√05
リトライ
幼馴染み。
〈俺〉にも一応、そういった関係はいた。
だが、これには酷い語弊がある。その幼馴染みとは、仲良く、時にラブコメが発生するような甘い関係ではない。かといって負けヒロインでもない。〈俺〉は知っていた。誰しもが幼馴染みになる可能性を秘めていると。
〈俺〉の住む街は、小中高と持ち上がる人が多かった。俺もその一人だった。近所に住んでいた――■■ちゃん。■■ちゃんは、〈俺〉と同級生であり、幼馴染みでもあった。
しかし、〈俺〉たちは幼馴染みであっても、特別仲が良いわけでもなかった。
ゲームを終えて、家を出る。〈俺〉は登校中に■■ちゃんを見かける。
彼女は高校に入ってからいっそうに垢抜けるようになった。彼氏らしき男と手を組んで、少し笑っていた。
不意に、〈俺〉と視線が交わる。
――が、直後に逸らされる。
〈俺〉はそのことに何も思わなかった。
何も、思うほどの関係ではなかった。
♡
鼻腔を刺激するのはカレーの匂いだった。
ぼんやりとしていた意識が覚醒する。俺は次の瞬間、自分がカレーのルーを回していることに気付いた。
「……あ、」
視線をカレーに落とす。
カレーを煮込んでいる。まだ、煮込む必要がある。リビングに目を向けた。そこに、森山和奏と陽菜乃はいた。
戻ってきたのだ。
俺は徐々にそれを理解する。
前回のことを思い、俺は顔をしかめた。陽菜乃の言葉が、ぐるぐると回っている。
このメインイベントから抜け出すためにすることとは。――俺はその応えを既に知っていた。だが、どうせなら避けたかった。その答え以外を探したい。
神様は無情だ。何故、この時間にリトライしてしまった。陽菜乃のお泊りは今更止めることはできない。これは非常に不味い状況なのではないか。
「――クロ、カレーを睨んでるけどどうしたの?」
陽菜乃の声に俺は顔を上げた。
不思議そうに俺を見ている。俺は笑みを作った。ちゃんと笑えているだろうか。
「いやいや。カレーの極意を目指せるものかと」
「はぁ?」
陽菜乃は俺の方に近寄っていき、カレーを眺める。自然と、俺と陽菜乃の距離は近づいた。俺は不覚にも鼓動が高鳴った。
――クロと、離れたくない
「……」
「ねえ、クロ?」
陽菜乃の顔が近い。
「な、なんだよ?」
「顔赤いよ?」
「は、はぁ?」
俺は陽菜乃の視線から逃れた。偶然か無意識か、視線は森山和奏の方に向いていた。彼女もまた、俺の様子を訝しんでいるようだった。
口をパクパクと動かす。読み取る必要なんてないのに、俺は彼女の『言葉』を読み取る。
ど う し た の ?
こんにゃろう。
誰のせいでこんな目に遭っていると思ってるんだ――。
♡
風呂の時間はやって来た。
順番は前回と同じく、俺、陽菜乃、森山和奏の順番である。この回、俺はある行動を起こそうと考えていた。
風呂に入る振りをして、陽菜乃たちが残る部屋をこっそりと盗み聞きする。
もとはといえば、前回の異変は二人が残り、森山和奏が何かを話したことから始まった。
俺はそっと彼女らの様子を窺った。
『……春川さん。わたしに何か言いたげだよね。この際、ハッキリさせない?』
森山和奏の声だ。挑発するような問いかけに俺はぐっと息を呑んだ。誘っている。陽菜乃に先制をかけた。
陽菜乃の声は僅かに遅れて反応した。
『……わかった。――じゃあ、言うけど。森山さんって、クロの親友じゃないよね?』
『うん』
即答だった。俺は頭を抱えた。
早速、俺が懸念していた内容にぶつかった。何よりも保留関係がこの時点で破綻したのだ。
『……森山さんは、クロのことが好きなの?』
『そうだよ。大好き』
それは真っ向からの告白だった。表側の言葉はそうだった。だが、俺は少しも動揺しなかった。陽菜乃の時に感じた鼓動は起きない。
森山和奏の裏側の言葉は告白なんかではなかった。そんな可愛らしいものではなかった。相手を――陽菜乃を打ちのめすための暴力だ。
陽菜乃はまた返事が遅れた。
『……クロと付き合ってるの?』
『それ、前にも質問しなかった?』
『……なら、付き合わないで』
『どうして?』
『それは――、でも』
陽菜乃の声が微かに張り詰めていく。
『クロはあなたのことを迷惑がっている。あなたとクロは付き合っているわけじゃないんでしょ? それなのに親友だなんて。きっと、無理を――』
『そういうあなたはどうなの?』
『……えっ?』
『あなたと、黒猫くんの関係』
『それは、幼馴染みだよ』
『幼馴染みって?』
『……』
次こそ言葉を失うように。
『あなたと黒猫くんは幼馴染みというけれど、それって具体的にどういう関係なの?』
『……それ、は』
『それにさ。わたしだけ答えるのも損した気分だよ。――そういう春川さんこそは? 黒猫くんのこと、どう思ってるの?』
『それは――……、わたしは、』
俺はそっと離れていた。
それ以上聞かなかった。聞けなかった。
それは俺が聞いていい内容ではなかったはずだった。風呂に籠もり、シャワーを浴びた。前髪は額に張り付き、少しだけ気持ち悪さを感じた。
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