エピソードⅢ

知らないストーリー

 謎の少女――〈安城直子〉の説明をしておこう。

 これは『ヤンデレラ』の隠しキャラだ。何故、隠しキャラがいるのか。それはゲームの性質上にある。エンターテインメントを限りなく楽しめるように、制作者は僅かな『謎』と『伏線』を用意しておく。

 その一つが、この謎の少女なのである。

 もはや物語の粗筋とは関係のない人物だ。あえて、ネタバラシをしておこう。

 この謎の少女の正体は――〈黒猫〉の妹である。

 主人公には母親しかいない。しかし、父親はかつていた。さらにいえば、妹が存在した。父親は妹だけを引き取り、離れ離れになった。妹であった〈安城直子〉は〈黒猫〉に密かに想いを焦がし続けた。それが、謎の少女だ。

 何故、妹とラブコメが起きるのか。そこに突っ込むつもりはない。これは『ヤンデレラ』であり、フィクションだった。彼らは過去の人物だった。

 しかし、今は――この現実では異なる。


 才原音子。


 俺の知らない少女。知らない物語。

 才原音子はあっという間にクラスに溶け込んだ。猫のように愛らしい彼女は男女問わず人気があり、かといって彼女自身が目覚ましい能力を見せることはない。愛嬌の権現。その一言に尽きる。

 俺は疑念のようなものを感じていた。才原音子は自分の力をセーブしているのではないか。この場所に溶け込むための処世術ではないか。

 才原音子について考えていた。

 彼女が何者なのか。

 一つ、嫌な想像が浮かんだ。彼女が何者であるのか。その疑問自体が間違っているのではないか。

 つまり、俺自身の方がこの世界が『ヤンデレラ』であったと勘違いしているのではないか。ここは、現実だ。ゲームではない。だからこそ、本当の意味の謎の少女が現れても不思議ではない――……

 いや、だとしたら、森山和奏の爆発はどう説明がつく――? あれこそ、ただの現実ではあり得ない。ここが『ヤンデレラ』だからではないか。

 ぐるぐると考えていた。答えは出ない。同じところを行ったり来たりしていた。そのため、俺のすぐ近くまで人影が近づいてたことに気付かなかった。

「――黒猫君?」

 怒りを押し込めたような声だった。俺はびくりとして顔を上げた。

 そこに青筋を立てた国語教師――菜穂がいた。

「私の授業も聞かずに考え事かしら?」

「え、いや。いやいやいや――」

 俺は引き攣った笑みを浮かべた。

「菜穂先生が今日もお美しいことで、見惚れていただけですよ、あははっ」

「――はぁ?」

「スミマセン」

 即座に謝った。

 過ちはすぐに認めた方が良い。俺は偉い。

 菜穂は溜め息をつきながら、とん、と机を軽く叩いた。それが彼女なりの叱り方であったのだろう。去っていくと、僅かに教室で笑い声があふれる。その中には森山和奏も含まれていた。

 ある、視線を感じた。

 俺がその方に向けると、才原音子がいた。才原音子は微笑んでいる。その微笑みの裏側に張り付いた何かに、俺は警戒心を覚えた。――森山和奏とは違う異質さがあった。


  ♡


「黒猫君」

 授業が終わり、教室を出ると菜穂が話しかけてきた。なんとなく用件を察した。

「最近、ぼんやりとしていることが多いけれど大丈夫かしら?」

「ええ、もちろん」

「……春川さんのこと、とても残念ね」

 菜穂は俺を見透かしているように映った。俺は笑みを作る。菜穂は僅かに目に翳りを宿し、小さく頷いた。

「何かあったら。私に相談しなさい」

「まあ、わかりました」

「私は本気で心配しているのだからね?」

「……」

 俺は頷いておいた。そうしなければ、菜穂はいつまでも小言を言うような雰囲気があったからだ。彼女と別れ、俺は手洗いに向かう。その途中、廊下にいくつかのビラ配りがあるのに気付いた。床に落ちているものもある。


 橋口百合に清き一票を!


 俺は首を傾げ、ビラを裏側にした。

 連なるような文字に吐き気がした。


 しね、クソビッチ


 ……なんだこれ?

 どういうことだろうか。一抹の不安を抱えながら、俺はビラをぐしゃりと潰し、ポケットにしまい込んだ。

 手洗いを済ませ、教室に戻り席に着いた。そのとき、自分の机に白い紙がはみ出ているのに気付いた。タイミングが悪いことに、あのビラが連想されてしまう。

 森山和奏か……?

 俺は手紙を開く。


 放課後、屋上に来たれ 才原音子


 ……へぇ。そっちから来るのか。

 俺は僅かに身震いした。

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