告白

 俺と陽菜乃は隣同士に座り込んだ。

 どちらもすぐには話し始めない。俺は僅かに視線を天井に向けた。森山和奏は俺の言う事を聞くだろうか。この展開を邪魔しないだろうか。それだけが唯一心残りと言える。

 陽菜乃は小さく呟いた。

 ごめん、と。

 俺は笑った。――何が? と。

「森山に何か言われたんだろ?」

「……うん」

「当ててやろうか?」

「えっ?」

「陽菜乃が何て言われたのか。――俺と陽菜乃の関係についてだろ?」

 陽菜乃は目を見開いた。どうして、と口が動く。俺は苦笑する。この程度のマウントで一体何が変わるというのだろう。何が満たされるというのだろうか。

 俺は小さく息を吐いた。それは長い深呼吸のようにも溜め息のようにも見えた。

「……わたしたちって、昔から一緒にいたよね?」

「……」

「ずっと一緒にいた。ずっとだったんだ。わたしにとって、それは当たり前だった。でも、でもね。幼馴染みって関係は特別だったんだよ」

 ごめんね、と。彼女はもう一度言った。

「わたし、嘘ついてたんだ」

「……そうか」

「お父さんの長期出張。本当は、向こう海外に住まないかって言われたの。今日は――家出してるんだ」

 ぽつり、ぽつりと。彼女は口にしていく。

「なあ、陽菜乃。覚えてるか? 俺たちが会ったときのこと」

「もちろん。忘れないよ」

 忘れない。忘れるはずがない。

 呟くように、この世界に刻みつけるように彼女は言う。だって、わたしはあの時から……。その言葉は最後まで続かず、潤むような気配があった。

「……わたし、クロと離れたくない」

 その瞬間、彼女は俺の方に寄りかかろうとしてくる。そのまま行けば、彼女とキスをすることになるだろう。それが物語の一つなのだ。

 俺は。


 俺は、それを押し退けた。


 陽菜乃の身体を支え、阻んだ。

 陽菜乃の方から息を呑むような音がした。俺は小さく首を振った。陽菜乃の表情に微かなヒビが入ったような気がした。

「……俺は、お前のこと、大切な幼馴染みだと思ってる」

「……うん、わたしも」

 目の前の〈幼馴染み〉はくすりと、無理やり笑みを作った。

「ねえ、クロ。覚えてる?」

「……」

「わたし、初めて会ったとき、人見知りだったんだ。全然人と話せなくて。暗くて。クロがわたしに握手をしてくれたとき。わたし、自分が引っ張られた気がしたの。明るい場所に連れてくれた気がした――」

「……」

「わたしね。わたし」


 あなたのこと、好きだよ。


 彼女の言葉を俺は受け止める。

 ああ、わかってるとも。俺はそれを設定として知っている。春川陽菜乃は〈黒猫〉に恋をしている。そのためのヒロインである。

 しかし、それは〈俺〉に向けてではない。どこまでも、〈俺〉は〈黒猫〉の代替わりに過ぎない。


 俺は、お前を知らない。


 この事実がある限り、『ヤンデレラ』は俺にとって地獄なのかもしれない。誰からも好かれる。けれど、好かれているのは〈俺〉ではない。〈俺〉は〈黒猫〉であり、皆が見ているのは〈黒猫〉であって〈俺〉ではない。

 ……なあ、俺は覚えてないよ。

 知らないよ。

 陽菜乃と出会ったときなんて。

 引っ張った力も。握手した手の感触も。何も知らないんだ。その告白は〈俺〉に向けて行うのは違うんだよ。

 俺は――〈黒猫〉じゃないんだから。

「……ありがとう。陽菜乃」

 陽菜乃は俺の答えに微かに目を見開き、頷いた。その目には涙が浮かんでいただろう。が、彼女は強かった。決して俺の前で涙を見せることはしなかった。

 夜はふける。俺たちの物語は終わる。

 そうして、春川陽菜乃は消えた。

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