を取る。

「お前、誰?」

 才原音子は首を傾げた。

「わたし? 才原音子だよ」

「いや、そうじゃなくて――」


「何か、変なことかな? ■■君」


 俺は目を見開いた。ひゅぅ、と呼吸が洩れる。その名は。震える体に風は流れる。

 その名は、〈俺〉の名だった。

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